シュテファン・ロイター
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2016年のロイター | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ターボ[1] | |||||
ラテン文字 | Stefan Reuter | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1966年10月16日(58歳) | |||||
出身地 | ディンケルスビュール | |||||
身長 | 181cm[2] | |||||
体重 | 75kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF / MF | |||||
ユース | ||||||
1971-1982 | TSV1860ディンケルスビュール | |||||
1982-1984 | 1.FCニュルンベルク | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1988 | 1.FCニュルンベルク | 125 | (13) | |||
1988-1991 | バイエルン・ミュンヘン | 95 | (4) | |||
1991-1992 | ユヴェントス | 28 | (0) | |||
1992-2004 | ボルシア・ドルトムント | 307 | (11) | |||
代表歴 | ||||||
1985 | 西ドイツ U-18 | 7 | (0) | |||
1985-1987 | 西ドイツ U-21 | 11 | (2) | |||
1987-1998[3] | 西ドイツ/ ドイツ | 69 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
シュテファン・ロイター(Stefan Reuter, 1966年10月16日 -)は、ドイツの元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー(右サイドバック、リベロ)、ミッドフィールダー(右サイドハーフ)[4]。
経歴
[編集]クラブ
[編集]ロイターは地元のサッカークラブ・TSV1860ディンケルスビュールの下部組織で6歳の時にサッカーを始めた[5]。8歳までは陸上競技の選手としても活躍し[5][6]、走幅跳とクロスカントリーの選手としてバイエルン州ユース選手権で優勝した[6]。1980年にどちらのスポーツを専門にするかの選択を迫られ、サッカーを選んだ[5]。また100メートル走を11.2秒で走る俊足を持ち合わせていたことから「ターボ」の愛称で呼ばれた[6]。
1982年に1.FCニュルンベルクの下部組織へ入団すると、1984年にトップチームに昇格し同年10月6日に行われたブンデスリーガ2部のキッカーズ・オッフェンバッハ戦でデビュー[7]。以降リベロとして起用されると、デビュー後チームの成績が向上し、1部昇格を果たした[5]。1987-88シーズンにはリーグ5位、翌シーズンのUEFAカップ出場権獲得に貢献した[5]。
1988年にチームメイトのローランㇳ・グラハマーと共にバイエルン・ミュンヘンへ移籍し、1988-89シーズンと1989-90シーズンのブンデスリーガ連覇に貢献するなど[8]リーグ通算95試合に出場し4得点を記録した。1991年にイタリアのユヴェントスFCへ移籍したが、持ち味を出せずに終わった[5]。この年のリーグ戦28試合、コッパ・イタリアでは8試合に出場したが、コッパイタリアでは決勝でパルマに敗れて準優勝に終わった[5]。1シーズン限りで退団し[9]、ドイツへ帰国すると1992年にボルシア・ドルトムントへ移籍した[9]。
ドルトムントでは1992年に十字靭帯断裂、2000年に軟骨の損傷という膝の怪我に見舞われたものの[10]、主力選手として1992-93シーズンと2001-02シーズンのUEFAカップ準優勝[8]、1994-95シーズンと1995-96シーズンと2001-02シーズンのブンデスリーガ優勝[8]。1996-97シーズンには、古巣ユヴェントスを破ってのUEFAチャンピオンズリーグ 1996-97優勝[5][8]。1997年のトヨタカップ優勝に貢献した[8][11]。
2004年3月に現役引退を表明[8]、同年5月15日の行われた、ボルシア・メンヒェングラートバッハとの試合に出場したのを最後に現役を離れた[5]。
ドイツ代表
[編集]ドイツU-16代表、 ドイツ代表としては1987年4月17日に行われたイタリア戦に63分から出場してデビューをした[5][3]。1987年12月12日、ブラジルとの親善試合でフル代表初ゴールを決めた[5]。1988年の欧州選手権では代表から外れたが[5]、フランツ・ベッケンバウアー監督の下で右ウイングバックのポジションを獲得すると[9]、1990年にイタリアで開催された1990 FIFAワールドカップでは4試合に先発出場、準々決勝以降はトーマス・ベルトルトにポジションを譲ったものの2試合に交代出場するなど通算6試合に出場し優勝に貢献した[12]。その後も1992年にスウェーデンで開催されたUEFA EURO '92では4試合に出場し準優勝[3]、1996年にイングランドで開催されたUEFA EURO '96では4試合に出場し優勝に貢献したが[3]、1998年にフランスで開催された1998 FIFAワールドカップではグループリーグ初戦のアメリカ戦の1試合のみの出場に終わった[13]。大会終了後、ベルティ・フォクツ監督の起用法に対して「年齢的な問題ではない。彼との間に信頼関係はなく、代表を続けられない」と表明し、オラフ・トーンと共に代表を引退した[13]。ロイターは国際Aマッチ69試合に出場し2得点を記録した[3]。
引退後
[編集]現役引退後の2004年7月1日から2005年1月3日までは古巣のドルトムントのフロント業務に携わっていたが、2006年1月にTSV1860ミュンヘンのスポーツディレクターに就任した[14]。在任期間中にはオーストリアのヴァルター・シャッハナーを監督に迎え、 元ドイツ代表のダニエル・ビーロフカやベンヤミン・ラウトらを獲得したが成績は低迷し[15]、2009年2月2日に解任された[16]。
2012年12月27日、FCアウクスブルクのゼネラルマネージャーに就任した[17]。契約期間は2015年6月30日までとなっていたが[17]、同年4月に契約期間を2020年まで延長したことが発表された[18]。
個人記録
[編集]代表での成績
[編集]- 出典[3]
西ドイツ代表 | ||
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年 | 出場 | 得点 |
1987 | 7 | 1 |
1988 | 3 | 0 |
1989 | 5 | 0 |
1990 | 9 | 0 |
ドイツ代表 | ||
年 | 出場 | 得点 |
1991 | 6 | 1 |
1992 | 8 | 0 |
1993 | 0 | 0 |
1994 | 4 | 0 |
1995 | 7 | 0 |
1996 | 12 | 0 |
1997 | 3 | 0 |
1998 | 5 | 0 |
合計 | 69 | 2 |
代表での得点
[編集]- 出典[3]
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | 結果 | 大会 |
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1 | 1987年12月12日 | ブラジル、ブラジリア | ブラジル | 1-1 | 親善試合 |
2 | 1991年3月27日 | ドイツ、フランクフルト・アム・マイン | ソビエト連邦 | 2-1 | 親善試合 |
脚注
[編集]- ^ “Abschiedstour: Turbo Reuter rollt langsam aus”. spiegel.de (2003年12月30日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ a b “Stefan Reuter”. DFB - Deutscher Fußball-Bund e.V.. 2014年9月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Stefan Reuter - International Appearances Appearances”. rsssf.com. 2014年9月20日閲覧。
- ^ “Stefan Reuter über Flügelspiel”. FD21. 2014年9月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “Stefan Reuter, campione del Mondo con la Germania ma flop in Italia con la Juventus”. GOAL (2022-10-). 2023年8月7日閲覧。
- ^ a b c “FC Bayern: Stefan Reuter: Sammer sorgt für einen Ruck”. Abendzeitung München (2012年7月12日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ “Spielstatistik Kickers Offenbach gegen 1. FC Nürnberg 2:3 (2:0) - 2. Liga 1984/1985 - Der 9. Spieltag”. Fussballdaten. 2014年9月20日閲覧。
- ^ a b c d e f “Borussia Dortmund: Reuter beendet seine Karriere”. FAZ (2004年3月21日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ a b c “Reuter in neuer Rolle”. UEFA.com (2006年4月4日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ “Stefan Reuter macht Schicht, der letzte Weltmeister geht”. DIE WELT (2004年4月22日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ “Erfolge Was war der höchste Sieg des BVB?”. Borussia Dortmund. 2014年9月20日閲覧。
- ^ “Abschiedstour: Turbo Reuter rollt langsam aus”. SPIEGEL ONLINE (2003年12月30日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ a b “Reuter: "Nie mehr unter Vogts"”. RZ-Online (1998年8月20日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ “Reuter neuer Manager bei 1860 München”. RP ONLINE (2006年1月23日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ “Stefan Reuter:Was zählt, ist die Erinnerung”. FAZ (2012年12月29日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ “Stefan Reuter offiziell beurlaubt”. Tagesspiegel (2009年2月3日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ a b “Stefan Reuter wird Geschäftsführer Sport”. FC Augsburg (2012年12月27日). 2014年9月20日閲覧。
- ^ “FCA: Weinzierl verlängert bis 2019, Reuter bis 2020”. Augsburger Allgemeine (2015年4月5日). 2017年7月22日閲覧。
外部リンク
[編集]- シュテファン・ロイター - National-Football-Teams.com
- シュテファン・ロイター - FootballDatabase.eu
- シュテファン・ロイター - WorldFootball.net
- シュテファン・ロイター - Transfermarkt.comによる選手データ
- シュテファン・ロイター - Transfermarkt.comによる指導者データ
- シュテファン・ロイター - FIFA主催大会成績
- シュテファン・ロイター - UEFA
- シュテファン・ロイター - Fussballdaten.de
- シュテファン・ロイター - Munzinger Sports Archives
- Steckbrief, Story, Bilder bei tsv1860.de
- „Noch zehn Jahre bei den Löwen”