グロームキイ (駆逐艦・3代)
グロームキイ | |
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写真は同型艦のラズームヌイ | |
基本情報 | |
建造所 | レニングラードの造船所 |
運用者 | ソビエト連邦海軍 |
艦種 | 駆逐艦 |
級名 | グネフヌイ級駆逐艦 |
艦歴 | |
起工 | 1936年4月29日 |
進水 | 1937年12月6日 |
就役 | 1938年12月31日 |
その後 | 1957年10月10日核実験の標的艦として沈没 |
要目 | |
排水量 | 1,612トン |
全長 | 370ft 1in(112.8m) |
最大幅 | 33ft 6in(10.2m) |
吃水 | 15ft 9in(4.8m) |
機関 | 蒸気タービン 2基 |
推進 | スクリュープロペラ 2軸 |
最大速力 | 38ノット(70km/h) |
乗員 | 236名 |
兵装 |
130mm単装砲 4門 76.2mm対空機関砲 2門 45mm対空機関砲 2門 12.7mm対空機関銃 2門 21インチ3連装魚雷発射管2門 爆雷25発 |
グロームキイ (ロシア語:ромкий「大声」の意)は、1930年代後半に建造されたソ連海軍のグネフヌイ級駆逐艦。
艦歴
[編集]レニングラードの造船所190号にて1936年4月29日に起工、1937年12月6日に進水、1938年12月31日に就役した。 バルチック艦隊に配属された後、1939年初頭に白海・バルト海運河経由で北方艦隊に転属した[1]。フィンランドとの冬戦争中、同型艦グローズヌイとともにペツァモ沖に機雷を敷設した[2]。
1941年6月22日、ドイツのソ連侵攻であるバルバロッサ作戦が開始された際、グロームキイはポリャールヌイを母港とした。7月14日のドイツ軍によるムルマンスク攻略(白金狐作戦)の際、同型艦ストレミーテリヌイおよびグレミャーシチイとともにザーパドナヤ・リッツァ川河口の西側に上陸する部隊を援護した。9月10日から15日にかけて、グロームキイと第1駆逐艦隊(グレミャーシチイ、ソクルシーテリヌイ、グローズヌイ)は、イギリスの機雷敷設艦アドヴェンチャーから提供された機雷を用いてルイバチー半島沖に2つの機雷原を敷設した。10月20日から29日にかけて、グロームキイはザーパドナヤ・リッツァ川近くのドイツ軍基地を砲撃した。11月14日、グロームキイとグレミャーシチイはイギリスの軽巡洋艦および駆逐艦2隻と合流し、ドイツが占領するノルウェーのヴァードーを砲撃し、護送船団(PQ3船団)と合流してアルハンゲリスクまで護衛した。
1942年1月に改装した後、グローズヌイとともに軽巡洋艦ナイジェリアを護衛し、2月20日にPQ11船団と合流したが、強い嵐のため帰港を余儀なくされた。3月1日から4日にかけてはPQ8船団を援護したが悪天候により4名の乗組員が船外に投げ出され、さらに翌日には燃料切れとなり、グローズヌイにより燃料を補給された。3月30日には大破した軽巡洋艦トリニダードと駆逐艦エクリプスの船団を護衛した。5月6日、非常に強い嵐により甲板や船首の側面に亀裂が生じ、大きな損傷を負った。応急修理後、グロームキイは正式な修理を始めるために6月20日にセヴェロドヴィンスクに到着した[3]。
修理後、グロームキイは11月22日に嵐により沈没したソクルシーテリヌイの乗組員を救助したが、その際に再度船体に損傷を負った。再修理は11月29日から1943年1月25日まで続いた。2月以降、グロームキイはムルマンスクと白海の間の護送船団を護衛した。3月27から28および30日から31日にかけてはバクーおよびグローズヌイとともにノルウェー沿岸でドイツ軍の補給艦を迎撃しようとしたが失敗に終わった。その後RA54船団、JW54A船団、RA55船団、JW56A船団、RA56船団、RA58船団などを護衛し、3月6日に赤旗勲章を受章した[4][5]。
戦後、グロームキイは1948年3月27日から1954年12月31日までの長期にわたる近代化を経て、1956年12月27日に試験船OS-3として再配備された。その後1957年9月7日のノヴァヤゼムリャにて核実験の標的とされ、10月10日に沈没した[6]。
脚注
[編集]注釈
[編集]脚注
[編集]- Berezhnoy, Sergey (2002) (ロシア語). Крейсера и миноносцы. Справочник [Guide to Cruisers and Destroyers]. Moscow: Voenizdat. ISBN 5-203-01780-8
- Budzbon, Przemysaw (1980). “Soviet Union”. In Chesneau, Roger. Conway's All the World's Fighting Ships 1922–1946. Greenwich, UK: Conway Maritime Press. pp. 318–346. ISBN 0-85177-146-7
- Hill, Alexander (2018). Soviet Destroyers of World War II. New Vanguard. 256. Oxford, UK: Osprey Publishing. ISBN 978-1-4728-2256-7
- Platonov, Andrey V. (2002) (ロシア語). Энциклопедия советских надводных кораблей 1941–1945 [Encyclopedia of Soviet Surface Ships 1941–1945]. Saint Petersburg: Poligon. ISBN 5-89173-178-9
- Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939–1945: The Naval History of World War Two (Third Revised ed.). Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2
- Rohwer, Jürgen & Monakov, Mikhail S. (2001). Stalin's Ocean-Going Fleet. London: Frank Cass. ISBN 0-7146-4895-7
- Yakubov, Vladimir & Worth, Richard (2008). “The Soviet Project 7/7U Destroyers”. In Jordan, John & Dent, Stephen. Warship 2008. London: Conway. pp. 99–114. ISBN 978-1-84486-062-3
参考文献
[編集]- Balakin, Sergey (2007) (ロシア語). Легендарные "семёрки" Эсминцы "сталинской" серии [Legendary Sevens: Stalin's destroyer series]. Moscow: Yauza/Eksmo. ISBN 978-5-699-23784-5
- Whitley, M. J. (1988). Destroyers of World War 2. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-326-1