エディ・フロイド
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エディ・フロイド Eddie Floyd | |
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エディ・フロイド(2000年) | |
基本情報 | |
出生名 | Edward Lee Floyd |
生誕 |
1937年6月25日(87歳) アメリカ合衆国 アラバマ州モンゴメリー |
ジャンル | サザン・ソウル、R&B、ソウル |
職業 | ミュージシャン、ソングライター |
活動期間 | 1956年 - |
レーベル | スタックス・レコード、コンコード、Bicycle Music |
共同作業者 | ファルコンズ、ビル・ワイマンズ・リズム・キングス |
エディ・フロイド(Eddie Floyd、1937年6月25日[1] - )は、アメリカ合衆国南部、アラバマ州モンゴメリー出身のソウル歌手である。
経歴
[編集]アラバマ生まれだが、ほどなく北部デトロイトに移転し、十代のころからファルコンズを結成して活動した[2]。当時のレパートリーには「ユア・ソー・ファイン」が含まれ、後にウィルソン・ピケット[3]がリードシンガーとしてグループに加入したときには「アイ・ファインド・ア・ラブ」が含まれた。その後、ピケットがソロのキャリアを開始し、ファルコンズは解散した。
フロイドは1965年に、メンフィスを拠点とするスタックス・レコードと、ソングライターとして契約を結んだ。彼は、カーラ・トーマス[4]が録音したヒット曲「コンフォート・ミー」を作曲した。その後、スタックスのギタリストであるスティーヴ・クロッパー[5]とチームを組み、ウィルソン・ピケットの曲を書いた。アトランティック・レコード[6]はスタックスのレコードを配給し、ジェリー・ウェクスラーはニューヨークからピケットをブッカー・T&ザ・MG's[7]と共演させるするために、メンフィスに連れてきた。ピケット・セッションは成功し、フロイドと共作した「99 and Half (Won't Do)」や「634-5789 (Soulsville、USA)」など、いくつかの全米ポップ・ヒットとR&Bヒットを生み出した。さらにフロイド自身も1966年には「ノック・オン・ウッド」のヒットを放った[8]。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- 『ノック・オン・ウッド』 - Knock on Wood (1967年、Stax)
- Looking Back (1968年、Ember) ※コンピレーション
- 『アイヴ・ネヴァー・ファウンド・ア・ガール』 - I've Never Found a Girl (1969年、Stax)
- 『レア・スタンプス』 - Rare Stamps (1969年、Stax)
- You've Got to Have Eddie (1969年、Stax)
- California Girl (1970年、Stax)
- Down to Earth (1971年、Stax)
- Baby Lay Your Head Down (1973年、Stax)
- Soul Street (1974年、Stax)
- 『エクスペリエンス』 - Experience (1978年、Malaco)
- Flashback (1988年、Ichiban)
- 『レッド・ホワイト&ブルース』 - Red, White & Blues (1992年、Turnstyle) ※ブルース・ブラザーズ・バンドにボーカルで参加
- 『ガッタ・メイク・ア・カムバック』 - Gotta Make a Comeback (1999年、Plane)
- To the Bone – (2002年、Rock House)
- 『エディ・ラヴズ・ユー・ソー』 - Eddie Loves You So (2008年、Stax)
- At Christmas Time (2012年、Stax)
- Down by the Sea (2013年、Stax)
脚注
[編集]- ^ 過去にフロイドの生年月日は、1935年6月25日と誤った生年月日が流布されていたが、本人の公式ホームページで1937年6月25日と明記されて決着を見た
- ^ 「ソウル&ファンク」p.83 ミュージック・マガジン発行
- ^ 「ダンス天国」「ミッドナイト・アワー」などがヒット
- ^ 「ジー・ウィズ」はアトランティック・レコードが配給を引き受けたことで全米ヒットとなった
- ^ 「ミッドナイト・アワー」「ドック・オブ・ザ・ベイ」の共作者
- ^ レイ・チャールズ、ルース・ブラウンなど多数のソウル、R&Bのレコードを発表したレーベル
- ^ 「グリーン・オニオン」はインスト曲ながら全米ヒットになった
- ^ ノック・オン・ウッド 2021年10月7日閲覧