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フレッド・アトキンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フレッド・アトキンス
フレッド・アトキンスの画像
1950年代
プロフィール
リングネーム フレッド・アトキンス[1]
フレッド・アトキンソン[1]
The Brute[1]
本名 フレッド・アトキンソン[1]
ニックネーム 猛牛[2]
身長 185cm[1]
体重 113kg[1]
誕生日 1910年[1]
死亡日 (1988-05-14) 1988年5月14日(78歳没)
出身地 ニュージーランドの旗 ニュージーランド
ウエストポート[1]
引退 1972年
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フレッド・アトキンス"Kiwi" Fred Atkins、本名:Fred Atkinson1910年 - 1988年5月14日)は、ニュージーランドウエストポート出身のプロレスラー

来歴

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1940年代オーストラリアで活躍し、オーストラリア・ヘビー級王座を通算3回獲得[3]1947年より北米地域に移動し、フランク・タニーが主宰していたカナダトロント地区のメープル・リーフ・レスリングを主戦場に活動、ホイッパー・ビリー・ワトソンジョニー・バレンタインとタイトルを争った[3]

1952年12月10日には、この年アメリカ初遠征の力道山とシングルで対戦し引き分ける[4]レオ・ノメリーニタム・ライスと共に、同年に力道山が200戦以上行った試合の中で勝てなかった3人のうちの1人であった[2]

海外プロレス雑誌の表紙に載ったジャイアント馬場とアトキンス(1964年)

1963年3月に初来日し、日本プロレスの第5回ワールドリーグ戦と世界選手権シリーズに参戦、5月6日の札幌大会ではキラー・コワルスキーと組んで力道山&豊登アジア・タッグ王座に挑戦している[5]1968年1月には国際プロレスのオープニング・ワールド・シリーズにレフェリーとして来日した[2]

日本ではプロレスラーとしての経歴より、ジャイアント馬場のアメリカ修行時代のコーチとして知られており、馬場以外にもアート・トーマスタイガー・ジェット・シンアドリアン・アドニスなどのレスラーを育てている[1]1966年には、弟子のシンとのコンビでワトソン&ブルドッグ・ブラワーからトロント版のインターナショナル・タッグ王座を奪取した[3]

60歳を過ぎてもレスリングを続け、1971年夏に行った試合を最後に現役を退いた。引退後はレフェリーを務めていたほか、NHLバッファロー・セイバーズトロント・メープルリーフスのトレーナーとしても活動していた[3]。晩年は、トロントで余生を過ごした[2]

1988年5月14日、心不全で死去。78歳没。

得意技

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獲得タイトル

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  • オーストラリア・ヘビー級王座
  • 英連邦ヘビー級王座(トロント版)
  • インターナショナル・タッグ王座(トロント版)
  • NWA世界タッグ王座サンフランシスコ版)
  • NWAサウザンヘビー級王座(フロリダ版)
  • カナディアン・オープン・タッグ王座
  • パシフィック・コースト・タッグ王座(サンフランシスコ版)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i Fred Atkins”. Wrestlingdata.com. 2013年8月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P110(1988年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b c d Fred Atkins”. Online World of Wrestling. 2011年4月12日閲覧。
  4. ^ Show @ San José 1952/12/10”. Wrestlingdata.com. 2013年8月14日閲覧。
  5. ^ JPWA 1963 The 5th Annual World League & WWA World Championship Series”. Puroresu.com. 2022年5月5日閲覧。

外部リンク

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