サン=フィルベール=ド=グラン=リュー
Saint-Philbert-de-Grand-Lieu | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | ロワール=アトランティック県 |
郡 (arrondissement) | ナント郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 44188 |
郵便番号 | 44310 |
市長(任期) |
モニーク・ラバン (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes de Grand Lieu |
人口動態 | |
人口 |
8 061人 (2010年) |
人口密度 | 137人/km2 |
住民の呼称 | Philibertins |
地理 | |
座標 | 北緯47度02分09秒 西経1度38分19秒 / 北緯47.0358333333度 西経1.63861111111度座標: 北緯47度02分09秒 西経1度38分19秒 / 北緯47.0358333333度 西経1.63861111111度 |
標高 |
平均:m 最低:0m 最高:51 m |
面積 | 58.81km2 (5 881ha) |
公式サイト | www.stphilbert.fr |
サン=フィルベール=ド=グラン=リュー (Saint-Philbert-de-Grand-Lieu、ブルトン語:Sant-Filberzh-Deaz)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、ロワール=アトランティック県のコミューン。
トゥルニュの聖フィリベール(fr:Saint Philibert de Tournus)の聖遺物の一部を祀る、カロリング朝期9世紀のサン・フィルベール・ド・グラン・リュー修道院(母修道院はノワールムーティエ修道院)があることで知られる。
地名としてはフィルベール(Philbert)で、聖人の名はフィリベール(Philibert)であることに注意が必要である。
地理
[編集]大西洋から約40km離れている。歴史的にはブルターニュに属し、伝統的な地方区分ではペイ・ド・レに、歴史的な地方区分ではペイ・ナンテに属する。
ロワール=アトランティック県の気候は温帯に属する海洋性気候である。大河ロワールの河口が近いことと、目立った地形上の起伏がないことに影響された気候である[1]。冬は穏やかで雨が多い(最高気温10℃、最低気温-5℃)。夏も比較的過ごしやすい(最高気温35℃、最低気温17℃)。降雨は希だが非常に集中して降る。年間平均降雨量は820mmであり、一年ごとにまるで前年からかけ離れることがある[2]。降雪は非常に珍しい。
面積62.92平方kmのグラン・リュー湖はほぼ全体がこのコミューンに属している。湖は勾配の少ない地形にあるため水深が浅く、表面は浮き草で覆われている。
由来
[編集]サン=フィルベール=ド=グラン=リューの名称は、トゥルニュの聖フィリベールに由来する。聖フィリベールはアキテーヌの貴族の出身で、ペイ・ド・レを伝道した人物である。彼はノワールムーティエ修道院の創設者である。町はかつてDéasの名で知られていた。おそらくこの名称はガロ=ローマ時代の名称である[3]。9世紀中にノワールムーティエ修道院の修道士たちがやってきてこの土地に定着する間に、この聖人の名がとられたのだろう。グラン=リューとは、町に近接するグラン・リュー湖よりとられている。
1258年にはSanctus Phelibertus de Grandi Lacu、1265年にはS. Ph. de Grandi Loco、1362年にはSeint Philiberd de Gran Leuとの名で記されている。
歴史
[編集]ガロ=ローマ時代に起源を持つこの町は、最初はDéasと呼ばれていた。町はマグノボドゥス(Magnobodus)からポワティエ司教アンソアルド(Ansoald)に与えられ、次はノワールムーティエ修道院を支援するトゥルニュの聖フィリベールへと与えられた。コミューンの名は事実上、675年にノワールムーティエ修道院を創設した聖フィリベールにちなんでいる。9世紀にはノワールムーティエ修道院の修道士たちがこの地に定住した。彼らはこの地に新たな修道院(現在のサン・フィルベール・ド・グラン・リュー修道院)をつくった。この修道院は国内でも古くからある修道院の1つで、836年には聖フィリベールの聖遺物も移された。
847年にノルマン人が襲来した際に修道院は略奪され、修道士たちが本堂を再建した。これが現在我々が目にしている建物である。858年に再びノルマン人が襲撃したが、この時には修道士たちは聖遺物を抱えて避難している。修道士たちは11世紀にDéasに戻ったが、ブルゴーニュに避難していた聖遺物の帰還は1937年まで待たねばならなかった。
聖フィリベールの聖遺物は常にトゥルニュにある。聖遺物の灰を含む小さな筒は、ヴァンデのボーヴォワール=シュル=メールに聖フィリベールの像に祝福しに行った修道士アンリによって、Déasの、今も残るサルコファガスにもたらされたものである。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2010年 |
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3239 | 3341 | 3633 | 4255 | 5159 | 6251 | 7312 | 8061 |
参照元:1999年までEHESS[4]、2000年以降INSEE[5][6]
経済
[編集]サン=フィルベール=ド=グラン=リューはブドウ畑のある土地である。この土地でつくられるミュスカデはミュスカデ・コート・ド・グランリュー(Muscadet-côtes-de-grandlieu)の名で1994年よりAOC登録されている。そしてグロ・プラン・デュ・ペイ・ナンテ(Gros-plant-du-pays-nantais)は2011年までVDQSワインであった。