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シントク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シントク電気から転送)
株式会社シントク
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
東京都千代田区外神田一丁目10-8[1]
本店所在地 東京都千代田区外神田一丁目10-9[1]
設立 1955年3月[1][注 1]1933年創業[3]
業種 小売業
事業内容 電気機器販売
代表者 高橋實[注 2](代表取締役社長)
資本金 4,800万円[1]
売上高 約60億円(1993年3月期)[4]
従業員数 80人(1993年10月)[3]
決算期 3月[1]
主要株主 高橋實
関係する人物 高橋誠(創業者)
特記事項:
1993年10月に特別清算を申立(負債額約63億円)[3][注 3]
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シントク本店跡(2010年当時)

株式会社シントクは、かつて東京秋葉原を中心に4店舗を展開していた家電量販店1993年(平成5年)に特別清算を申立て、倒産した。

概説

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シントクは1933年(昭和8年)に創業[3]1955年(昭和30年)に株式会社新徳電気商会を設立し、新徳電気シントク電気、シントクと社名を変更してきた。当初は重電関連[6][注 4]を扱っていたが秋葉原の盛況とともに家電販売に転じ、JR秋葉原駅前の中央通りに面した一等地に地上9階、地下1階建ての本店を構え、長らく秋葉原の家電量販店群の一角を成していた老舗である。

外国人観光客向け免税品販売にも注力し、1984年には中央区日本橋箱崎町東京シティエアターミナルにも出店した[7]。秋葉原では本店のほかに電気街口の南側にシントクエコー店を擁し、最盛期の1989年2月期には102億円を売り上げる[8][注 5]までに成長した。

しかし、それまで売上げを牽引していたAV機器・高級家電の不振に加え、郊外型量販店ディスカウントストアとの競合による秋葉原の集客力の低下、さらにはメーカー販社がヘルパー(派遣店員)やリベートの圧縮策に転じ、家電販売の収益は低下していった[9]

非家電への転換と多角化

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そうした1989年の状況のなか、シントクは業界に先立って非家電業態への転換を推進[9]。シントクエコー店の4階を玩具売り場に改装し[10]、さらに10月31日、本店の一軒おいた隣に非家電分野中心のホットリスト(HOT LIST)を開店した[11]。若者や女性をターゲットに輸入雑貨プレイガイド、美術品まで手掛けた新業態店であり、中堅家電量販店の生き残り策として注目された[11]

しかし、目標としていた年商30億には届かずホットリストは失敗、全面改装して1991年9月1日AVソフト専門店に衣替えし[9]1992年11月5日[12]にはセガ・エンタープライゼス(現:GENDA GiGO Entertainment)と業務提携して本店をゲームセンターに業態転換[13]。翌1993年1月にはドラッグストアを開店してチェーン展開に乗り出す[注 6]など、非家電部門の強化と事業の多角化を推し進めていった[9]。このように非家電業態への転換と多角化を急いだ背景には、1991年3月にメーカー販社からのヘルパーが全廃になった[注 7]ことが大きいといわれている[14]

倒産へ

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本店のゲームセンターは当初の売上予測を上回り好調[注 8]であったが、度重なる店舗の改装投資の負担が重くのしかかっていた。一方で本業の家電販売は2年連続の冷夏による夏物商品の不振など長引く家電不況で売上げが低下、ヘルパー廃止による人件費の増大が追い討ちをかけ[14]、資金繰りが悪化した。借入金の増加でまかなっていたが、ついに金融機関の支援を得られなくなり、1993年10月13日に63億円の負債を抱えて東京地方裁判所特別清算を申立てて倒産した[4]

家電量販店大手各社がそろって非家電部門の強化を図っていた当時、秋葉原の量販店のなかでも特に非家電部門に力を入れていたシントクの倒産は同業者に衝撃を与えた[4]。シントクが倒産して間もなく、同じく秋葉原で家電量販店「ヒロセムセン」を展開する広瀬商会の廃業も報じられ[15]、秋葉原の集客力低下の話題が当時のマスメディアを賑わせた[16][17][18]

沿革

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  • 1933年(昭和8年) - 創業。
  • 1955年(昭和30年) - 株式会社新徳電気商会を設立。
  • 1964年(昭和39年)頃 - 本店ビルを建設。
  • 1969年(昭和44年)頃 - 株式会社新徳電気に商号を変更[注 9]
  • 1969年(昭和44年)10月15日 - 朝風二号館ビルにシントクエコーを開店[20]
  • 1974年(昭和49年)頃 - 株式会社シントク電気に商号を変更[注 10]。子会社の株式会社シントクユニタスを設立[23]
  • 1978年(昭和53年) - 高橋實が代表取締役社長に就任[注 11]
  • 1984年(昭和59年)11月1日 - 東京シティエアターミナル(TCAT)に箱崎店を開店。
  • 1985年(昭和60年)2月 - 創業者・高橋誠が死去[26]
  • 1987年(昭和62年) - 株式会社シントクに商号を変更[27]
  • 1989年(平成元年) - シントクエコー4階を玩具売場に改装。10月31日、平岡ビルにホットリストを開店。
  • 1991年(平成3年)9月1日 - ホットリストを全面改装し、AVソフト専門店ソフトターミナル・シントクを開店。
  • 1992年(平成4年)11月5日 - セガ・エンタープライゼスと業務提携して本店をハイテクランド・セガ・シントク(現:GiGO 秋葉原1号館)[注 12][注 13]に転換。
  • 1993年(平成5年)
    • 1月 - シントク・ドラッグを開店。
    • 10月13日 - 東京地方裁判所に特別清算手続き申立て。

店舗とその後

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  • 本店
    • 本店ビルが建てられたのは1964年頃で、それ以前の新徳電気商会の店舗はビル敷地の北東の一角にあった[注 14]。最盛時は37億円の年商をあげる家電量販店だったが、家電製品の売上げが伸び悩み1992年8月で閉店。その後、セガ・エンタープライゼスとの共同経営にて本店をアミューズメント施設に改装、ハイテクランド・セガ・シントクとして地上4階から地下1階までを使い1992年11月5日に開店[12]。施設の運営はセガ側で行い、シントクは取り分の大半をそのまま経常利益に反映することができた[30]。シントクの店舗では唯一の自社物件だった[31]
    • シントク倒産直後に隣接する東京ラジオデパートがシントクビルの買収を視野に対応を討議したが[32]、最終的にサトームセンが本店の土地・建物を推定35億円強で買収[33]、名称もサトービルに変更された。当初の計画では入居店舗との契約が切れ次第、サトームセンの店舗を開店させる予定だったが[31]、現在でもアミューズメント施設が名称を変えつつ継続して営業中である。6、7階には三井物産デジタルの「PCiN」ブランドパソコン販売店(1993年3月開店、2001年11月閉店)、5階には「セガゲーマーズ」(1998年6月頃閉店)、「セガフリークス秋葉原店」(2001年1月閉店)といった店も入居していた。
  • シントクエコー
  • シントクエコー(1993年)
    シントクエコー(1993年)
  • シントクエコー跡(2017年)
    シントクエコー跡(2017年)
    • 箱崎店
      • 東京シティエアターミナル(TCAT)内に1984年11月1日開店。利用者減少に悩むTCATが外国人旅行者に人気の秋葉原に着目し、シントク電気に働きかけての出店であった。[7]
    • ホットリスト(HOT LIST)/ソフトターミナルシントク
      • 本店の1軒おいた並びに新築された平岡ビルに1989年10月31日開店。「生活美術館」を標榜[39]した、秋葉原では初となる非家電分野を前面に出した大型店舗であり、陶磁器、輸入食品、理美用品、インテリア、美術品、玩具などを取り扱った。各階ごとに違ったテーマが付けられており[39]、チケットサービスのカウンターを設け、女性店員を中心に配置するなど、秋葉原に若者や女性などの新規顧客層を呼び込む狙いがあった[11]。また、屋外には「セサミストリート」のからくり時計が設置されており、定時になると時計がスライドし、エルモやクッキーモンスターといったキャラクターが登場するものだった(現在は看板に隠され、時計も停止している)。しかし、売上げが伸びずに閉店となった[9]。ホットリストの失敗はその後のシントクの経営に深刻な影響をもたらした[40]
      • ホットリストを約1億2千万円かけてAVソフト専門店に改装し、1991年9月1日にソフトターミナルシントクとして開店した。新宿や渋谷でAVソフトを購入する顧客層を秋葉原に呼び寄せることを期待したもので、1階にDJブース、2階にミニシアターを開設、特典つきの会員制度も設けるなどして顧客の定着化を狙った。[41]
      • ソフトターミナルシントク閉店後、1994年1月にソフマップがWindows専門店「Sofmap Chicago」を開店[42]、その後もソフマップ店舗として営業が続いている。

    CM

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    • 関東ローカルにて、全篇英語ナレーションのCMを放送していた。
    • 1980年頃には「シントク電気テレホンショッピング」と題したテレビショッピング事業を行っていた。

    関連会社

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    • シントクナショップ株式会社 - 1974年10月に照明器具販売・店舗内装業の子会社、株式会社シントクユニタスを設立[23]1975年8月には松下電工の資本と技術参加を得てシントクナショップ株式会社と改称[23]。社長は高橋實が兼任。シントク倒産後の1994年6月にナショップシステム株式会社に改称、松下電工→パナソニック電工のグループ企業として営業を続けた[23]。その後2011年10月1日にパナソニック電工エンジニアリング株式会社に全事業を承継し、同社のナショップシステム部として経営統合した[43]。なお、パナソニック電工エンジニアリングはパナソニックグループ再編に伴い2012年1月1日パナソニックESエンジニアリング株式会社に社名を変更している[44]

    脚注

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    注釈

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    1. ^ 『帝国銀行・会社要録』第50版[2]以前には1955年8月と記載。また『日刊帝国ニュース』の記事[3]では1950年2月に法人改組とある。
    2. ^ 「實」は常用漢字外なので新聞等、文献によっては「実」の表記である。
    3. ^ 東京商工リサーチの調査では約65億円としている[5]
    4. ^ 1956年公開の映画『洲崎パラダイス赤信号』に当時の秋葉原電気街が登場しており、新德電氣商会店舗の袖看板に「蛍光灯大卸」の表記、店舗正面にはナショナル蛍光灯やマツダ蛍光ランプの看板が見られる。
    5. ^ 東京商工リサーチの調査では1989年8月期に年商105億円としている[5]
    6. ^ 日本経済新聞の記事[4]では、1992年12月に薬局コーナーを設ける、との記述がある。
    7. ^ 日米構造協議の影響で、公正取引委員会の指導によりメーカー販社からのヘルパー派遣が禁止された。
    8. ^ 目標が月商3千万円のところ、4千万-5千万円で推移[4]
    9. ^ 『帝国銀行・会社要録』第49版[19]では(株)新徳電気商会、第50版[2]では株式会社新徳電気と記載。
    10. ^ 『帝国銀行・会社要録』第54版[21]では株式会社新徳電気、第55版[22]では株式会社シントク電気と記載。
    11. ^ 『帝国銀行・会社要録』第58版[24]まで社長は高橋誠、『帝国銀行会社年鑑』第59版[25]から高橋実(實)と記載。
    12. ^ ここではAKガゼットでの表記を用いたが、ゲームセンターの店名は文献によって「セガ・ハイテクランド・シントク」など異なっている。
    13. ^ シントク倒産後の店名は「ハイテクランドセガ秋葉原 - ウェイバックマシン(2000年8月16日アーカイブ分)」であった。その後、改装毎にクラブセガ秋葉原、次いでセガ秋葉原1号館に店名が変更。
    14. ^ 1963年発行の住宅地図[28]では後のシントク本店の場所に新徳電気商会、佐藤無線(株)、誠和デンキの表記があり、1964年発行の住宅地図[29]では新徳電気(株)のみが記載されている。
    15. ^ 1967年発行の住宅地図[35] には「朝風旅館/朝風ビル二号館用地」の表記があり、1970年発行の住宅地図[36]には朝風二号館ビルが記載されている。

    出典

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    1. ^ a b c d e 帝国データバンク (1991)、東京都 685頁。
    2. ^ a b 帝国興信所 (1969)、東京 443頁。
    3. ^ a b c d e “[家電製品量販店] シントク 特別清算申請 負債約63億円”. 日刊帝国ニュース No.8738 (東京: 帝国データバンク): p. 7. (1993年10月15日) 
    4. ^ a b c d e “シントク、特別清算を申請、秋葉原家電量販店の老舗――家電不況、多角化及ばず”. 日本経済新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 15. (1993年10月14日) 
    5. ^ a b “家電小売 [東京] (株)シントク 特別清算手続開始 負債総額65億円”. TSR情報 No.8775 (東京: 東京商工リサーチ): p. 7. (1993年10月15日) 
    6. ^ 日経産業新聞編 編『The秋葉原 : 電子産業の縮図』日本経済新聞社、東京、1982年11月。ISBN 4-532-08438-5 
    7. ^ a b “地盤沈下のTCAT――団体客、成田集合へ(とらふぃっくスペシャル)”. 日経産業新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 12. (1984年10月23日) 
    8. ^ 帝国データバンク (1989)、東京 671頁。
    9. ^ a b c d e “業態転換でつまづいた秋葉原の家電量販店「シントク」”. TSR情報 No.8775 (東京: 東京商工リサーチ): p. 4. (1993年10月15日) 
    10. ^ “家電量販店のシントク、がん具販売に進出――秋葉原に売り場、既存店を活性化”. 日経流通新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 5. (1989年10月3日) 
    11. ^ a b c “シントク、非家電製品の店――生き残り探る試金石(実験店明日を探る)”. 日経流通新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 5. (1989年11月16日) 
    12. ^ a b “不況が支える?5000億円市場へと急成長するアミューズメント施設ビジネス”. 週刊ダイヤモンド (東京: ダイヤモンド社): p. 44. (1992年11月21日) 
    13. ^ “量販店、リストラに四苦八苦――業態転換、ゲーム店やソフト(家電流通を切る)”. 日経流通新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 1. (1992年9月22日) 
    14. ^ a b “「ヘルパー」全廃後遺症に泣く 家電の街・秋葉原の冬景色”. TSR情報 (東京: 東京商工リサーチ): p. 6. (1993年10月28日) 
    15. ^ “家電不況響く、東京・秋葉原の老舗量販店――広瀬商会、廃業へ”. 日本経済新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 11. (1993年10月22日) 
    16. ^ “大荒れ家電流通(上) 秋葉原の落日――量販店の影響力低下、多角化の動き進む”. 日本経済新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 10. (1993年10月29日) 
    17. ^ “秋葉原再編、揺らぐ家電専業、中堅老舗が脱落――シントク・広瀬以外にも苦戦”. 日経流通新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 1. (1993年10月28日) 
    18. ^ “秋葉原 家電不況の寒風 シントク ヒロセムセン しにせ破たん続く 値引き競争激化響く”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 12. (1993年10月23日) 
    19. ^ 帝国興信所 (1968)、東京 410頁。
    20. ^ “東京秋葉原電気街 住宅機器販売に本腰 各店特別コーナー設置へ、”. 日本瓦斯協会誌 (東京: 日本瓦斯協会): p. 39. (1969年11月) 
    21. ^ 帝国興信所 (1973)、東京 508頁。
    22. ^ 帝国興信所 (1974)、東京 449頁。
    23. ^ a b c d 会社概要・沿革”. ナショップシステム. 2011年6月15日閲覧。
    24. ^ 帝国興信所 (1977)、東京 598頁。
    25. ^ 帝国興信所 (1978)、東京 609頁。
    26. ^ 東京ラジオデパートのあゆみ” (PDF). 東京ラジオデパート. 2011年6月18日閲覧。 “1985年2月高橋 誠シントク電機会長逝去”
    27. ^ 帝国会社役員知名人名鑑(関東版・1991))、196頁、高橋実の項。
    28. ^ 千代田区 (Map) (1963年度 ed.). 縮尺不定. 東京都大阪府全住宅精密図帳. 住宅協会地図部. 1 May 1963. p. 1851. 全国書誌番号:20522174
    29. ^ 千代田区 (Map) (1965年度 ed.). 縮尺不定. 東京都大阪府名古屋全住宅案内地図帳. 住宅協会地図部. 1 December 1964. p. 1851. 全国書誌番号:20522179
    30. ^ “量販店、リストラに四苦八苦 業態転換、ゲーム店やソフト(家電流通を切る)”. 日経流通新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 1. (1992年9月22日) 
    31. ^ a b “サトームセンが買収、家電量販店シントク本店、秋葉原の再編加速”. 日本経済新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 13. (1994年2月16日) 
    32. ^ 東京ラジオデパートのあゆみ” (PDF). 東京ラジオデパート. 2011年6月6日閲覧。 “1993年10月シントク電気倒産による対応討議”
    33. ^ “秋葉原のサトームセン、シントク本店買収 35億円前後で取得”. 日経産業新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 9. (1994年2月16日) 
    34. ^ 朝風2号館ビル”. ビル図鑑 (2016年4月8日). 2016年4月14日閲覧。
    35. ^ 千代田区 (Map) (1967年度 ed.). 縮尺不定. 東京都大阪府全住宅案内地図帳. 公共施設地図株式会社. 1 July 1967. p. 1851. 全国書誌番号:20522183
    36. ^ 千代田区 (Map) (1970年度 ed.). 縮尺不定. 全国統一地形図式航空地図全住宅案内地図帳. 公共施設地図航空株式会社. 1 January 1970. p. 1851. 全国書誌番号:20522187
    37. ^ “話題の倒産を追う シントク~脱家電路線も奏功せず~”. 日刊帝国ニュース No.8749 (東京: 帝国データバンク): p. 4. (1993年11月1日) 
    38. ^ “はるやま商事、家電のついでに紳士服 秋にも秋葉原進出”. 日経流通新聞 (東京: 日本経済新聞社): p. 9. (1994年7月26日) 
    39. ^ a b 「X'masプレゼント作戦は秋葉原攻略が近道のようだ」『Ak gazette』Winter 1990、秋葉原電気街振興会、東京、24頁、全国書誌番号:00088140 
    40. ^ “(株)シントク(東京)家電小売”. TSR情報 (東京: 東京商工リサーチ): p. 5. (1993年10月20日) 
    41. ^ “AVソフト17万枚陳列、シントク、秋葉原に都内最大の専門店 “逆襲の先兵””. 日経産業新聞 (日本経済新聞社): p. 9. (1991年9月9日) 
    42. ^ “パソコンDSのソフマップ、東京・秋葉原の店舗網再編 コンセプト明確化”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 11. (1994年1月4日) 
    43. ^ 経営統合のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)パナソニックESエンジニアリング、2011年10月1日http://panasonic.co.jp/es/peseg/topics/doc/20111001_keieitougou_oshirase.pdf2017年6月10日閲覧 
    44. ^ 社名のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)パナソニックESエンジニアリング、2012年1月1日http://panasonic.co.jp/es/peseg/topics/doc/20120101.pdf2017年6月10日閲覧 

    参考文献

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