エドワード・キャドバリー
エドワード・キャドバリー(Edward Cadbury、1873年 - 1948年11月21日)は、イギリスの実業家、慈善活動家。
エドワード・キャドバリーは、ジョージ・キャドバリーとその最初の妻メアリ(旧姓タイラー)の間に生まれた長男。少年期を過ごした家は、後にウッドブルック・クエーカー・スタディ・センターとなった[1]。
1893年に家業であるキャドバリー・ブラザーズの事業に加わり、1899年に専務取締役、1937年に会長となり、1943年に引退した。
この間、父ジョージが設立を進めたセリー・オーク・カレッジズの整備の実務にも手腕を発揮した[1]。この事業に関わった聖書学者J・レンデル・ハリス (J. Rendel Harris) やアルフォンス・ミンガナ (Alphonse Mingana) を支援し、3次にわたりミンガナを中東に派遣するなどして、アラビア語のキリスト教文献等の収集を進め、今日の「ミンガナ・コレクション」をバーミンガム大学にもたらした[1]。
また、父ジョージが1901年に買収した『デイリー・ニューズ』の経営にも関わり、1902年に専務取締役のひとりとなり、1911年から1930年まで会長を務めた[2]。父ジョージがこの新聞を手に入れた動機は、労働者の待遇改善を図るキャンペーンを展開するためであったが、エドワードは、父ジョージやチャールス・ブースらとともに、1908年老齢年金法 (Old-Age Pensions Act 1908) の成立に尽力した[2]。
エドワードには、1906年に最初の版が公刊され、以降、形態を変えて刊行され続けた『Women's Work and Wages』のほか、『Experiments in Industrial Organisation』(1912年)などの著作がある[3]。
引退後の1946年には、文化振興や教育支援などを目的に、自らの名を冠したエドワード・キャドバリー・トラスト (Edward Cadbury Trust) を設立した[4]。
出典・脚注
[編集]- ^ a b c “Personalities: Edward Cadbury (1873 - 1948)”. Illuminating Faith. 2012年4月9日閲覧。
- ^ a b “Mr Edward Cadbury”. Glasgow Herald: p. 4. (1948年11月21日) 2012年4月9日閲覧。
- ^ “Explore the British Library Search - Edward Cadbury”. Btitish Library. 2012年4月9日閲覧。
- ^ “About Us”. Edward Cadbury Trust. 2012年4月9日閲覧。
参考文献
[編集]- Morgen Witzel (2003). Fifty key figures in management. Routledge key guides. Routledge. pp. 43–47. ISBN 0415369770