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エーピーインディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エーピーインディ
1992年6月6日、ベルモントSレース前
欧字表記 A.P. Indy
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1989年3月31日
死没 2020年2月21日(31歳没)
Seattle Slew
Weekend Surprise
母の父 Secretariat
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ケンタッキー州
生産者 William S. Farish III
& William Kilroy
馬主 鶴巻智徳
W. S. Farish III
W. S. Kilroy
調教師 Neil Drysdale(アメリカ)
競走成績
生涯成績 11戦8勝
獲得賞金 2,979,815ドル
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エーピーインディ (A.P. Indy) とは、アメリカ合衆国競走馬種牡馬である。1992年ベルモントステークスブリーダーズカップ・クラシックを優勝し、種牡馬としても多くの活躍馬を輩出した。

経歴

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生い立ち

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父はアメリカ三冠シアトルスルー(Seattle Slew)、母の父セクレタリアト(Secretariat)もアメリカ三冠馬という組み合わせであり、半兄サマースコール (Summer Squall,en、父ストームバード) もプリークネスステークス(アメリカG1)優勝馬という良血で、1歳時のセリで290万ドルという高値で「エーピー」の冠名で知られる日本の鶴巻智徳が購入(のちにアメリカ人との共有)、そのままアメリカで競走馬となる。 母ウィークエンドサプライズ (Weekend Surprise) もスカイラーヴィルステークス(アメリカG3)優勝馬であり、サムシングロイヤル (Somethingroyal) 2x4という強いインブリードを持ち、エーピーインディ自身もボールドルーラー (Bold Ruler) 3x4という交配である。

現役時代

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2歳時代

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後にフサイチペガサスでも知られることとなるニール・ドライスデール調教師の元、2歳となった1991年のデビュー戦は4着も、停留精巣の手術で片方の睾丸を摘出した後は3連勝でハリウッドフューチュリティ(アメリカG1)を優勝する。この年4戦3勝。

3歳時代

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翌3歳時はアメリカ三冠戦線に挑戦、前哨戦のサンラファエルステークス(アメリカG2)、サンタアニタダービー(アメリカG1)と連勝して前年のブリーダーズカップ・ジュヴェナイルを圧勝したアラジとの対決が期待されるも三冠初戦のケンタッキーダービー(アメリカG1)は軽い故障で回避[注 1]。立て直してピーターパンステークス(アメリカG2)、三冠最終戦のベルモントステークス(アメリカG1)を勝利する。 秋2戦は5着3着と敗れたものの、アメリカ最大のレースであるブリーダーズカップ・クラシック(アメリカG1)に優勝し、引退する。この年7戦5勝、エクリプス賞年度代表馬に選出される。

競走成績

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出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
1991年08月24日 デルマー 未勝利 D6f 4着 E.デラフーセイ 5 1/2馬身 Sharp Bandit
1991年10月27日 サンタアニタ 未勝利 D6.5f 1着 E.デラフーセイ 4馬身 (Dr.Pain)
1991年12月04日 ベルモントパーク 一般競走 D8f 1着 E.デラフーセイ 3馬身 (Kalookan Boy)
1991年12月22日 ハリウッドパーク ハリウッドフューチュリティ G1 D8.5f 1着 E.デラフーセイ クビ (Dance Floor)
1992年02月29日 サンタアニタ サンラファエルS G2 D8f 1着 E.デラフーセイ 3/4馬身 (Treekster)
1992年04月04日 サンタアニタ サンタアニタダービー G1 D9f 1着 E.デラフーセイ 1 3/4馬身 (Bertrando)
1992年05月24日 ベルモントパーク ピーターパンS G2 D9f 1着 E.デラフーセイ 5 1/2馬身 (Colony Light)
1992年06月06日 ベルモントパーク ベルモントS G1 D12f 1着 E.デラフーセイ 3/4馬身 (My Memoirs)
1992年09月13日 ウッドバイン モルソンエクスポートミリオン G2 D9f 5着 E.デラフーセイ 2 1/2馬身 Benburb
1992年10月10日 ベルモントパーク ジョッキークラブ金杯 G1 D10f 3着 E.デラフーセイ 6 3/4馬身 Pleasant Tap
1992年10月31日 ガルフストリームパーク BCクラシック G1 D10f 1着 E.デラフーセイ 2馬身 (Pleasant Tap)

種牡馬時代

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生まれ故郷でもあるアメリカのレーンズエンドファーム種牡馬入り。種牡馬としても成功し、2003年2006年のアメリカリーディングサイアーとなる。2000年にはアメリカ競馬殿堂入りも果たした。2011年に受精能力の喪失により、種付けシーズン中に種牡馬を引退。産駒のプルピット、更にその産駒のタピットからサイアーラインを伸ばしており、ノーザンダンサー系とミスタープロスペクター系がほとんどを占める現在の世界競馬においてサンデーサイレンス系と並び隆盛している異系血脈となっている。

2014年北米シェア(重賞勝利数)では、ノーザンダンサー系とミスタープロスペクター系の合計で72%、2016年の英愛シェア(種付け実績)で86%となっている。他の父系は殆ど壊滅状態に陥っており、エーピーインディが属するボールドルーラー系の親系統であるナスルーラ系も英愛で3%、北米で3%(除くボールドルーラー系)に落ち込んでいるものの、ボールドルーラー系は北米で14%のシェアを確保しており、主流2系統にほぼ唯一対抗できる父系となっている。

2020年2月21日、余生を過ごしていた繋養先のレーンズエンドファームで死亡[1]

主な産駒

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主な日本調教馬

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母の父としての代表産駒

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主な日本調教馬

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血統表

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エーピーインディ (A.P. Indy)血統シアトルスルー系 / Bold Ruler4×3=18.75%、Nasrullah5×5×4=12.50%、Princequillo5×4=9.38%、Turn-to5×5=6.25%、Striking・Busher5×5=6.25%(父内)、Somethingroyal3×5=15.63%(母内)) (血統表の出典)

Seattle Slew
1974 黒鹿毛
父の父
Bold Reasoning
1968 黒鹿毛
Boldnesian Bold Ruler
Alanesian
Reason to Earn Hail to Reason
Sailing House
父の母
My Charmer
1969 鹿毛
Poker Round Table
Glamour
Fair Charmer Jet Action
Myrtle Charm

Weekend Surprise
1980 鹿毛
Secretariat
1970 栗毛
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Somethingroyal Princequillo
Imperatrice
母の母
Lassie Dear
1974 鹿毛
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Gay Missile Sir Gaylord
Missy Baba F-No.3-l

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 一方のアラジはケンタッキーダービーで8着に敗れている。

出典

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  1. ^ 米国の大種牡馬エーピーインディ死す - 極ウマ・プレミアム(日刊スポーツ)2020年2月22日
  2. ^ Congrats(USA)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 2024年11月4日閲覧。
  3. ^ イーストスタッド、種牡馬マジェスティックウォリアー導入へ”. スポーツ報知. 2015年9月21日閲覧。

外部リンク

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