エドモンド・パピノ
ジャック・エドモンド=ヨゼフ・パピノ(Jacques Edmond-Joseph Papinot、1860年11月18日 - 1942年11月21日)はフランス人カトリック宣教師。パリ外国宣教会所属。佐渡、浅草、神田、麻布、京都、長崎、鶴岡等で教会建築に携わった。ローマ字版の聖歌編集を行い、フランス語及び英語による日本紹介を行った。
略歴
[編集]1860年11月18日フランス北東部のセーヌ河畔にある町シャロンで誕生。幼くして両親を亡くし祖母や従姉妹に育てられ、子供のための神学校を卒業。1885年にパリ外国宣教会に入会、1886年に司祭に叙階され、3ヵ月後の1887年(明治20年)1月に来日し、関東以北を管轄する北緯聖会に配属された。建築家でもあったパピノは同年4月より佐渡島の夷町(現在の両津市)の聖堂を設計。同年9月より浅草教会助任。同年10月より浅草教会聖堂建築。1888年(明治21年)4月神田教会の主任司祭として働き、巡回布教。1889年(明治22年)現在麻布教会がある場所に土地を借り受け、自身の設計により木造平屋建による和洋折衷の聖堂を建築した。1890年(明治23年)7月1日、聖堂は、オズーフ大司教により祝福された。パピノは、この麻布教会でもフランス語を教えながら活動した[1]。その後、東京神学校で教師となり15年間多くの科目を担当したといわれる。1890年(明治23年)5月河原町教会完成。1891年(明治24年)神田教会を改築。同年8月より自身の設計により長崎市の中町教会建設に着手[2]。1896年(明治29年)10月28日神田の天主堂完成[注釈 1]。1897年(明治30年)9月中町教会竣工。1900年(明治33年)からは1903年(明治36年)竣工の山形県の鶴岡の聖堂設計に携わる。一方では1899年(明治32年)日本の歴史及び地理に関する辞典をフランス語で刊行。パピノは他にもローマ字版の聖歌編集の編纂を行うなど、幅広い知識を発揮し活躍した。1903年(明治36年)1月横浜の若葉町教会主任となる[3]。1906年(明治39年)日本の歴史及び地理に関する辞典を英語で刊行。1911年(明治44年)9月に約25年間滞在した日本を離れ、1913年(大正2年)にはトゥシェ=メルキュレの司祭、1914年(大正3年)から1919年(大正8年)まではソーヌ=エ=ロワール県のジヴリの司祭を務める。1919年(大正8年)からは香港へ赴任し、教会誌の発行などに尽力した。その後、1927年(昭和2年)フランスに戻り、パリ外国宣教会本部の出版物の編集業務を担当した。1942年(昭和17年)11月21日サン・ラファエルにて死去。