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クロバナウマノミツバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クロバナウマノミツバ
岩手県北上山地 2024年5月下旬
分類APG IV
: 植物界 Plantae
階級なし : 被子植物 Angiosperms
階級なし : 真正双子葉類 Eudicots
階級なし : キク上類 Superasterids
階級なし : キク類 Asterids
階級なし : キキョウ類 Campanulids
: セリ目 Apiales
: セリ科 Apiaceae
: ウマノミツバ属 Sanicula
: クロバナウマノミツバ
S. rubriflora
学名
Sanicula rubriflora F.Schmidt (1859)[1]
和名
クロバナウマノミツバ(黒花馬の三葉)[2][3]

クロバナウマノミツバ(黒花馬の三葉、学名:Sanicula rubriflora)は、セリ科ウマノミツバ属多年草。日本では岩手県長野県に隔離分布し、山地の林内にまれに生える。大きい葉状の総苞片は対生し、更に3全裂し、暗紫色のが小散形花序につく[2][3][4]

特徴

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根茎は暗黄褐色で、長さ3cmになる。は根茎に周囲に多数生え、長さ20cmになる[5]は単一で直立し、分枝しないで花茎状になり、高さは20-50cmになる。根出葉はかなり大きく、径4-10cmの腎心形になり、3全裂して側裂片がさらに2深裂し、先は3浅裂する。縁に粗い鋸歯があり、葉柄は長さ10-30cmになる。茎の頂部に2個1対の大きな葉状の総苞片が無柄でつき、3全裂して茎をかこむ。6片になる総苞片の裂片は倒披針形になり、先は3浅裂し、縁に鋭い鋸歯がある[2][3][4]

花期は5-7月。6片の葉状の総苞片の間から長さ3-6cmになる花柄を3個だし、先端に小散形花序をつける。小散形花序の基部に小総苞片がつき、線状披針形-線状倒披針形で5-7個あり、長さ1-2cm、小散形花序より長く、全縁で平開する。は暗紫色になり、1-3個の両性花と15-20個の雄花からなり、小花柄は長さ1-2mmかほとんど無柄で丸く密生し、扁球形になる。花弁は5個あり内側に巻く。片は5個あり、卵状披針形になり上を向く。果実は短円錐形になり、長さ3-4mm、先端が鉤状に曲がった硬い刺毛をつける。染色体数は2n=16[2][3][4][5]

分布と生育環境

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日本では、本州の岩手県長野県に隔離分布し、山地の草地などにまれに生育する[2][3][4]。世界では、朝鮮半島中国大陸(東北部)、モンゴル、ウスリー、アムールに分布する[3][4]

名前の由来

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和名クロバナウマノミツバは、「黒花馬の三葉」の意[2][3]、花弁が黒味を帯びていることによる[3]としてはドイツ人の植物学者であるフリードリッヒ・カール・シュミット (1859) によって記載されていたが、盛岡高等農林学校の澤田兼吉ら (1907) によって岩手県姫神山で採集され、日本新産とされ、澤田兼吉[注釈 1]によって和名「くろばなうまのみつば」が『植物学雑誌』に掲載された[5]

種小名(種形容語)rubriflora は、「赤い花の」の意味[8]

種の保全状況評価

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国(環境省)のレッドデータブックレッドリストの選定はない。都道府県のレッドデータ、レッドリストの選定状況は、岩手県がBランク、長野県が準絶滅危惧 (NT)となっている[9]

ギャラリー

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近縁種

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本種と近縁のに、フキヤミツバ Sanicula tuberculata Maxim. (1867)[10]がある。本州の東海地方以西、四国、九州、朝鮮半島南部に分布する。根出葉は径1.5-4cmの五角形状腎円形で3全裂し、側裂片がさらに2深裂し、葉柄は長さ5-12cmになる。花茎状の茎は高さ8-20cmになる。茎の頂部に1対の葉状の総苞片が対生し、各片がさらに2-3深裂する。総苞片は根出葉よりはやや小さい。対生する総苞片から2-3個の小散形花序をだし、10数個の緑色の小さな花をつける。小総苞片は数個あり、狭披針形で、長さ4-10mmになり、平開する。果実は太く短く、長さ4.5mm、先端が鉤状にならい太い刺毛をつける。花期は4-5月。染色体数は2n=8。和名の由来は「吹屋三葉」で、最初の発見地が、岡山県川上郡成羽町(現、高梁市吹屋であったことによる。まれな植物で、国(環境省)の絶滅危惧II類(VU)に評価されている[2][4][11][12]

脚注

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注釈

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  1. ^ 澤田兼吉:さわだかねよし (1883 – 1950)、日本の菌学者。岩手県生まれ、盛岡高等農林学校勤務を経て、のちに台北帝国大学教授を務めた[6][7]

出典

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  1. ^ クロバナウマノミツバ 「BG Plants 和名−学名インデックス」(YList)
  2. ^ a b c d e f g 『山溪ハンディ図鑑2 山に咲く花(増補改訂新版)』p.464
  3. ^ a b c d e f g h 『新分類 牧野日本植物図鑑』p.1241
  4. ^ a b c d e f 鈴木浩司 (2017)『改訂新版 日本の野生植物5』「セリ科」p.386
  5. ^ a b c 澤田兼吉「盛岡地方採集所見」『植物学雑誌 (The Botanical Magazine)』第21巻第247号、東京植物学会、1907年、220-221頁、doi:10.15281/jplantres1887.21.247_220 
  6. ^ 植物標本室、岩手大学ミュージアム
  7. ^ 司書官でもあった菌学者、澤田兼吉が著した本、Discomycetes ets.
  8. ^ 『新分類 牧野日本植物図鑑』p.1511
  9. ^ クロバナウマノミツバ、日本のレッドデータ検索システム、2024年9月1日閲覧
  10. ^ フキヤミツバ 「BG Plants 和名−学名インデックス」(YList)
  11. ^ 『新分類 牧野日本植物図鑑』p.1242
  12. ^ 『原色日本植物図鑑・草本編II(改訂53刷)』p.7

参考文献

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