ノート:シントク
ゲームセンターの正式名称について
[編集]シントク本店が1992年10月にセガのゲームセンターに改装されましたが、改装された当初の店名が「シントクセガ秋葉原」、「シントクセガ」、「セガシントク」など諸説あり、ハッキリとしません。東京ゲーセンマップ - 秋葉原によると、2000年にハイテクランドセガ秋葉原から、現在の秋葉原クラブセガに改装したらしいのですが、ハイテクランドセガ以前の店名をご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか?--武蔵小金井 2011年2月16日 (水) 13:25 (UTC)
- "シントク本店が一大アミューズメント・スペース『ハイテクランド・セガ・シントク』に10月より大変身!地下1階から4階までゲーム一色の、今までにない新しい『遊べる』スポットだ。"
- 記事の編集はお任せします。--Wolf359borg 2011年2月18日 (金) 23:37 (UTC)
CGiN秋葉原について
[編集]CGiN秋葉原は元はPCiN秋葉原のCGコーナーで、独立店舗化して末広町の方に開店したはず[1]。運営会社も同じ三井物産デジタル(2005年解散、清算)であり、意味の無い修正ではないでしょうか。いったん差し戻しました。--Wolf359borg 2011年2月21日 (月) 02:12 (UTC)
2011年6月17日 (金) 22:15 (UTC) 編集の説明
[編集]少々大胆な編集を行いましたので以下説明致します。
- 住所表記 - 町名に相当する丁目は略さずに表記。
- 基礎情報 会社 - 本来なら最終期末(93年3月期)時点の情報としたいが、『帝国銀行会社年鑑』には掲載されていないため、売上高は日経、従業員数はTDB、負債総額もTDBの数字を使った。新聞等はTSRの数字を使うことが多いのでそっちに合わせたいが、業績データなどTDBの方が詳細なので悩みどころ。なお、ホットリスト開店時に本社事務所を移していたので、本社と登記上の本店、両方の所在地を記載した。
- 創業・設立 - 公表されている会社情報では昭和30年年3月設立。TDBによれば昭和8年創業。また、25年2月法人改組とあり、昭和25年に法人化し30年に株式会社に改組とも解釈できるが、詳細が不明なので本文には反映しない。なお、秋葉原アーカイブスでは「新徳電気が店舗を構えたのは昭和23年」とする記述があるが、これは誤りである。秋葉原アーカイブスの記述についてに後述。
- 社名・代表者 - 帝国興信所『帝国銀行会社要録』および帝国データバンク『帝国銀行会社年鑑』によれば、社名は、株式会社新徳電気商会(1955年)→株式会社新徳電気(1969年)→株式会社シントク電気(1974年)→株式会社シントク(1989年)と変わってきた。創業者は高橋誠で1978年に社長は高橋實に変わっている。
版 | 掲載時期 | 社名 | 代表者 |
---|---|---|---|
第38版 | 1957年夏 | (株)新徳電気商会 | 高橋誠 |
第49版 | 1968年夏 | ||
第50版 | 1969年夏 | 株式会社新徳電気 | |
第51版 | 1970年夏 | ||
第54版 | 1973年夏 | ||
第55版 | 1974年夏 | 株式会社シントク電気 | |
第58版 | 1977年夏 | ||
第59版 | 1978年夏 | 高橋実 | |
第69版 | 1988年夏 | ||
第70版 | 1989年夏 | 株式会社シントク | |
第73版 | 1992年夏 |
- 当初は重電機器類の小売を行っていた - 出典の『The秋葉原 : 電子産業の縮図』にあるのは、シントク電気とナカウラが「重電機器の卸、小売りをしていてたが、家電小売りに転じたグループ」に属するということであり、小売り専業とは書いていないので、単に「重電機器を扱っていた」とした。
- 脚注について - 注釈と出典の個別参照を分離、注釈からも出典を参照するため、注釈の後に出典を配置。
- 本店の注釈について - 記事の脚注としてまとまっておらず、また、「思われる」等の曖昧表現は避けるべきなので、出典付きで要旨を本文に組み込んだ。
- 出典について - 日経、TDB、TSR等を参考に、記述が異なるものは注釈で併記した。
- 時系列・因果関係の誤り訂正
- ホットリスト開店は1989年10月31日で、最盛期の1989年2月期の業績の後の出来事である。
- 非家電への大きな試みは玩具売り場開設とホットリスト開店であり、ソフト専門店への転換以降はホットリスト失敗による多角化の迷走とでもいうべきものである。
- 医薬品売場を設け、さらには美術品の販売まで手掛ける - 美術品を手掛けたのはホットリストなので時系列的に誤り。
- 同年9月には家電を扱っていたシントクエコー店を書籍・CD店に転換するなどの新たな再建案が検討される - 出典が確認できないため除去。出典があるようなら「閉鎖した店舗」節に追記すればよい。
- 1993年米騒動への内部リンクがあったが、これは不適当。
- 「沿革」の節を設けた。
- 「閉鎖した店舗」の節を設け、シントクの4店舗に関して記述。
--Wolf359borg 2011年6月17日 (金) 22:17 (UTC)
- シントクエコーの改装案についてはシントク倒産の翌月(1993年11月)の「日刊帝国ニュース」のシントク倒産の特集記事に記載されています。同時にシントク倒産の要因の一つとなった高橋實社長の入院についても記載されています(2ちゃんねるの秋葉原懐古スレに「社長の訃報と会社の倒産がほぼ同時に来た」とのレスがありますが、詳細は不明です)。--175.109.6.242 2011年6月18日 (土) 12:22 (UTC)
- 175.109.6.242さんがノートでコメントを書いていただけたのは初めてじゃないでしょうか?ちょっとうれしいですね。最近、連続投稿がおさまってるのは自重していただけてるのだと解釈しておきます。さて、シントクエコーの改装案の件ですが、出典は見て無いですけど了解しました。ただ、まあ…あまり重要とは思えないですね。
- 次に2ちゃんねるの件ですが、ここで話題にするのは不適切でしょう。まあ、あなたがあの板を見ているだろうことは編集傾向などからわかっていました。たぶん、私の書き込みも見ているのでしょう。
- 最後に、ノートでのコメントの付け方ですが、普通に : で1レベルインデントをつけて、後ろに書き加えればいいです。箇条書きは要りません(私のは変更点の説明ですから)。なぜか、私のコメントに手が加えられて(箇条書きが乱れてる)いるようですが、こういうことは絶対にしないで下さい。詳しくはHelp:ノートページをご覧下さい。よろしくお願いします。--Wolf359borg 2011年6月18日 (土) 13:26 (UTC)
秋葉原アーカイブスの記述について
[編集]また、昭和23年に角田無線が現在の場所に、新徳電気、オノデンも店舗を構えた。—秋葉原電気街振興会、秋葉原アーカイブス/第二章~焼け野原からの出発~昭和20年代
この記述ですが、『ヤマギワ60年のあゆみ』を参考に書かれたようです。
昭和22年の秋葉原電気街の大通りには、山際電気商会のほか今村電気、志村無線、谷口電機、中浦電気、石丸電気、広瀬無線、ミナミ無線さん等が店舗を構え、万世橋そばに鹿野無線さん、須田町角に万世商会、中嶋無線、金田商会さんと続き神田駅まで何軒かの電気店があった。ただ秋葉原地区には大手卸電器商がいたので、いつの間にか現在のような下地がつくられていったのである。角田無線さんがしばらくして現在地に移転、その後まもなく新徳電気さんそしてオノデンさんも現在地に店舗を構えている。—ヤマギワ(株)社史編纂委員会、『ヤマギワ60年のあゆみ』
上記の『ヤマギワ60年のあゆみ』の文章では新徳電気出店の時期は明記されておらず、昭和22年に対して「しばらく」「その後まもなく」というかなり大雑把な表現で文章を続けているだけです。角田無線が現在地に移転したのは1952年であることを考えると、秋葉原アーカイブスの執筆者は「しばらく」「その後まもなく」を昭和22年のたかだか翌年の事と思い込んでしまったようです。 --Wolf359borg 2011年6月17日 (金) 22:17 (UTC)
旧本店に隣接する「佐藤無線」について
[編集]1964年以前の新徳電気商会のあった場所の西隣にある「佐藤無線」ですが、帝国銀行会社要録第38版(1957年)を参照したところ
・佐藤無線(株)營業所 千代田區神田仲町二ノ三(p.237)
・(株)新徳電氣商會 千代田區神田仲町二ノ三(p.318)
とあり、佐藤無線(株)の代表者が佐藤暢夫氏であることなどから、佐藤無線(株)は後のサトームセンであると考えていいと思います。--175.109.6.242 2011年6月23日 (木) 04:22 (UTC)
日刊帝国ニュース1993年11月1日
[編集]日刊帝国ニュース1993年11月1日(8749号)のp.4に「話題の倒産を追う シントク~脱家電路線も奏功せず~」と題した記事が掲載されています。以下に記事の内容を要約します。
「1992年11月のゲームセンター開店以降、シントクはエコー店での家電、ソフトターミナルでのCD・LD販売といった棲み分けをしてきたが、その背景には、他店との競争激化、冷夏による季節商品の不振、家電全般におけるヒット商品の不在といった要因があった。1993年9月にはさらなる再建案として、エコー店をCD・書籍に販売店にする案が検討されており、もし実現していれば家電量販業からの完全撤退ということなっていた。シントクはピーク時の1989年2月期で約120億円の売上があったが、その後は減少に転じ、1993年期は約59億5900万円とピーク時の半分以下。さらに3期連続の欠損で未処理損失が約12億2800万円にまで膨れ上がっていた。
シントクが倒産に至った原因として、①平成元年頃からの他店との競争による利益率低下 ②人件費、配送費等経費の増大 ③個人消費低迷による売上不振、があげられている。非家電部門強化による再建案を銀行に提示するも同意を得られず、代表が入院する事態も重なり、特別清算を申請するに至った。シントクは約19億円の債務超過に陥っており、負債は約69億6600万円に上る。
秋葉原は他地域の安売り店に比べ価格が5~10%高く、量販店はその分脱家電路線を進めたり、独自のサービスをアピールすることで差別化と顧客の確保を図っているが、それだけにその最先端というべきシントクが倒産した衝撃は大きい。」
以上です。倒産時の初期報道よりだいぶ詳細な数字がでてきた印象です。--175.109.6.242 2011年6月23日 (木) 04:22 (UTC)
- 出典記事の内容をポイントを絞ることなく全体をノートページに書いて紹介する必要は無いです。要約とおっしゃいますが、私には丸ごと転載に近いように思えました(私は記事自体は見ておりません)。ノートでは議論の可能性、必要性がある事柄を書けばよいのです。それで内容ですが、業績や負債の数字がポイントということでよろしいでしょうか?--Wolf359borg 2011年6月23日 (木) 05:04 (UTC)