ジャン=ピエール・エリサルド
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ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ジャン=ピエール・エリサルド(Jean-Pierre Elissalde、1953年12月31日-)は、フランス・ラ・ロシェル出身のラグビー指導者である。現役時代のポジションはスクラムハーフ。
人物
[編集]1978年から3年間アヴィロン・バイヨネでプレー。1980年にはイブ・ド・マヌワール杯での全国制覇に貢献。
1981年、南アフリカ戦で初キャップ。1983年にはバーバリアンズの主将として日本代表と対戦した。フランス代表キャップは5。
その後、ラ・ロシェルに戻り、選手兼任監督に就任。
引退後はフランスA代表、ベジエでも監督、コーチとして指導に当たった。
2005年3月、日本代表のテクニカルアドバイザーを担当[1]。
2005年7月、日本代表のヘッドコーチに就任[2]。2007年9月開催のワールドカップ2007に向けた準備を開始[3]。
2006年9月、古巣アヴィロン・バイヨネのスポーツマネジャーにも、日本ラグビー協会に無断で就任した[4][5]。
日本代表ヘッドコーチの職務に支障が生じることが予想されることから、日本ラグビー協会は日本代表ヘッドコーチに専念することを求めたが、エリサルドが拒否したため、10月31日付でヘッドコーチの契約を解除されることとなった[4][5][6]。
2006年秋から2シーズン、アヴィロン・バイヨネでコーチを行う。
また、2011年11月から2012年1月までの40日間、再度アヴィロン・バイヨネでコーチを務めた。
ジャン=バチスト・エリサルドは子息。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “2005年度 日本代表チームスタッフ一覧”. JRFU. 2023年1月23日閲覧。
- ^ JRFU. “日本代表ヘッドコーチに、エリサルド氏が就任|日本ラグビーフットボール協会|RUGBY:FOR ALL「ノーサイドの精神」を、日本へ、世界へ。”. www.rugby-japan.jp. 2022年11月21日閲覧。
- ^ “asahi.com:世界との差はなぜ縮まらないのか - ラグビーコラム・ノーサイド!”. www.asahi.com. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b JRFU. “ジャン-ピエール・エリサルド日本代表ヘッドコーチとの契約解除決定のお知らせ|日本ラグビーフットボール協会|RUGBY:FOR ALL「ノーサイドの精神」を、日本へ、世界へ。”. www.rugby-japan.jp. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b “不可解な続投に二重契約…ラグビー代表監督巡る混乱の歴史|日本ラグビーの光と影”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2022年11月21日閲覧。
- ^ “日本ラグビーフットボール史 日本代表強化新体制”. 日本ラグビーフットボール協会. 2022年11月21日閲覧。