コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

コナゴールド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コナゴールド
2009年のケンタッキーホースパークでのコナゴールド
2009年のケンタッキーホースパークでのコナゴールド
欧字表記 Kona Gold[1][2]
品種 サラブレッド[1][2]
性別
毛色 鹿毛
生誕 1994年3月19日[1][2]
死没 2009年9月25日[1][2]
Java Gold
Double Sunrise
母の父 Slew o' Gold
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Carlos Perez[1][2]
馬主 Bruce Headley, Irwin Molasky and Andrew Molasky[1][2]
調教師 Bruce Headley(アメリカ[1][2]
競走成績
生涯成績 30戦14勝[1]
獲得賞金 2,293,384ドル[1]
テンプレートを表示

コナゴールドKona Gold1994年3月19日 - 2009年9月25日)は、アメリカ合衆国競走馬2000年ブリーダーズカップ・スプリントに優勝し、同年のエクリプス賞最優秀短距離馬に選出された。

経歴

[編集]
  • 特記がない限り、馬場はすべてダートコース。重賞格付けは施行当時のもの。

出自

[編集]

ケンタッキー州ラグレーンジの生産者、カルロス・ペレスの持つトワイライトファームで生産されたサラブレッドの牡馬である。1995年9月にキーンランドイヤリングセールに出品されたコナゴールドは、ここで後に調教師を務めるブルース・ヘッドリー、およびアンドリュー・モラスキーとアーウィン・モラスキーの3名によって35,000ドルで落札された[1][3]

4歳時(1998年)

[編集]

コナゴールドのデビューは非常に遅く、4歳になった1998年5月31日が初出走となった。未勝利戦(ハリウッドパーク・6.5ハロン)でデビューして2着であった[4]。続くデルマー競馬場での未勝利戦(7月26日・6.5ハロン)で2着馬に15馬身差をつけての初勝利を手にすると[5]、その次の一般戦(8月15日・デルマー・6ハロン)では7馬身差での連勝、9月5日のオプショナルクレーミング競走(デルマー・6ハロン)でも6馬身半差と圧倒的パフォーマンスで3連勝を遂げた[6]

10月17日に初のグレード競走としてアンシェントタイトルブリーダーズカップハンデキャップ(G3・サンタアニタパーク・6ハロン)に出走したが5着に敗れたが、続く11月7日のブリーダーズカップ・スプリント(G1・チャーチルダウンズ・6ハロン)では勝ち馬リレイズから2馬身差の3着と健闘した[4]

5歳時(1999年)

[編集]

年初の1月3日、コナゴールドはサンタアニタパークのエルコネホハンデキャップ(L・5.5ハロン)に出走し、2馬身1/4差でこれに優勝、初のステークス競走勝ちを収めた[7]

しかし、この年はそれが最後の勝利となってしまった。続くパロスベルデスハンデキャップ(G2・1月30日・サンタアニタパーク・6ハロン)で2着、その次のサンカルロスハンデキャップ(G2・3月6日・サンタアニタパーク・7ハロン)でも2着、休養を挟んで10月17日に迎えたアンシェントタイトルブリーダーズカップハンデキャップ(G2)でもまた2着と惜敗が続いた[4]。年内最後に挑んだブリーダーズカップ・スプリント(G1・11月6日・ガルフストリームパーク)ではアータックス英語版相手に半馬身差でまたもや2着と敗れ、その年を終えた[8]

6歳時(2000年)

[編集]

この年はコナゴールドにとって最良の年となった。年内初戦は1月29日のパロスベルデスハンデキャップ(G2)に挑み、2着馬ビッグジャグに2馬身差をつけて優勝、6歳にして初の重賞勝ちを収めた[9]。続くサンカルロスハンデキャップ(G2・3月4日)こそ2着に取りこぼすが、4月8日のポトレログランデブリーダーズカップハンデキャップ(G2・サンタアニタパーク・6.5ハロン)で勝ちを手にすると、その先のビングクロスビーブリーダーズカップハンデキャップ(G2・7月29日・デルマー・6ハロン)、アンシェントタイトルブリーダーズカップハンデキャップ(G2・10月14日)と重賞3連勝を挙げた[4]

この年チャーチルダウンズ競馬場で行われたブリーダーズカップ・スプリント(G1・11月4日)において、コナゴールドは最終単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持されていた[10]。スタートが切られるとコナゴールドは先行集団につけて進み、半分を過ぎた時点で先頭を走るコーラーワンのすぐ後方に位置取っていた。最後の直線でコーラーワンを追い抜き、追い上げてきたオネストレディを半馬身差抑え込んでゴール、3度目の挑戦にして初のG1戴冠となった[10]。勝ちタイムの1分07秒77は、チャーチルダウンズ競馬場6ハロンのトラックレコードを塗り替えるものでもあった[11]

これらの成績により、翌年1月30日のエクリプス賞選考において、コナゴールドは2000年の最優秀短距離馬として選出された[12]

7歳以降(2001-2003年)

[編集]

コナゴールドは9歳まで競走生活を送った。7歳時(2001年)は初戦のサンカルロスハンデキャップ(G1・3月4日)でトップハンデの125ポンドを背負いながらも優勝した[13]。さらにポトレログランデブリーダーズカップハンデキャップ(G2・4月1日)とビングクロスビーブリーダーズカップハンデキャップ(G2・7月22日)をそれぞれ連覇して連勝記録を7に伸ばした。しかし同年調子がよかったのはここまでで、続くアンシェントタイトルブリーダーズカップハンデキャップ(G2・10月6日)はスウェプトオーヴァーボード相手に2着に取りこぼすと、本番のブリーダーズカップ・スプリント(G1・10月27日・ベルモントパーク)では7着と大敗、年内最終戦のフランク・J・ドフランシス記念ダッシュステークスでも4着に終わっている。

2002年は3戦1勝。この年もブリーダーズカップ・スプリントに出走(4着)しており、ブリーダーズカップシリーズで同一競走に5年連続で出走したのはコナゴールドが初となった[1]。2003年は4戦1勝で、この年7月に競走生活からの引退を発表した[14]

引退後

[編集]

引退後のコナゴールドはカリフォルニア州のヘッドリーの牧場に繋養され、ヘッドリーの日頃の乗用馬などを務めていた[1]。その後2007年、以前より引き取りの申し出があったケンタッキーホースパークにある「レジデント・オブ・ザ・ホール・オブ・チャンピオン」に移り住み、余生を過ごした。2009年9月25日、コナゴールドはパドックで右前肢を骨折、このため安楽死の処置がとられた[3][15]

コナゴールドが2回制したポトレログランデハンデキャップは、後年その功績を称えて2014年より「コナゴールドハンデキャップ」に改名されている[1]

血統表

[編集]
コナゴールド血統 (血統表の出典)[§ 1]

Java Gold
鹿毛 1984 アメリカ
父の父
Key to the Mint
鹿毛 1969 アメリカ
Graustark Ribot
Flower Bowl
Key Bridge Princequillo
Blue Banner
父の母
Javamine
鹿毛 1973 アメリカ
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
Dusky Evening Tim Tam
Home by Dark

Double Sunrise
鹿毛 1988 アメリカ
Slew o' Gold
鹿毛 1980 アメリカ
Seattle Slew Bold Reasoning
My Charmer
Alluvial Buckpasser
Bayou
母の母
How High the Moon
鹿毛 1983 アメリカ
Majestic Light Majestic Prince
Irradiate
Clear Ceiling Bold Ruler
Grey Flight
母系(F-No.) グレイフライト牝系(FN:5-f) [§ 2]
5代内の近親交配 Ribot 4x5, Tom Fool 5x5, Hill Prince5x5 [§ 3]
出典
  1. ^ [16]
  2. ^ [16]
  3. ^ [16]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Avalyn Hunter. “Kona Gold (horse)”. American Classic Pedigrees. 2021年2月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g Kona Gold”. Kentuchy Horse Park. 2021年2月19日閲覧。
  3. ^ a b Kona Gold Bio”. Kentuchy Horse Park. 2021年2月19日閲覧。
  4. ^ a b c d Horse Profile for Kona Gold”. equibase.com. 2021年2月19日閲覧。
  5. ^ MAIDEN SPECIAL WEIGHT”. equibase.com (1998年7月26日). 2021年2月19日閲覧。
  6. ^ OPTIONAL CLAIMING”. equibase.com (1998年9月5日). 2021年2月19日閲覧。
  7. ^ El Conejo H. Listed”. equibase.com (1999年1月3日). 2021年2月19日閲覧。
  8. ^ Breeders' Cup Sprint Grade 1”. equibase.com (1999年11月6日). 2021年2月19日閲覧。
  9. ^ Palos Verdes H. Grade 2”. equibase.com (2000年1月29日). 2021年2月19日閲覧。
  10. ^ a b Breeders' Cup Sprint Grade 1”. equibase.com (2000年11月4日). 2021年2月19日閲覧。
  11. ^ Kona Gold Sets Track Record in Breeders' Cup Sprint”. Blood Horse (2000年11月4日). 2021年2月19日閲覧。
  12. ^ Leslie Deckard (2001年1月30日). “Eclipse Awards: Sprinter: Kona Gold”. Blood Horse. 2021年2月19日閲覧。
  13. ^ San Carlos H. Grade 1”. equibase.com (2001年3月4日). 2021年2月19日閲覧。
  14. ^ Margaret Ransom (2003年7月27日). “Champion Sprinter Kona Gold Retired”. Blood Horse. 2021年2月19日閲覧。
  15. ^ Erin Ryder (2009年9月25日). “Champion Kona Gold Euthanized”. Blood Horse. 2021年2月19日閲覧。
  16. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Kona Gold(USA)”. JBISサーチ. 2021年2月19日閲覧。