サンテニャン=グランリュー
Saint-Aignan-Grandlieu | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | ロワール=アトランティック県 |
郡 (arrondissement) | ナント郡 |
小郡 (canton) | ルゼ1小郡 |
INSEEコード | 44150 |
郵便番号 | 44860 |
市長(任期) |
ジャン=クロード・ルマソン (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | ナント・メトロポール |
人口動態 | |
人口 |
3590人 (2012年) |
人口密度 | 200人/km2 |
住民の呼称 | Aignanais |
地理 | |
座標 | 北緯47度07分28秒 西経1度37分46秒 / 北緯47.1244444444度 西経1.62944444444度座標: 北緯47度07分28秒 西経1度37分46秒 / 北緯47.1244444444度 西経1.62944444444度 |
標高 |
平均:m 最低:0m 最高:29m |
面積 | 17.94km2 |
公式サイト | saint-aignan-grandlieu.fr |
サンテニャン=グランリュー (Saint-Aignan-Grandlieu)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、ロワール=アトランティック県のコミューン。
地理
[編集]サンテニャン=グランリューは歴史的なブルターニュの一部であり、伝統的な地域区分ではペイ・ド・レ、歴史的な地方区分ではペイ・ナンテに属している。グラン・リュー湖の北端にあり、ナントの南およそ10kmに位置する。
隣接するコミューンは、ブエ、サン=フィルベール=ド=グラン=リュー、ラ・シュヴロリエール、ポン=サン=マルタンである。
2010年にINSEEがまとめた順位表によると、サンテニャン=グランリューは都市圏に含まれる都市型コミューンである。24のコミューンで構成される、ナントのバンリューからなる都市的地域の1つである。
由来
[編集]コミューンの公式名称はSaint-Aignan-Grandlieuであるが、多くの場合、地元でも全国的にもサンテニャン=ド=グラン=リュー(Saint-Aignan-de-Grand-Lieu)という名称が用いられる。
サンテニャンとは、オルレアン司教であった聖エニャン(fr)のことである。グランリューとはグラン・リュー湖を指す。ガロ語ではSaent-Aenyan-Graund-Loe、ブルトン語ではSant-Enion-al-Lenn-Veurである。
歴史
[編集]936年、サンテニャンは、ブルターニュ公アラン2世とノルマン人との戦いの舞台となった。
中世、サンテニャンにはトロワ・マリーのシャプレニー(教会や教区に属さず、キリスト教のシャプレンが管轄する区)があった。トロワ・マリーとは、黄金伝説をきっかけに一般に崇敬がなされるようになった3人のマリア崇敬(マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベアの3人)に由来する。
普仏戦争さなかの1870年12月5日、郵便輸送を行う気球フランクラン号が、プロイセン軍に包囲されているパリのオルレアン駅(現在のオステルリッツ駅)から飛び立った。フランクラン号は403km飛行して、サンテニャンに到着した[1]。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2012年 |
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1372 | 1357 | 1717 | 2489 | 3033 | 3478 | 3481 | 3590 |
source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[2]、2004年以降INSEE[3][4]
経済
[編集]コミューンはD2A空港工業地帯を抱えている。そこには食品製造のティピアク社が本部をおき、日用食料品やパンの製造工場がある。
コミューンの北側をナント・アトランティック空港が占めており、滑走路、貨物エリア、管制塔、フランス気象局が含まれる。
伝承
[編集]グラン・リュー湖周囲の地域では、エルボージュの町の伝説がある。クリスマス・イヴになると、失われた村の教会の鐘が聞こえるという。