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カルロス・ザンブラーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルロス・ザンブラーノ
Carlos Zambrano
2012年4月14日
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 カラボボ州プエルト・カベージョ
生年月日 (1981-06-01) 1981年6月1日(43歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
275 lb =約124.7 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 アマチュア・フリーエージェントとしてシカゴ・カブスと契約
初出場 2001年8月20日 ブルワーズ戦(ダブルヘッダー第2試合)
最終出場 2012年9月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ代表
WBC 2006年2013年

カルロス・アルベルト・ザンブラーノ・マトス(Carlos Alberto Zambrano Matos, 1981年6月1日 - )は、ベネズエラ・ボリバル共和国カラボボ州プエルト・カベージョ出身の元プロ野球選手(投手)。右投両打。

ニックネームは "Big Z"。

経歴

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プロ入り前

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自分を含めて8人兄弟という大家族に生まれ、少年時代から野球に親しむ。当時は一塁手で、試合中に "Soy pequeño Mark McGwire!" (俺は小さなマーク・マグワイアだ!)などと叫んでいたという[1]。ただ、野球アカデミーなどに所属した経験はなく、当時は憧れのメジャーリーガーもいなかったと本人は語っている[2]

カブス時代

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1997年にカブスと契約。

2001年8月20日、ブルワーズとのダブルヘッダー第2戦に先発登板しメジャーデビュー。1か月後の9月20日、アストロズ戦でリリーフとして2/3イニングを投げ、メジャー初勝利を挙げた。

2002年は開幕をマイナーAAA級アイオワで迎えたが、その後すぐにメジャー昇格。7月1日以降は先発ローテーション入りする[3]

2003年は開幕からローテーションに定着。ケリー・ウッドマット・クレメントマーク・プライアーショーン・エステスに次ぐ5番手という立場ながら200イニングを投げ13勝を記録。

2004年には16勝・防御率2.75(リーグ4位)でチーム二冠となり、自身初のオールスター選出、さらにサイ・ヤング賞の投票では5位に。

2005年には開幕投手になった。その開幕戦で球審の判定に腹を立て「お前には眼鏡が必要だ」と暴言を吐いたことで退場処分を受けたザンブラーノだが[4]、このシーズンを通してエースとして活躍し14勝・防御率3.26・202奪三振を記録、投球3部門でチームトップとなった。

2006年開幕前の3月に第1回WBCベネズエラ代表に選出された[5]。初戦・ドミニカ共和国戦での登板を希望したが、同じ先発投手のヨハン・サンタナもまた、その試合で投げることを望んだため、サンタナが先発しザンブラーノが救援することに。その試合ではエイドリアン・ベルトレに3点本塁打を浴びたが、ザンブラーノはこの試合を大会で一番の思い出に挙げ、次回大会への出場も希望した[6]

シーズンでは、7月中に6勝を挙げ、月間防御率が4.15ながら月間最優秀投手賞を受賞。9月4日の登板では背中を痛めたが、サイ・ヤング賞受賞の可能性があることを理由にその後も強行出場を続けた[7]。この年はチームが地区最下位に沈むなか、与四球がリーグ最多ながらシーズン通算16勝を挙げ、自身初タイトルとなる最多勝(他5投手とのタイ)を獲得。サイ・ヤング賞の投票では5位に入った。

2007年は、シーズン開幕前に「今年はオレがサイ・ヤング賞を獲る。そして、カブスはワールドシリーズで優勝。このオレが保証する」と宣言[8]。しかしこの年、ザンブラーノはトラブルに見舞われる。まず、6月1日のブレーブス戦において、捕逸暴投で失点したことに怒り、ベンチやクラブハウスで捕手マイケル・バレットと殴り合いを起こす。この件については同月20日、最終的にバレットがパドレストレードで放出されることになった。また、9月3日のドジャース戦では4.1回8失点で降板。ファンは8月以降勝ち星のなかったザンブラーノにブーイングを浴びせ、これに対しザンブラーノは罵り言葉を発しながらベンチへ。翌日に謝罪したが、評判を落としてしまった[9]。結局、この年は自己最多の18勝を挙げたが、奪三振率やWHIPが前年から低下し、サイ・ヤング賞の投票では2年連続の5位。チームは前年の最下位から地区優勝しポストシーズンへ進出したが、地区シリーズで敗退。8月17日には5年総額9,150万ドルで契約を延長するなど[10]明るい話題もあったが、自身もチームも開幕前の宣言通りにはならなかった。

2008年7月9日

2008年はザンブラーノ本人によると球速が出ず、93、94mph(約149.7 - 151.3km/h)が精一杯だったという[11]。3・4月と5月の2か月連続で月間防御率が2点台前半と好調だったが、6月に肩を痛めて故障者リスト入り[12]。復帰後の7月はいい成績を残していたものの、8月・9月は月間防御率が7点台まで落ち込む不振に陥り、9月2日の登板で肩を痛め次の登板を回避している[11]。シーズン投球回は6年ぶりに200を下回った。9月14日のアストロズ戦では4回にミゲル・テハダに四球を与え、完全試合を逃すもノーヒッターを達成。2年連続出場のポストシーズンでは再び地区シリーズで敗退。ザンブラーノも同シリーズで敗戦投手となり、またもチームを世界一に導くことができなかった。さらに、この右肩痛が原因で、前述の通り参加を希望していた第2回WBCも出場辞退ということになった[13]

2011年8月12日のアトランタ・ブレーブス戦で危険球退場となった後、「引退する」と言い残して、無断でロッカーを整理して帰宅・失踪する騒動を起こし、球団から30日の資格停止処分を受け、そのままシーズンを終えた。2年の契約が残っているも退団は確実とされていたが、2011年8月15日の地元テレビの取材に「またカブスで投げたい。カブスが迎え入れてくれるなら、再びチームに戻る。心の底から、永遠にカブスの一員になる」と発言した[14]

マーリンズ時代

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2012年1月5日、クリス・ボルスタッドとのトレードによる、マイアミ・マーリンズへ移籍が発表された。2012年の年俸約1,800万ドルのうち250万ドルをマーリンズが負担し、2013年分やトレード拒否条項についてはザンブラーノが放棄した。オフにFAとなった。

2013年開幕前の3月に第3回WBCのベネズエラ代表に選出され[15]、2大会振り2度目の選出を果たした。

フィリーズ傘下時代~現役引退

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2013年5月17日、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約したが、7月にDFAとなる。11月から、ベネズエラのウィンターリーグに参加した。

2014年9月5日に引退を表明した[16]

現役復帰

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2018年7月5日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルユカタン・ライオンズと契約し現役復帰。しかし、8月14日に解雇となった。オフはベネズエラのウィンターリーグでプレー。

2019年4月16日に独立リーグ・アメリカン・アソシエーションシカゴ・ドッグス英語版と契約。2020年1月17日に二度目の現役引退を表明した。

選手としての特徴

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2008年7月10日のシンシナティ・レッズ戦において、マイケル・ワーツの代打として打席に向かうザンブラーノ。本拠地リグレー・フィールドのファンは拍手喝采で迎えたが、結果は投ゴロに終わった

投球

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最速101mph(約162km/h)のフォーシーム・ファストボール[17]ツーシームシンカー)、スライダーカーブSFFを持つ。ツーシームは簡単にフライを打ち上げることができないため「ヘビーシンカー」と呼ばれる[11]

2004年から3年連続で奪三振率でリーグ10位以内に入ったが、本人は「私はストライクアウト・マンではない。グラウンドボール・マンだ」と語っている[2]

打撃

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強打のスイッチヒッターとしても活躍しており、今まで30回代打として起用されたことがある。2008年にはオールスターゲーム前日に行われるホームランダービーに出場すべきと言う声もあった[18]。2005年は80打数24安打打率.300を記録。2006年は73打数11安打・打率.151ながら6本塁打を放ち、ファーガソン・ジェンキンス1971年に記録した投手による本塁打の球団記録に並ぶ[19]とともにシルバースラッガー賞を初受賞。同賞は83打数28安打で打率.337を記録した2008年にも受賞した。

通算成績は、打率.238、24本塁打、71打点、OPS.636。24本塁打は投手としては2014年時点で歴代9位タイ。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2001 CHC 6 1 0 0 0 1 2 0 0 .333 42 7.2 11 2 8 0 1 4 1 0 13 13 15.26 2.48
2002 32 16 0 0 0 4 8 0 0 .333 477 108.1 94 9 63 2 4 93 6 0 53 44 3.66 1.45
2003 32 32 3 1 0 13 11 0 0 .542 907 214.0 188 9 94 12 10 168 6 1 88 74 3.11 1.32
2004 31 31 1 1 0 16 8 0 0 .667 887 209.2 174 14 81 4 20 188 6 2 73 64 2.75 1.22
2005 33 33 2 0 0 14 6 0 0 .700 909 223.1 170 21 86 3 8 202 7 0 88 81 3.26 1.15
2006 33 33 0 0 0 16 7 0 0 .696 917 214.0 162 20 115 4 9 210 9 1 91 81 3.41 1.29
2007 34 34 1 0 0 18 13 0 0 .581 925 216.1 187 23 101 4 14 177 3 0 100 95 3.95 1.33
2008 30 30 1 1 0 14 6 0 0 .700 796 188.2 172 18 72 1 6 130 4 0 85 82 3.91 1.29
2009 28 28 1 1 0 9 7 0 0 .563 733 169.1 155 10 78 6 9 152 7 0 78 71 3.77 1.38
2010 36 20 0 0 0 11 6 0 4 .647 571 129.2 119 7 69 0 6 117 7 1 55 48 3.33 1.45
2011 24 24 0 0 0 9 7 0 0 .563 634 145.2 154 19 56 4 5 101 1 0 80 78 4.82 1.44
2012 MIA 35 20 1 1 0 7 10 0 2 .412 591 132.1 123 9 75 1 10 95 1 0 75 66 4.49 1.50
MLB:12年 354 302 10 5 0 132 91 0 6 .592 8389 1959.0 1709 161 898 41 102 1637 58 5 879 797 3.66 1.33
  • 太字はリーグ1位。

獲得タイトル・表彰・記録

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諸記録

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背番号

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  • 38 (2001年 - 2012年)

代表歴

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脚注

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  1. ^ Tim Keown, "Crazy Good / Carlos Zambrano is a smack-talking, bat-breaking, finger-pointing hothead. If he learns to hold back, will he still be one of baseball's best young pitchers?," ESPN The Magazine. 2008年12月14日閲覧。
  2. ^ a b 保住紘一 「独占インタビュー/第4の男 カルロス・ザンブラーノ[カブス]」 『月刊スラッガー』2004年8月号、日本スポーツ企画出版社、2004年、雑誌15509-8、67-69頁。
  3. ^ "Carlos Zambrano 2002 Pitching Gamelogs," Baseball-Reference.com. 2008年12月14日閲覧。
  4. ^ Carrie Muskat / MLB.com, "Zambrano ejected in fifth inning / Starter pulled after 4 2/3, then tossed for choice words," cubs.com, April 4, 2005. 2008年12月14日閲覧。
  5. ^ 2006 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月3日閲覧 [リンク切れ]
  6. ^ 澤田敏典 「新連載 WBCにかける思い ベネズエラ編」 『月刊スラッガー』2008年6月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-6、64-65頁。
  7. ^ 「NATIONAL LEAGUE サイ・ヤング賞 その他の候補たち File:018 カルロス・ザンブラーノ[CHC #38]」 『月刊スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、20頁。
  8. ^ 出野哲也 「MLB30チーム最新レポート シカゴ・カブス/CHC ザンブラーノがサイ・ヤング賞宣言」 『月刊スラッガー』2007年5月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-5、75頁。
  9. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、318頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  10. ^ 1年あたり1,830万ドルという額は、複数年契約を結んだ投手としては当時のMLB史上最高となる。Associated Press, "Zambrano deal for five years, $91.5 million in Chicago," ESPN.com, August 18, 2007. 2008年12月14日閲覧。
  11. ^ a b c ナガオ勝司 「プレーバック・ノーヒッター カルロス・ザンブラーノ [カブス]」『メジャー・リーグ記録集計号 ザ・スタッツブック 2008』、ベースボールマガジン社、2008年、雑誌 20449-11/20、80 - 81頁。
  12. ^ "Cubs place right-handed pitcher Carlos Zambrano on 15-day disabled list / Recall infielder Eric Patterson from Triple-A," cubs.com, June 21, 2008. 2008年12月14日閲覧。
  13. ^ Carrie Muskat / MLB.com, "Zambrano will pass on Classic / Cubs ace may have Lasik eye surgery, cautious with shoulder," MLB.com, February 13, 2009. 2009年3月1日閲覧。
  14. ^ 資格停止のザンブラノ 引退撤回しカブス復帰懇願 https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/08/18/kiji/K20110818001431730.html
  15. ^ 2013 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月3日閲覧 [リンク切れ]
  16. ^ MLBTradeRumors.com 2014年11月18日閲覧
  17. ^ カブス3投手の比較『月刊スラッガー』2004年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、56頁。
  18. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、324頁頁。ISBN 978-4-331-51370-5 
  19. ^ 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、378頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  20. ^ AP, "Cubs' Zambrano leaves with back injury," ESPN.com. 2008年12月14日閲覧。
  21. ^ Associated Press, "Zambrano masters Astros en route to first no-hitter for Cubs in 36 years," ESPN.com. 2008年12月14日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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