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カサブランカ級航空母艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カサブランカ級航空母艦
カサブランカ(1943年7月撮影)。
カサブランカ(1943年7月撮影)。
基本情報
艦種 護衛空母
命名基準 湾、戦跡
建造所 カイザー造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
就役期間 1943年 - 1964年
同型艦 50
前級 サンガモン級
次級 コメンスメント・ベイ級
要目
基準排水量 8,319 トン
満載排水量 11,077 トン
全長 512フィート3インチ (156.13 m)
垂線間長 490フィート (150 m)
最大幅 108フィート (33 m)
吃水 満載:20フィート9インチ (6.32 m)
高さ 満載:41フィート7インチ (12.67 m)
主缶 B&W製ボイラー×4基
主機 スキナー式ピストン型ユニフロー蒸気機関
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 9,000馬力 (6,700 kW)
最大速力 19.25ノット (35.65 km/h)
航続距離 10,240海里 (18,960 km)/15ノット
乗員 858 名
兵装
搭載機 28 - 42機[1]
レーダー
その他 艦載機用エレベーター×2基
カタパルト×1基
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カサブランカ級航空母艦(カサブランカきゅうこうくうぼかん、英語: Casablanca-class escort carrier)は、アメリカ海軍護衛空母 (CVE) の艦級。当初、補助空母 (ACV) として建造され、イギリス海軍レンドリース貸与)される予定であったが、アメリカ海軍で運用された。

概要

[編集]
カイザー造船所で次々に建造されるカサブランカ級。(1943年4月5日、右端は竣工間近の「カサブランカ」。)

元来は、1942年にカイザー造船所の社長ヘンリー・J・カイザー英語版が提案した30隻建造のプランによる[2]。当初、アメリカ海軍はさほど相手にはしていなかったが、大統領フランクリン・ルーズベルトの肝いりもあって、6月に入ってカイザー造船所に50隻の建造が発注された[2]。カイザー造船所のドックおよび船台はもともとリバティ船建造用に建設されたものだったが、やがて戦車揚陸艦の建造も手がけ、最後にカサブランカ級の一括建造に取り掛かった。1943年7月8日に1番艦の「カサブランカ」が竣工してから、最終艦の「ムンダ」がちょうど一年後の1944年7月8日に竣工するまでの間、ほぼ一週間に1隻のペースで新造艦が送り出されたので「週刊空母」の異名を持つ[要検証]。カイザーは「ベビー空母」と呼んでいた[2]

前級のサンガモン級での経験により、艦載機を運用するに足りる最小限の規模で設計された。その構造も建造が比較的容易な商船型を採用し、既存商船の改装ではなく一からの新設計だったため無駄を極力排した艦となった。飛行甲板ボーグ級よりも余裕があったが、サンガモン級と同じく飛行甲板の位置はボーグ級と比べて低かった[2]。機関も安価で入手の容易なレシプロ機関を用いている。一方で抗甚性向上のため、護衛空母として初めて機関のシフト配置を採用する等、必ずしも「安かろう、悪かろう」の艦ではない。出力自体はボーグ級の蒸気タービン(1軸)と大差なかったが、排水量が少ない分最高速力は速かった[3]。にもかかわらず、カサブランカ級搭載のレシプロ機関は効率が悪く整備に手間がかかるという機関担当の乗員泣かせの代物で、評判はさっぱりだった[4]

防御は貧弱で、特に喫水線下の弾薬庫の位置に装甲等がなかったことは1943年11月24日の2番艦「リスカム・ベイ」の喪失につながった。「リスカム・ベイ」は、潜水艦「伊175」の魚雷がちょうど航空機用爆弾庫の位置に命中し、船体の後ろ半分が爆散して沈没した[5]。乗員が同じ箇所に集中していたため人的被害も甚大だった[6]。この件をきっかけにカサブランカ級の防御対策が見直された。内容としては、弾薬庫の周囲に燃料タンクを設置し、重油を満たしてショックを和らげるといったものである[7]

艦名は湾等の地名に由来するが、戦場となった地名を建造中の艦に付けることがしばしば行われた。また、就役当初、「セント・ロー」はミッドウェイ、「アンツィオ」はコーラル・シーの艦名だったが、建造中の大型空母一番艦三番艦(当初は二番艦)の艦名に用いるため、改名された。

カサブランカ級の存在により、アメリカ海軍艦隊や船団の赴くところほぼ全てで艦載機が存在するということになった。戦後、1947年にスクラップとして売却処分された艦もあるが、ほとんどの艦が予備役に入ってモスボール(不活性化)処理がなされた。予備役の艦は1955年に雑役空母 (CVU) やヘリコプター護衛空母 (CVHE) として復帰した。1960年に再び売却処分された艦があったものの、航空機輸送艦 (AKV) に転用される艦もあり、それらの艦は1965年まで現役であった。

戦歴

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砲撃を受ける「ホワイト・プレインズ」と発艦を急ぐ「キトカン・ベイ」(サマール沖海戦)。

カサブランカ級の戦歴のうち、サマール沖海戦は特筆すべきものである。1944年10月25日、カサブランカ級6隻を基幹とする第77任務部隊第4群第3群(第77.4.3任務隊。通称「タフィ3」。クリフトン・スプレイグ少将)はサマール島沖でレイテ湾突入を目指す日本海軍の栗田艦隊(第一遊撃部隊第一部隊および第二部隊)と遭遇。2時間の戦闘の末、駆逐艦2隻と護衛駆逐艦1隻に加え「ガンビア・ベイ」を撃沈された。さらにその後、「セント・ロー」が神風特別攻撃隊の突入を受け沈没し、「ホワイト・プレーンズ」「キトカン・ベイ」「カリニン・ベイ」も損傷を受けた。この少し前には、同第1群(第77.4.1任務隊。通称「タフィ1」。トーマス・L・スプレイグ少将)の「ペトロフ・ベイ」およびサンガモン級の「サンティー」「スワニー」にも特攻機が突入しており、わずか数時間の内に5隻もの護衛空母が沈没、または損傷した。

日本側の視点では、サマール沖海戦は戦艦大和」や特攻隊が初めて戦果を挙げた戦いとしてよく記憶される。しかし、アメリカ軍側から見ると少々様相が異なってくる。「タフィ3」との戦闘により、栗田艦隊は重巡3隻を喪失(1隻撃沈、2隻は航行不能の末に自沈処分)し、「大和」も魚雷をかわすため進路を大きく狂わされた。栗田艦隊は再集結にも手間取り、レイテ湾突入前に貴重な戦力と時間を消耗することになってしまい、「タフィ3」はハルゼー艦隊やオルデンドルフ艦隊の準備や到着までの貴重な時間を稼いだ。

この海戦が、その後の栗田艦隊「謎の反転」の一因となった。栗田艦隊が「タフィ3」を正規空母部隊と誤認していたという幸運もあったとはいえ、全滅さえ覚悟したという困難な戦況の中で「タフィ3」はよく善戦し、レイテ湾の裸同然の輸送船団と数万の将兵を救った。太平洋艦隊司令長官の任にあったチェスター・ニミッツ元帥は、後に「タフィ3」をはじめとする護衛空母群の健闘に最大級の賛辞を送った。カサブランカ級の一部は大西洋方面の戦いにも投入され、対潜掃討および船団護衛任務に従事し何隻かのUボートを撃沈する戦果を上げている。

同型艦

[編集]
Hull No. 艦名 起工 進水 就役 退役 戦没
CVE-55 カサブランカ
USS Casablanca
1942年11月03日 1943年04月05日 1943年07月08日 1946年06月10日
CVE-56 リスカム・ベイ
USS Liscome Bay
1942年12月09日 1943年04月19日 1943年08月07日 1943年11月24日
CVE-57 アンツィオ
USS Anzio
1942年12月12日 1943年05月01日 1943年08月27日 1946年08月05日
CVE-58 コレヒドール
USS Corregidor
1942年08月20日 1943年05月12日 1943年08月31日 1958年09月04日
CVE-59 ミッション・ベイ
USS Mission Bay
1943年12月28日 1943年05月26日 1943年09月13日 1958年09月01日
CVE-60 ガダルカナル
USS Guadalcanal
1943年01月05日 1943年06月15日 1943年09月25日 1946年07月15日
CVE-61 マニラ・ベイ
USS Manila Bay
1943年01月15日 1943年07月10日 1943年10月05日 1946年07月31日
CVE-62 ナトマ・ベイ
USS Natoma Bay
1943年01月17日 1943年07月20日 1943年10月14日 1946年05月20日
CVE-63 セント・ロー
USS St. Lo
1943年01月23日 1943年08月17日 1943年10月23日 1944年10月25日
CVE-64 トリポリ
USS Tripoli
1943年02月01日 1943年07月13日 1943年10月31日 1958年11月25日
CVE-65 ウェーク・アイランド
USS Wake Island
1943年02月06日 1943年09月15日 1943年11月07日 1946年04月05日
CVE-66 ホワイト・プレインズ
USS White Plains
1943年02月11日 1943年09月27日 1943年11月15日 1946年07月10日
CVE-67 ソロモンズ
USS Solomons
1943年03月19日 1943年10月06日 1943年11月21日 1946年05月15日
CVE-68 カリニン・ベイ
USS Kalinin Bay
1943年04月26日 1943年10月15日 1943年11月27日 1946年05月15日
CVE-69 カサーン・ベイ
USS Kasaan Bay
1943年08月20日 1943年10月24日 1943年12月04日 1946年07月06日
CVE-70 ファンショー・ベイ
USS Fanshaw Bay
1943年05月18日 1943年11月01日 1943年12月09日 1946年08月14日
CVE-71 キトカン・ベイ
USS Kitkun Bay
1943年05月03日 1943年11月08日 1943年12月15日 1946年04月19日
CVE-72 ツラギ
USS Tulagi
1943年06月07日 1943年11月15日 1943年12月21日 1946年04月30日
CVE-73 ガンビア・ベイ
USS Gambier Bay
1943年07月10日 1943年11月22日 1943年12月28日 1944年10月25日
CVE-74 ネヘンタ・ベイ
USS Nehenta Bay
1943年07月20日 1943年11月28日 1944年01月03日 1946年05月15日
CVE-75 ホガット・ベイ
USS Hoggatt Bay
1943年08月17日 1943年12月04日 1944年01月11日 1946年07月20日
CVE-76 カダシャン・ベイ
USS Kadashan Bay
1943年09月02日 1943年12月11日 1944年01月18日 1946年06月14日
CVE-77 マーカス・アイランド
USS Marcus Island
1943年09月15日 1943年12月16日 1944年01月26日 1946年12月12日
CVE-78 サボ・アイランド
USS Savo Island
1943年09月27日 1943年12月22日 1944年02月03日 1946年12月12日
CVE-79 オマニー・ベイ
USS Ommaney Bay
1943年10月06日 1943年12月29日 1944年02月11日 1945年01月04日
CVE-80 ペトロフ・ベイ
USS Petrof Bay
1943年10月15日 1944年01月05日 1944年02月18日 1955年07月31日
CVE-81 ルディヤード・ベイ
USS Rudyerd Bay
1943年10月24日 1944年01月12日 1944年02月25日 1946年06月11日
CVE-82 サギノー・ベイ
USS Saginaw Bay
1943年11月01日 1944年01月19日 1944年03月02日 1946年06月06日
CVE-83 サージャント・ベイ
USS Sargent Bay
1943年11月08日 1944年01月31日 1944年03月09日 1946年03月23日
CVE-84 シャムロック・ベイ
USS Shamrock Bay
1943年03月15日 1944年02月04日 1944年03月15日 1946年07月06日
CVE-85 シップレイ・ベイ
USS Shipley Bay
1943年11月22日 1944年02月12日 1944年03月21日 1946年06月28日
CVE-86 シットコー・ベイ
USS Sitkoh Bay
1943年11月23日 1944年02月19日 1944年03月28日
1950年07月29日
1946年11月30日
1954年07月27日
CVE-87 スティーマー・ベイ
USS Steamer Bay
1943年12月04日 1944年02月26日 1944年04月04日 1947年01月
CVE-88 ケープ・エスペランス
USS Cape Esperance
1943年12月11日 1944年03月03日 1944年04月09日 1959年01月15日
CVE-89 タカニス・ベイ
USS Takanis Bay
1943年12月16日 1944年03月10日 1944年04月15日 1946年05月01日
CVE-90 セティス・ベイ
USS Thetis Bay
1943年12月22日 1944年03月16日 1944年04月21日 1964年03月01日
CVE-91 マカッサル・ストレイト
USS Makassar Strait
1943年12月29日 1944年03月22日 1944年04月27日 1946年08月09日
CVE-92 ウィンダム・ベイ
USS Windham Bay
1944年01月05日 1944年03月29日 1944年05月03日
1950年10月28日
1946年08月23日
1959年01月
CVE-93 マキン・アイランド
USS Makin Island
1944年01月12日 1944年04月05日 1944年05月09日 1946年04月19日
CVE-94 ルンガ・ポイント
USS Lunga Point
1944年01月19日 1944年04月11日 1944年05月14日 1946年10月24日
CVE-95 ビスマーク・シー
USS Bismarck Sea
1944年01月31日 1944年04月17日 1944年05月20日 1945年02月21日
CVE-96 サラマウア
USS Salamaua
1944年02月04日 1944年04月22日 1944年05月26日 1946年05月09日
CVE-97 ホーランディア
USS Hollandia
1944年02月12日 1944年04月28日 1944年06月01日 1947年01月17日
CVE-98 クェゼリン
USS Kwajalein
1944年02月19日 1944年05月04日 1944年06月07日 1946年08月16日
CVE-99 アドミラルティ・アイランズ
USS Admiralty Islands
1944年02月26日 1944年05月10日 1944年06月13日 1946年04月24日
CVE-100 ブーゲンビル
USS Bougainville
1944年03月03日 1944年05月16日 1944年06月18日 1946年11月03日
CVE-101 マタニカウ
USS Matanikau
1944年03月10日 1944年05月22日 1944年06月24日 1946年10月11日
CVE-102 アッツ
USS Attu
1944年03月16日 1944年05月27日 1944年06月30日 1946年06月08日
CVE-103 ロイ
USS Roi
1944年03月22日 1944年06月02日 1944年07月06日 1946年05月09日
CVE-104 ムンダ
USS Munda
1944年03月29日 1944年05月27日 1944年07月08日 1946年04月24日

脚注

[編集]
  1. ^ LOCATION OF US NAVAL AIRCRAFT
    4 Aug 1945
    CVE-69 USS Kasaan Bay VC-72 [FM-2×14機 + FM-2P×2機 + TBM-3E×12機]
    CVE-70 USS Fanshaw Bay VOC-2 [FM-2×35機 + FM-2P×1機 + TBM-3×5機 + TBM-3E×1機]
    CVE-74 USS Nehenta Bay VC-8 [FM-2×18機 + FM-2P×2機 + TBM-3×6機 + TBM-3E×6機]
  2. ^ a b c d 大塚「数は力 力は正義なり!護衛空母群の航空戦力」138ページ
  3. ^ 大塚「数は力 力は正義なり!護衛空母群の航空戦力」138、139ページ
  4. ^ 大塚「数は力 力は正義なり!護衛空母群の航空戦力」139ページ
  5. ^ War Damage Report 1944, p. 16
  6. ^ Friedman 1983, p.294
  7. ^ 永井、木俣、232ページ

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]
  • 世界の艦船増刊第10集 アメリカ航空母艦史」海人社、1981年
  • デニス・ウォーナー、ペギー・ウォーナー/妹尾作太男(訳)『ドキュメント神風 特攻作戦の全貌 上・下』時事通信社、1982年、ISBN 4-7887-8217-0ISBN 4-7887-8218-9
  • 「世界の艦船増刊第15集 第2次大戦のアメリカ軍艦」海人社、1984年
  • C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1992年、ISBN 4-7704-0757-2
  • 金子敏夫『神風特攻の記録 戦史の空白を埋める体当たり攻撃の真実』光人社NF文庫、2005年、ISBN 4-7698-2465-3
  • 大塚好古「アメリカの空母各級厳選写真集」「数は力 力は正義なり!護衛空母群の航空戦力」「太平洋戦争時における護衛空母全般の評価」「太平洋戦争における米空母の各種艦上機」『歴史群像太平洋戦史シリーズ53 アメリカの空母』学習研究社、2006年、ISBN 4-05-604263-2
  • 永井喜之、木俣滋郎『撃沈戦記』朝日ソノラマ、1988年、ISBN 4-257-17208-8
  • USS Liscome Bay CVE56 War Damage Report No. 45” (英語). Naval History and Heritage Command. 2019年11月10日閲覧。
  • Friedman, Norman (1983). U.S. Aircraft Carriers: An Illustrated Design History. Annapolis, MD: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-739-9