ジェイソン・マカティア
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マカティア (2013) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ジェイソン・ウィン・マカティア Jason Wynne McAteer | |||||
愛称 | トリガー[1] | |||||
ラテン文字 | Jason McAteer | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
アイルランド イングランド | |||||
生年月日 | 1971年6月18日(53歳) | |||||
出身地 | イングランド・バーケンヘッドトレンメア | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1990-1992 | マリン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992-1995 | ボルトン・ワンダラーズ | 114 | (8) | |||
1995-1999 | リヴァプール | 100 | (3) | |||
1999-2001 | ブラックバーン・ローヴァーズ | 72 | (4) | |||
2001-2004 | サンダーランド | 53 | (5) | |||
2004-2007 | トレンメア・ローヴァーズ | 81 | (4) | |||
1992-2007 | 合計 | 420 | (24) | |||
代表歴 | ||||||
1994 | アイルランド B | 1 | (0) | |||
1994-2004 | アイルランド | 52 | (3) | |||
監督歴 | ||||||
2005-2007 | トレンメア・ローヴァーズ (選手兼任コーチ) | |||||
2006 | トレンメア・ローヴァーズ (監督代行) | |||||
2009 | トレンメア・ローヴァーズ (アシスタント) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジェイソン・ウィン・マカティア(Jason Wynne McAteer、1971年6月18日 - )は、イングランド・バーケンヘッドトレンメア出身の元サッカー選手、元アイルランド代表。ポジションは主にセントラル・ミッドフィルダーだが、時に右サイドハーフやサイドバックも務めた。
マカティアのキャリアにおいて、ボルトン・ワンダラーズFC、リヴァプールFC、ブラックバーン・ローヴァーズFC、サンダーランドAFC、トレンメア・ローヴァーズFCと5つのプロクラブを総移籍金900万ポンドで渡り歩き、代表ではアイルランド代表として50試合以上に出場。2007年6月12日に現役引退を表明した[2]。
経歴
[編集]クラブ
[編集]ボルトン・ワンダラーズ
[編集]ノン・リーグのマリンFCに所属時に、グラフィックデザインを学ぶ為にサッカーの奨学金でアメリカ合衆国の大学に進学し、アメリカに在住する叔父でボクサーのパットの支援でアメリカで一時期生活していた[3]。しかし、ビザの調整問題からイギリスに戻ると、フィットネスを維持する為にマリンFCで訓練に取り組み、同クラブのリザーブチームにおいてランカシャー州リーグの数試合に出場していた際に、ボルトン・ワンダラーズFCのフィル・ニール監督の目に留まったことで1週間のトライアル参加を打診され、ボルトンと契約することになった[3]。
1992年11月28日にバーデン・パークで行われたフットボールリーグ・ディビジョン2 (3部) のバーンリーFC戦 (4-0) 戦で初出場を飾り、以来、1992-93シーズンのリーグ戦において21試合に出場し、2位での2部昇格に貢献した。その後、1993-94シーズンはFAカップ準々決勝進出、1994-95シーズンはフットボールリーグカップで37年ぶりとなる決勝戦進出に貢献しており、リーグ戦においては、前者は中位に終わったが、後者では3位でのプレーオフに進出し、1995年5月29日にウェンブリー・スタジアムで行われたレディングFCとの決勝戦を勝利で収めてプレミアリーグ (1部) 昇格を果たした。なお、同試合においてマカティアは、2点を追いかける中、マイケル・ギルクスをペナルティエリア内で後ろから倒してペナルティーキックを与える失態を犯す (GKキース・ブラナガンのセーブで失点にならず) 一方、ドリブル突破でチーム3点目にして逆転弾の起点となった[4]。
リヴァプール
[編集]1994-95シーズン終了後にブラックバーン・ローヴァーズFC、アーセナルFC、リヴァプールFCからオファーをされ、1995年9月に移籍金450万ポンドでリヴァプールと契約し[5]、奇しくも昨季リーグカップ決勝戦が、対戦相手リヴァプールに対するトライアルの形となった[6]。ボルトン時代は、セントラル・ミッドフィルダーを主戦場としていたにもかかわらず、ロイ・エヴァンズ監督が、中盤のコンビにジェイミー・レドナップとジョン・バーンズを据え、自身は右ウイングバックにコンバートされることになった[7] が、スティーヴ・マクマナマンと右サイドで良好な関係を築き[7]、それまで右サイドを務めていたロブ・ジョーンズを左サイドに追いやるプレーを見せ、一時は16試合無敗を記録する好調なチームを支え[8]、ノースウェスト・ダービーとなったマンチェスター・ユナイテッドFCとのFAカップ決勝戦にも右ウイングバックとして先発を務めた。しかし、同試合は守備に奔走していたことで攻撃にはなかなか参加出来ず、また、目の前で放たれたエリック・カントナの決勝点をジャンプするも、防げなかった[9]。
1996-97シーズンも主力としてプレーする。1997-98シーズンは、1998年1月下旬のブラックバーン戦において足を骨折[10] して約3ヶ月の離脱となったが、先発復帰した5月のウェストハム・ユナイテッドFC戦において2得点を挙げた[11]。1999年1月24日、マンチェスター・ユナイテッドとのFAカップ4回戦では、負傷したポール・インスとの交代で出場した際には、自身が渇望するセントラル・ミッドフィルダーでプレーすることになったが、これがリヴァプールで最後の試合となった[7]。
リヴァプールでの3シーズン半では、本職のセントラル・ミッドフィルダーと違い右ウイングバックや右サイドバックを主戦場とし、139試合6得点を記録する。また、当時は派手なライフスタイルで揶揄されたスパイス・ボーイズの一員[12] として、ディビッド・ジェームス、レドナップ、ロビー・ファウラー、マクマナマンらとタブロイドを賑わした。
ブラックバーン・ローヴァーズ
[編集]1998-99シーズンに就任したジェラール・ウリエ監督の構想外となった影響から、1999年1月下旬に移籍金400万ポンドでブラックバーン・ローヴァーズFCと4年半契約を締結する[13] も、低迷するチームを立て直す為に獲得を望んだブライアン・キッド監督の期待に応えられず、シーズン終了後のチャンピオンシップ (2部) に降格する。2000-01シーズンにプレミアリーグ帰還に貢献したが、1999-2000シーズン途中に就任したグレアム・スーネス監督就任以来、地位を確立するのに苦戦し[14]、2001-02シーズンには出場機会を得ることも難しくなっており、9月8日のサンダーランドAFC戦において交代出場するまでシーズン初出場は訪れなかった[15]。半ば構想外にあって、中盤に多くの負傷者が続出した為[16] に、22日のエヴァートンFC戦で初先発を務めて良いパフォーマンスを見せたが、状況は好転せずにいた[17]。
サンダーランド
[編集]2002 FIFAワールドカップが近付く中、代表での地位を考えた末に出場機会を最優先[18] し、2001年10月19日に移籍金100万ポンドでサンダーランドAFCと3年契約を締結する[19]。10月22日のミドルズブラFC戦での初出場[20] 以来、サイドハーフを定位置を掴み、負傷が相次ぐ際には本職のセントラル・ミッドフィルダーでもプレーし[21]、3月の古巣ボルトン戦において初得点を挙げる[22] と、イエローカードの累積警告による出場停止が明けた23日のサウサンプトンFC戦でも得点した[23]。
加入1季目の2001-02シーズンは主力として27試合に出場したが、翌2002-03シーズンは、2002年9月21日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦以来、ヘルニアの問題でチームから離脱しており[24]、10月中旬に手術を受けたにもかかわらず、12月にヘルニアが再発した[25] ことで、2003年2月16日のFAカップでのワトフォードFC戦まで復帰に時間を要した[26]。しかし、復帰3試合目のフラムFC戦でハムストリングを負傷させ[27]、シーズン終了まで再離脱となり、公式戦出場10試合に終わる[28]。その間にチームは9連敗を記録する等でチャンピオンシップへと降格した。なお、同シーズンに行われた9月のマンチェスター・ユナイテッド戦において、ロイ・キーンとのボールの競り合いで激しくなり、ファウルを巡って口論に発展した際に、キーンの暴言に「次の本でそれを書け」と言い返し、キーンの自伝を揶揄するジェスチャーをすると、この行動に激怒したキーンから自身の後頭部を肘打ちをされることになり、論争の中心となった[29]。
2003-04シーズンは、代表で師事したミック・マッカーシー監督の下でマイケル・グレイの後任として主将に任命された[30] が、8月9日のノッティンガム・フォレストFC戦後にハムストリングに問題を抱えて離脱[31] し、復帰1試合目の9月13日のクリスタル・パレスFC戦中に悪化させて再離脱となった[32]。その後、11月に復帰の目処が立ったマカティアは、同月中旬のブラックバーンとのリザーブ戦でチームに復帰すると共に得点を挙げる好調さを見せる[32] と、トップチームでの復帰試合となった12月14日のウェストハム戦で得点を挙げ[33]、復帰3試合目のブラッドフォード・シティFC戦においても得点を挙げる[34] 等で負傷の影響を感じさせないパフォーマンスを披露した。同シーズンは、32歳という年齢を理由に、それまで務めてきたサイドハーフよりも、運動量が少ない本職のセントラル・ミッドフィルダーでのプレーを望んでおり[35]、その希望通り出場の多くを中央でプレー[36] し、プレーオフ進出に貢献する。そして、2004年5月17日のクリスタル・パレスとのプレーオフ準々決勝第2戦ではケヴィン・カイルによる先制点をクロスでアシストし、2-1の勝利に貢献したが、2戦合計4-4で行われたPK戦で外してしまい、チームは昇格は果たせなかった[37]。
トレンメア・ローヴァーズ
[編集]2003-04シーズン終了に伴い契約満了でブラックバーンを退団した後、チャンピオンシップのレスター・シティFCとシェフィールド・ユナイテッドFCからオファーが届くも、引退後に指導者への転身を考えていたマカティアは、ブライアン・リトル監督の存在から、2004年7月20日にフットボールリーグ1 (3部)に所属する地元のトレンメア・ローヴァーズFCと2年契約を締結する[36]。加入初年度にもかかわらず、初出場となったプレシーズンでのラシン・サンタンデール戦から主将を任され[38]、プレーオフ進出に貢献したが、ハートルプールFCとの準々決勝第2戦において、頭を衝突したことで前半の早い段階で交代を余儀なくされ、チームとしてはPK戦で敗退となった[39]。
2005-06シーズンも主将としてプレーしつつ、10月からは選手兼任コーチに就任し[40]、成績不振によってリトル監督が解任された後は、監督代行として最終節のドンカスター・ローヴァーズFC戦で指揮を執ることになる[41]。同試合では、ジョン・マクマホンコーチと共に実際に指揮を執り、後半開始から自身もプレーしているが、0-2で敗北した[42]。2006年6月29日に契約を1年延長し、2006-07シーズンに就任したロニー・ムーア監督下でも選手兼任コーチとして残留することになった[43] が、シーズン終了後に契約延長されることはなく、2007年5月25日に退団することになる[44] と、6月12日に現役引退を発表した[2]。
2009年6月15日、リヴァプール時代の同僚のバーンズがトレンメアの監督に就任したことに伴い、アシスタントとして復帰する[45]。だが、チームは最初の11試合で僅か2勝にとどまり、リーグ最多となる26失点と低迷したことから、10月9日にバーンズ監督と共に解任された[46]。
代表
[編集]イングランドに生まれながらも祖父がアイルランド出身[47] だったことで、多くのイングランド生まれの選手と同様にジャッキー・チャールトン監督によってアイルランド代表に誘われる。同時期には、イングランド代表のジミー・アームフィールドコーチからテリー・ヴェナブルズ監督が自身をイングランドB代表に招集する考えであると聞かされる[47] が、1994年3月23日にランズダウン・ロードでのロシア戦でアイルランド代表として初出場を飾った[48]。右サイドハーフの位置で、ロシア戦、オランダ戦と良いパフォーマンスを見せたことで、1994 FIFAワールドカップ直前に行われたボリビア戦に向けて招集され[49]、そのまま本大会のメンバー入りを果たすと、強豪イタリアを下した試合でもプレーした。
UEFA EURO 1996、1998 FIFAワールドカップ、UEFA EURO 2000と主要大会を3度逃したが、2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のオランダ戦において決勝点を挙げる[50] 活躍等で2002 FIFAワールドカップ出場に大きく貢献する。本大会では、直前に行われたサンフレッチェ広島との親善試合で相手DFミシェル・パンセ・ビロングのタックルによって一時は靭帯損傷の疑いもあったが、打撲で済み[51]、1試合目のカメルーン戦に先発出場した[52]。大会後、負傷の影響から、2002年9月のUEFA EURO 2004予選のロシア戦を最後に代表から遠ざかっており、2004年2月のブラジル戦において一旦復帰をした[53] が、同年9月2日に代表引退を表明した[54]。
私生活
[編集]現役引退後は、様々な慈善試合に出場。また、ESPN Star SportsやリヴァプールFCの公式チャンネルLFC TVで解説を務める。2013年にはリムリックで結婚式を挙げる[55]。
イギリスのボクシングミドル級王者パットは叔父である[56]。
個人成績
[編集]クラブでの成績
[編集]所属クラブ | シーズン | リーグ | カップ | リーグカップ | 国際大会 | 合計 | ||||||
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所属リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ボルトン・ワンダラーズ | 1991-92 | ディビジョン2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||||
1992-93 | 21 | 0 | - | 21 | 0 | |||||||
1993-94 | ディビジョン1 | 46 | 3 | - | 46 | 3 | ||||||
1994-95 | 43 | 5 | - | 43 | 5 | |||||||
1995-96 | プレミアリーグ | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 5 | 0 | ||
合計 | 114 | 7 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 115 | 8 | |||
リヴァプール | 1995-96 | プレミアリーグ | 29 | 0 | 7 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 40 | 3 |
1996-97 | 37 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 8 | 0 | 51 | 1 | ||
1997-98 | 21 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 26 | 2 | ||
1998-99 | 13 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 22 | 0 | ||
合計 | 100 | 3 | 12 | 3 | 13 | 0 | 14 | 0 | 139 | 6 | ||
ブラックバーン・ローヴァーズ | 1998-99 | プレミアリーグ | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 1 |
1999-2000 | チャンピオンシップ | 28 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 29 | 2 | ||
2000-01 | 27 | 1 | 4 | 0 | 4 | 0 | - | 35 | 1 | |||
2001-02 | プレミアリーグ | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 4 | 0 | ||
合計 | 72 | 4 | 5 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 81 | 4 | ||
サンダーランド | 2001-02 | プレミアリーグ | 26 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 27 | 2 | |
2002-03 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 10 | 1 | |||
2003-04 | チャンピオンシップ | 18 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | - | 24[a] | 2 | ||
合計 | 53 | 5 | 6 | 0 | 0 | 0 | - | 61 | 5 | |||
トレンメア・ローヴァーズ | 2004-05 | リーグ1 | 34 | 4 | 1 | 0 | 2 | 1 | - | 39[a] | 5 | |
2005-06 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 29 | 0 | |||
2006-07 | 18 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | 22[b] | 0 | |||
合計 | 81 | 4 | 2 | 0 | 3 | 1 | - | 90 | 5 | |||
キャリア通算成績 | 420 | 24 | 25 | 3 | 20 | 1 | 14 | 0 | 479 | 28 |
- a. ^ 昇格プレーオフ2試合を含む
- b. ^ フットボールリーグトロフィー2試合を含む
代表での成績
[編集]アイルランド代表 | ||
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年 | 出場 | 得点 |
1994 | 12 | 0 |
1995 | 5 | 0 |
1996 | 3 | 1 |
1997 | 5 | 0 |
1998 | 3 | 0 |
1999 | 2 | 0 |
2000 | 9 | 1 |
2001 | 5 | 1 |
2002 | 7 | 0 |
2003 | 0 | 0 |
2004 | 1 | 0 |
Total | 52 | 3 |
代表での得点
[編集]# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1996年10月9日 | ダブリン | 北マケドニア | 1-0 | 3-0 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
2. | 2000年9月2日 | アムステルダム | オランダ | 0-2 | 2-2 | 2002 FIFAワールドカップ予選 |
3. | 2001年9月1日 | ダブリン | オランダ | 1-0 | 1-0 | 2002 FIFAワールドカップ予選 |
獲得タイトル
[編集]- 個人
- フットボールリーグ・ディビジョン1年間ベストイレブン : 1993-94, 1994-95
脚注
[編集]- ^ "‘Trigger’: Keane more suited to deputy role"
- ^ a b "McAteer opts to hang up his boots"
- ^ a b "Living out my dream; EXCLUSIVE McAteer grateful for support of family and friends through career ups and downs" thefreelibrary.com
- ^ "On this day in 1995: Bolton rally to seal Premier League place"
- ^ "McAteer opts for Liverpool"
- ^ "The League Cup made me - Jason McAteer"
- ^ a b c "Sunderland's three to watch"
- ^ "McAteer lives out his dream"
- ^ "FORMI-DOUBLE!; King Cantona does it again" thefreelibrary.com
- ^ "Football: Owen the winner as title rivals draw a blank"
- ^ "Football: Owen fires Liverpool's renaissance"
- ^ "James suited to dressing down for 'Spice Boys' reunion party"
- ^ "Houllier elbow sends McAteer to Rovers"
- ^ "McAteer ready to leave Ewood"
- ^ "McAteer dropped again by Souness"
- ^ "McAteer named in Blackburn squad"
- ^ "McAteer heading for Rovers exit"
- ^ "McAteer insists no fall out with Souness"
- ^ "Sunderland sign McAteer but miss out on Sinclair"
- ^ "Defeat for McAteer on Sunderland debut"
- ^ "McATEER FEARS MIDFIELD MISERY"
- ^ "McAteer makes Bolton suffer"
- ^ "Tessem's late reply"
- ^ "McAteer out for six weeks"
- ^ "McAteer adds to Sunderland worries"
- ^ "Smith piles on agony for Wilko; SUNDERLAND 0 WATFORD 1"
- ^ "McAteer adds to Black Cats' woes"
- ^ "McAteer backs McCarthy to succeed"
- ^ "Roy Keane gets mocked by 'hero' Jason McAteer over his latest autobiography"
- ^ "McAteer named Sunderland captain"
- ^ "McAteer makes return"
- ^ a b "Ready to ease back"
- ^ "Football: DEADLY DEFOE; WEST HAM.............3 Defoe 55, 61, Pearce 80 SUNDERLAND........2 McAteer 4, Oster 30: Jermain's double steals cream from Cats" thefreelibrary.com
- ^ "McAteer's strike gives Sunderland new impetus"
- ^ "Would I ever play again?" chroniclelive.co.uk
- ^ a b "Returning home to learn a Little more"
- ^ "Hughes hits spot for Palace"
- ^ "Football: MACCA SO EAGER TO GET STARTED" thefreelibrary.com
- ^ "Football: BRAVE HARTS; Tranmere 2 Hartlepool 0 AET (2-0 at 90 mins), 2-2 on agg: Hartlepool win 6-5 on pens" thefreelibrary.com
- ^ "Football: McAteer to start role; TRANMERE v COLCHESTER TODAY, 3PM" thefreelibrary.com
- ^ "Little leaves Tranmere"
- ^ "Tranmere 0, Doncaster 2 (Echo)" liverpoolecho.co.uk
- ^ "McAteer extends stay at Tranmere"
- ^ "McAteer heads Tranmere exit list"
- ^ "Barnes confirmed as Tranmere boss"
- ^ "John Barnes and Jason McAteer sacked by Tranmere Rovers"
- ^ a b "McAteer raises the premium"
- ^ "Football: Plus points please Charlton"
- ^ "Football: Irish warming up: Babb and McAteer add youth to Charlton's squad"
- ^ "McAteer's goal secures victory"
- ^ "McAteer winning fitness battle"
- ^ "McAteer may quit Ireland duty"
- ^ "McAteer in line for game against Brazil"
- ^ "McAteer steps aside"
- ^ "Jason McAteer ties the knot and laughs he wouldn't waste the paper to invite Roy Keane"
- ^ "City boxing legend dies; Jason McAteer's uncle passes away in America" thefreelibrary.com
- ^ a b “Jason McAteer”. 11v11. 20 February 2015閲覧。
- ^ a b “Jason McAteer”. national football teams. 20 February 2015閲覧。
外部リンク
[編集]- ジェイソン・マカティア - Soccerbase
- transfermarkt
- footballzz