ジョルジュ・デュアメル
ジョルジュ・デュアメル Georges Duhamel | |
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ジョルジュ・デュアメル(1930年頃) | |
誕生 |
1884年6月30日 フランス、パリ |
死没 |
1966年4月13日(81歳没) フランス、ヴァル=ドワーズ県ヴァルモンドワ |
墓地 | ヴァルモンドワ墓地 |
職業 | 作家、詩人 |
言語 | フランス語 |
代表作 |
『文明』 『パスキエ家の記録』 『サラヴァンの生涯と冒険』 |
主な受賞歴 |
ゴンクール賞 芸術文化勲章コマンドゥール レジオンドヌール勲章グランクロワ |
配偶者 | ブランシュ・アルバーヌ |
子供 | アントワーヌ・デュアメル |
所属 |
アリアンス・フランセーズ 国立医学アカデミー 倫理・政治学アカデミー アカデミー・フランセーズ |
署名 | |
ウィキポータル 文学 |
ジョルジュ・デュアメル(Georges Duhamel、1884年6月30日 - 1966年4月13日)は、フランスのユマニスムの医師、作家、詩人。アカデミー・フランセーズ会員。代表作に『パスキエ家の記録』、『サラヴァンの生涯と冒険』などがある。1918年ゴンクール賞のほか、芸術文化勲章コマンドゥール、レジオンドヌール勲章グランクロワを受けた。
経歴
[編集]パリ13区に生まれ、移り気な父のため、幼少期に転居を繰り返しながら、12歳の頃から詩作し、1900年には小説も書いた。1901年、大学入学資格試験を通過し、1902年医学大学へ進んだ。
1902年頃、シャルル・ヴィルドラック、ルネ・アルコスらの若手作家を知った。しばしば近隣諸国に遊ぶ一方、学資稼ぎもした。
1906年秋からの14ヶ月間、ヴィルドラック、アルコスほかの詩人・作家・画家・音楽家・印刷工らと、パリ南東クレテイユの古家を改造した「クレテイユの僧院(Abbaye de Créteil)」に籠もって、出版で自活しようとする理想主義的文学共同生活を営み、ジュール・ロマンも参加した。『アベイ派』と呼ばれた。1907年、詩集『伝説、戦闘』を『僧院』から出版した。アベイ派仲間との交流は、その後も続いた。
1909年、卒業して医学博士となり、製薬の研究所に勤務し、また、文芸雑誌『メルキュール・ド・フランス』の詩歌批評欄を担当した。この年、女優ブランシュ・アルバーヌと結婚した。
1914年からの第一次世界大戦には、志願して野戦外科医となり、約4年間に数千件の手当をした。その体験を、1917年の『殉難者の記録』と1918年の『文明』とに纏め、後者によりゴンクール賞を得た。その後、機械文明や画一主義よりはユマニスムの寛容を尊ぶべし、とする文筆活動を続けた。
1927年のソヴィエト旅行、1929年のアメリカ旅行の見聞を、『モスクワの旅』と『未来生活情景』とに纏め、前者の画一主義と後者の機械主義文明を批判した。
1935年から1938年まで、『メルキュール・ド・フランス』の主筆を勤めた。
1935年10月、『人民戦線賛成』の署名を拒否した[要出典]。11月、アカデミー・フランセーズの会員に選ばれた。風雲急なヨーロッパ各国で、技術的発展にでなく人間の心に基づく文明を説いた。
ナチス占領期の1941年、ルイ・アラゴンらに共産党の対独レジスタンス・グループ国民戦線の一派として結成された全国作家委員会 (CNE) の入会を要請されたが応じなかった。1942年、ドイツ占領軍に全著作の発売禁止処分を受けた[1]。
1944年、パリ解放後、漸く全国作家委員会に入会したが、対独協力作家のブラックリストを『レットル・フランセーズ 』紙に掲載するなどの過度のエピュラシオンに反対し、1946年脱会した[1]。
1950年、左翼のルイ・アラゴンと論争し、彼に非難された[要出典]。
1952年、読売新聞の招待で、訪日した。
その後も文筆活動を続けたが、1960年健康を損ね、1966年4月、ヴァル=ドワーズ県ヴァルモンドワの別荘で、81年余の生涯を閉じた。
生前、次の肩書も持った。
- 1937年 - 1940年:フランス語普及のためのアリアンス・フランセーズ会長[1]。
- 1937年 - :国立医学アカデミー会員。
- 1939年9月からの第二次世界大戦初期:国立ラジオ放送局最高顧問。
- 1944年 - 1946年:アカデミー・フランセーズ常任書記長。
- 1944年 - :倫理・政治学アカデミー会員。
医学アカデミー シャルル・ヴィルドラックは、姉の夫である。作曲家のアントワーヌ・デュアメルは息子である。
おもな著作
[編集]- 1907:伝説、戦闘(Des légendes, des batailles)詩集
- 1911:光(La Lumière)、戯曲、1911.4.3 - オデオン座で初演
- 1912:彫像の影の下で(Dans l'ombre des statues)、戯曲、1913.3.14 - オデオン座で初演
- 1913:戦闘(Le Combat)、戯曲、1913.3.14 - テアトル・デ・ザールで初演
- 1917:殉難者の記録(Vie des Martyrs)、記録
- 1918:文明(Civilisation)、評論、ゴンクール賞受賞。
- 1920:運動選手の仕事(L'Œuvre des athlètes)、戯曲、1920.4.10 - ヴィユ・コロンビエ劇場で初演。
- 1921:お好きな時に(Quand vous voudrez)、戯曲、1921.2.5 - ジョルジュ・ピトエフ(Georges Pitoëff)一座が初演
- 1921:ラポアントとロピトー(Lapointe et Ropiteau)、戯曲、1921.2.10 - ピトエフ一座が初演
- 1923:告白の日(La Journée des aveux)、戯曲、1923.10.24 - ルイ・ジューヴェ一座が初演
- 1920 - 1932:サラヴァンの生涯と冒険(Vie et aventures de Salavin)、連作小説
- 1920:1. 深夜の告白(Confession de minuit)
- 1924:2. 二人の男(Deux Hommes)
- 1927:3. サラヴァンの日記(Journal de Salavin)
- 1929:4. リヨン人たちのクラブ(Le Club des Lyonnais)
- 1932:5. あるがままに(Tel qu'en lui-même...)
- 1928:モスクワの旅(Le Voyage de Moscou)、紀行・評論
- 1930:未来生活情景(Scènes de la vie future)、紀行・評論
- 1933 - 1945:パスキエ家の記録(Chronique des Pasquier)、連作小説
- 1933:1. ル・アーヴルの司教(Le Notaire du Havre)
- 1934:2. 野獣の園(Le Jardin des bêtes sauvages)
- 1934:3. 約束の地の眺め(Vue de la Terre promise)
- 1935:4. 聖ジャンの夜(La Nuit de la Saint-Jean)
- 1937:5. ビエーヴルの砂漠(Le Désert de Bièvres)、
- 1937:6. 先生たち(Les Maîtres)
- 1938:7. われわれのセシル(Cécile parmi nous)
- 1939:8. 影との戦い(Le Combat contre les ombres)
- 1941:9. シュザンヌと若者たち(Suzanne et les Jeunes Hommes)
- 1944:10. ジョゼフ・パスキエの受難(La Passion de Joseph Pasquier)
- 1936:わが庭の寓話(Fables de mon jardin)、随筆
- 1937:文芸の擁護(Défense des Lettres)、評論
- 1944 - 1953:わが生涯に光をあてて(Lumières sur ma vie)、回想録、全5巻
- 1944:慰めの音楽(La musique consolatrice)、随筆
- 1946:天上生活回想(Souvenirs de la vie du Paradis)、小説
- 1950:パトリス・ペリヨの遍歴(Le Voyage de Patrice Périot)小説
- 1953:伝統と未来の間の日本(Le Japon entre la tradition et l'avenir)、紀行
訳書
[編集]- 『文明』和田伝訳『新興文学全集 第17巻』平凡社 1930
- 『深夜の告白・リオネエ倶楽部』中村星湖訳『世界文学全集』新潮社、1931
- 『戦争の診断』木村太郎訳 白水社 1931
- 『犠牲』木村太郎訳 白水社 1935
- 『北方の歌』尾崎喜八訳 竜星閣 1940
- 『阿蘭陀組曲』尾崎喜八訳 竜星閣 1941 のち角川文庫『阿蘭陀組曲・北方の歌』
- 『恫喝者アメリカ』木原直夫訳 紘洋社 1941
- 『殉難者』木村太郎訳、創元社(1950)
- 『モスコウの旅』尾崎喜八訳、龍星閣(1941)
- 『未来生活風景 アメリカ旅行記』神谷行訳 筑摩書房、1949
- 『未来生活情景』中込純次訳、審美社(1985)
- 『文学の宿命』渡辺一夫訳、創元社(1940)
- 『サラヴァンの生涯と冒険』全5巻 木村太郎訳、白水社(1942-43)
- 『パスキエ家の記録』全10巻:長谷川四郎訳、みすず書房(1950)
- 『わが庭の寓話』尾崎喜八訳、創元社、1953 ちくま文庫(1998)
- 『慰めの音楽』戸田邦雄訳 創元社 1952
- 尾崎喜八訳、白水社(1999)
- 『パトリス・ペリヨの遍歴』渡辺一夫訳、岩波書店(1952)
- 『希望号の人々 原子時代の物語』田付たつ子、高橋邦太郎訳、講談社ミリオン・ブックス(1956)
- 『日本という国』松尾邦之助訳 読売新聞社 1953
- 『日本の文明』松尾邦之助訳 読売新聞社 1954
- 『二人の男』佐藤輝夫訳『三笠版現代世界文学全集 第8』三笠書房 1955
- 『天上生活回想』室井庸一訳『世界文学大系 第59』筑摩書房 1961
脚注
[編集]- ^ a b c “Georges DUHAMEL”. www.academie-francaise.fr. Académie française. 2019年12月17日閲覧。
出典
[編集]- 渡辺一夫編:ジョルジュ・デュアメル略年譜(『パトリス・ペリヨの遍歴、岩波書店(1992)』の巻末)
- 中田耕治:ルイ・ジュヴェとその時代、作品社 (2000)、ISBN 4-87893-353-4
- 江川卓ほか編:新潮世界文学辞典 増補改訂版、新潮社(1990)ISBN 4107302091
- 篠田一士ほか編:集英社世界文学辞典、集英社(1992)ISBN 4081430071
外部リンク
[編集]- アカデミー・フランセーズ公式ウェブサイトによる紹介(作品を含む)(フランス語)
- デュアメルの原作による映画(英語)
前任 ジョルジュ・ルノートル |
アカデミー・フランセーズ 席次30 第14代:1935年 - 1966年 |
後任 モーリス・ドリュオン |