カンボジアの首相
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カンボジア王国 首相 នាយករដ្ឋមន្ត្រីនៃព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា | |
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国章 | |
呼称 | His Excellency(閣下) |
所属機関 | 内閣 王室評議会 |
担当機関 | カンボジア王国政府 |
庁舎 | 平和宮殿 |
任命 | 国王 (ノロドム・シハモニ) |
任期 | 5年 |
根拠法令 | カンボジア王国憲法 |
初代就任 | ノロドム・シハヌーク |
創設 | 1945年3月18日 |
職務代行者 | 副首相 |
俸給 | 10,000,000KHR[1] |
ウェブサイト | Prime Minister of Cambodia |
カンボジアの首相(カンボジアのしゅしょう)は、カンボジアの政府の長たる首相。
概要
[編集]議院内閣制であるため、出馬条件として国会議員及び議会での過半数の賛成を得なければ、就任はできない。権限は以下の通りである。行政権はフン一族が1985年から握っている。
主な権限
[編集]- 閣僚評議会の議長として、会合を主宰する。
- 王室評議会の長として、王室評議会から国王を選出し、内政に責任を負う。
- 首相率いる閣僚評議会は可決される予定の法案を憲法評議会に付託し、検討する権利を持つ。いずれは審査のために、法案を憲法評議会に提出しなければならない。
- 首相率いる閣僚評議会は月に2回、国王に国政の状況を報告しなければならない。
- 首相は国王に議会解散を提案することができ、国民議会議長の同意を受ければ、解散が可能。
- 首相の要請によって、議会の常設委員会を通じて、議会を招集できる。
歴代の首相
[編集]カンボジア王国
[編集]カンボジア王国民族連合政府
[編集]代 | 名前 | 就任日 | 退任日 | 出身党派 | 備考 | 元首 | |
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1 | ペン・ヌート | 1970年5月5日 | 1976年1月5日 | カンボジア民族統一戦線 | 再任 | ノロドム・シハヌーク (国家元首) |
クメール共和国
[編集]代 | 名前 | 就任日 | 退任日 | 出身党派 | 備考 | 元首 | |
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1 | ロン・ノル | 1970年10月9日 | 1972年3月11日 | 軍人 | チェン・ヘン(国家元首) | ||
2 | シリク・マタク | 1972年3月11日 | 1972年3月18日 | 王族 | シハヌークの従兄 | ||
3 | ソン・ゴク・タン | 1972年3月18日 | 1972年10月15日 | 自由クメール | ロン・ノル(大統領) | ||
4 | ハン・トゥン・ハク | 1972年10月15日 | 1973年5月6日 | 社会共和党 | |||
5 | イン・タム | 1973年5月6日 | 1973年12月9日 | 社会共和党 | |||
6 | ロン・ボレト | 1973年12月26日 | 1975年4月17日 | 社会共和党 | ロン・ノルの弟 |
民主カンプチア
[編集]代 | 名前 | 就任日 | 退任日 | 出身党派 | 備考 | 元首 | |
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1 | ペン・ヌート | 1975年4月17日 | 1976年4月4日 | カンボジア民族統一戦線 | ノロドム・シハヌーク (国家元首) | ||
- | キュー・サムファン | 1976年4月4日[2] | 1976年4月14日 | カンプチア共産党 | 首相代行 | ||
2 | ポル・ポト | 1976年4月14日 | 1976年9月27日 | カンプチア共産党 | キュー・サムファン (国家幹部会議長) | ||
- | ヌオン・チア | 1976年9月27日 | 1976年10月25日 | カンプチア共産党 | 首相代行 | ||
3 | ポル・ポト | 1976年10月25日 | 1979年1月7日[2] | カンプチア共産党 | 再任 |
民主カンプチア連合政府
[編集]代 | 名前 | 就任日 | 退任日 | 出身党派 | 備考 | 大統領 | |
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1 | ソン・サン | 1982年6月22日[3] | 1990年2月3日 | クメール人民民族解放戦線 | ノロドム・シハヌーク |
カンボジア国民政府
[編集]代 | 名前 | 就任日 | 退任日 | 出身党派 | 備考 | 大統領 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ソン・サン | 1990年2月3日[4] | 1992年10月23日 | クメール人民民族解放戦線 | ノロドム・シハヌーク |
カンプチア人民共和国
[編集]代 | 名前 | 就任日 | 退任日 | 出身党派 | 備考 | 元首[5] | |
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1 | ヘン・サムリン | 1979年1月7日 | 1981年6月27日 | カンプチア人民革命党 | ヘン・サムリン (人民革命評議会議長) | ||
2 | ペン・ソバン | 1981年6月27日 | 1981年12月7日 | カンプチア人民革命党 | ヘン・サムリン (国家評議会議長) | ||
- | チャン・シ | 1981年12月5日 | 1982年2月10日 | カンプチア人民革命党 | 首相代行 | ||
3 | チャン・シ | 1982年2月10日 | 1984年12月26日 | カンプチア人民革命党 | |||
4 | フン・セン | 1985年1月14日 | 1989年5月1日 | カンプチア人民革命党 |
カンボジア国
[編集]代 | 名前 | 就任日 | 退任日 | 出身党派 | 備考 | 元首[5] | |
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1 | フン・セン | 1989年5月1日 | 1993年7月2日 | カンボジア人民党 | ヘン・サムリン | ||
チア・シム |
カンボジア暫定国民政府
[編集]代 | 名前 | 就任日 | 退任日 | 出身党派 | 備考 | 元首 | |
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1 | ノロドム・ラナリット | 1993年7月2日 | 1993年9月24日 | フンシンペック党 | 共同首相 | ノロドム・シハヌーク | |
フン・セン | 1993年7月2日 | 1993年9月24日 | カンボジア人民党 |
カンボジア王国(王政復古以後)
[編集]代 | 名前 | 就任日 | 退任日 | 出身党派 | 備考 | 国王 | |
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1 | ノロドム・ラナリット | 1993年9月24日 | 1997年7月16日 | フンシンペック党 | 第1首相 | ノロドム・シハヌーク | |
ウン・フオト | 1997年7月16日 | 1998年11月30日 | フンシンペック党 | ||||
フン・セン | 1993年9月24日 | 1998年11月30日 | カンボジア人民党 | 第2首相[6] | |||
2 | フン・セン | 1998年11月30日 | 2023年8月22日 | カンボジア人民党 | 同国在職期間最長(38年)[7] | ||
ノロドム・シハモニ | |||||||
3 | フン・マネット | 2023年8月22日 | カンボジア人民党 | フン・センの息子 |
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ Taing, Rinith (3 April 2020). “Several ministers and officials pledge to donate salaries to fight coronavirus”. Khmer Times. 18 April 2020閲覧。
- ^ a b http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/1979/201/1979201DIA.html
- ^ http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/1982/201/1982201DIA.html
- ^ http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/1990/202/1990202DIA.html
- ^ a b 国家評議会議長
- ^ 1999年3月の憲法改正により、共同首相制を正式に廃止。
- ^ 大部俊哉 (2023年7月27日). “カンボジア首相退任、発展と独裁の38年 在任「世界最長」続く院政”. www.asahi.com. 朝日新聞デジタル. 2023年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月20日閲覧。