エクセター侯爵
エクセター侯爵(第2期) Marquess of Exeter | |
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Arms: Barry of ten Argent and Azure, six Escutcheons, three, two, and one, Sable, each charged with a Lion rampant Argent. Crest: On a Chapeau Gules, turned up Ermine, a Garb Or, supported by two Lions, the dexter Argent, and the sinister Azure. Supporters: On either side a Lion Ermine.
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創設時期 | 1801年2月4日 |
創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代侯ヘンリー・セシル |
現所有者 | 8代侯ウィリアム・マイケル・アンソニー・セシル |
相続資格 | 初代侯の嫡出直系男子 |
付随称号 | エクセター伯爵(E) バーリー男爵(E) |
現況 | 存続 |
邸宅 | バーリー・ハウス |
モットー | 一つの心、一つの道 (COR UNUM VIA UNA) |
エクセター侯爵(英: Marquess of Exeter)は、イギリスの侯爵位。
過去2回創設されており、現存する第2期のエクセター侯爵は第10代エクセター伯爵ヘンリー・セシルが1801年に連合王国貴族として叙されたのに始まる。セシル家はエリザベス1世の宰相初代バーリー男爵ウィリアム・セシルを祖としており、エクセター侯爵セシル家はその嫡流である。ソールズベリー侯爵ガスコイン=セシル家は分流にあたる。
歴史
[編集]コートニー家(第1期)
[編集]イングランド王エドワード4世の孫の一人である第2代デヴォン伯爵ヘンリー・コートニー(1496頃-1539)が1525年6月18日に叙されたのが最初である。しかし彼は1536年にヘンリー8世への抵抗運動「恩寵の巡礼」に協力したため、全ての名誉を剥奪され、1539年には処刑された[1]。彼の地盤だったイングランド西部へはジョン・ラッセル(後の初代ベッドフォード伯爵)が赴任、統治に当たった[2]。
セシル家(第2期)
[編集]テューダー朝最後の女王エリザベス1世の宰相ウィリアム・セシル(1521-1598)は、1571年2月25日に「ノーザンプトン州におけるバーリー男爵(Baron Burghley, in the County of Northampton)」に叙せられた[3]。
初代バーリー卿の死後、その爵位は長男トマス・セシル(1542-1623)が継承した。トマスは庶民院議員を務めていたものの父から政治の才能を認められず、父の政治的立場を引き継いで宰相となったのは次男ロバート(1565-1612)だった[4]。ステュアート朝になった後の1605年5月4日にセシル兄弟に同時に伯爵位を与えられた。それがトマスの「エクセター伯爵(Earl of Exeter)」とロバートの「ソールズベリー伯爵(Earl of Salisbury)」だった[5][6]。
その後、エクセター伯爵位はトマスの男系男子によって受け継がれ、200年後の1801年2月4日に至って10代エクセター伯爵ヘンリー・セシル(1754-1804)が「エクセター侯爵(Marquess of Exeter)」に叙せられた[7]。
その来孫である6代エクセター侯爵デイヴィッド・ジョージ・ブラウンロー・セシル(1905-1981)は襲爵前に陸上競技選手として鳴らし、1928年のアムステルダム五輪では金メダルを獲得した[8][9]。
2015年現在の当主はその甥にあたる第8代エクセター侯爵ウィリアム・マイケル・アンソニー・セシル(1935-)である[10]。
本邸は1587年に初代バーリー卿によって築かれたリンカンシャー・スタンフォードにあるバーリー・ハウスである。1975年に7代エクセター侯マーティン・セシル(1909-1988)が創設したバーリーハウス保存財団(Burghley House Preservation Trust)によって管理されている[8][11]。
分流としてはハックニーのアマースト男爵家が存在する。アマースト男爵位はウィリアム・ティッセン=アマーストが1892年に叙されたのに始まるが[12]、彼の娘で爵位を女系継承した第2代アマースト女男爵メアリー(1857-1919)が3代エクセター侯ウィリアム(1825-1895)の三男ウィリアム卿(1854-1943)と結婚した結果、セシル家によって継承される爵位となったものである[13]。同家の現在の当主は5代アマースト男爵ヒュー・セシル(1968-)である[14]。
現当主の保有爵位
[編集]現当主である第8代エクセター侯爵ウィリアム・マイケル・アンソニー・セシルは、以下の爵位を有する[15]
- 第17代エクセター伯爵(17th Earl of Exeter)
(1605年創設のイングランド貴族爵位) - 第18代ノーザンプトン州におけるバーリー男爵(18th Baron Burghley, in the County of Northampton )
(1571年創設のイングランド貴族爵位)
エクセター侯爵家の法定推定相続人はバーリー男爵(バーリー卿)を儀礼称号として称する。
一覧
[編集]エクセター侯 第1期 (1525年)
[編集]- 初代エクセター侯爵・第2代デヴォン伯爵ヘンリー・コートニー (1496頃-1539) ※1539年処刑
バーリー男爵 (1571年)
[編集]エクセター伯 (1605年)
[編集]- 初代エクセター伯爵トマス・セシル (1542-1623)
- 第2代エクセター伯爵ウィリアム・セシル (1566-1640)
- 第3代エクセター伯爵デイヴィッド・セシル (1600頃-1643)
- 第4代エクセター伯爵ジョン・セシル (1628-1678)
- 第5代エクセター伯爵ジョン・セシル (1648頃-1700)
- 第6代エクセター伯爵ジョン・セシル (1674-1721)
- 第7代エクセター伯爵ジョン・セシル (1700頃-1722)
- 第8代エクセター伯爵ブラウンロー・セシル (1701-1754)
- 第9代エクセター伯爵ブラウンロー・セシル (1725-1793)
- 第10代エクセター伯爵ヘンリー・セシル (1754-1804) ※1801年にエクセター侯爵へ昇爵
エクセター侯 第2期 (1801年)
[編集]- 初代エクセター侯爵ヘンリー・セシル (1754–1804)
- 第2代エクセター侯爵ブラウンロー・セシル (1795-1867)
- 第3代エクセター侯爵ウィリアム・アレン・セシル (1825-1895)
- 第4代エクセター侯爵ブラウンロー・ヘンリー・ジョージ・セシル (1849-1898)
- 第5代エクセター侯爵ウィリアム・トマス・ブラウンロー・セシル (1876-1956)
- 第6代エクセター侯爵デイヴィッド・ジョージ・ブラウンロー・セシル (1905-1981)
- 第7代エクセター侯爵ウィリアム・マーティン・アレン・セシル (1909-1988)
- 第8代エクセター侯爵ウィリアム・マイケル・アンソニー・セシル (1935-)
法定推定相続人は9代侯の息子バーリー卿(儀礼称号)アンソニー・ジョン・セシル(1970-)。
系図
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “Sir Henry Courtenay, 1st and last Marquess of Exeter” (英語). thepeerage.com. 2015年3月10日閲覧。
- ^ 青木康 2015, p. 16.
- ^ Lundy, Darryl. “William Cecil, 1st Baron of Burghley” (英語). thepeerage.com. 2015年3月10日閲覧。
- ^ ヒバート & 1998下巻, p. 205-206.
- ^ Jessopp, Augustus [in 英語] (1887). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 9. London: Smith, Elder & Co. pp. 404–405.
- ^ Jessopp, Augustus [in 英語] (1887). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 9. London: Smith, Elder & Co. pp. 400–404.
- ^ Lundy, Darryl. “Henry Cecil, 1st Marquess of Exeter” (英語). thepeerage.com. 2015年3月10日閲覧。
- ^ a b “History & Timeline” (英語). Burghley. 2015年3月10日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “David George Brownlow Cecil, 6th Marquess of Exeter” (英語). thepeerage.com. 2015年3月10日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “William Michael Anthony Cecil, 8th Marquess of Exeter” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
- ^ “The Family Now” (英語). Burghley. 2015年3月10日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “William Amhurst Tyssen-Amherst, 1st Baron Amherst of Hackney” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Colonel Lord William Cecil” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Hugh William Amherst Cecil, 5th Baron Amherst of Hackney” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “William Michael Anthony Cecil, 8th Marquess of Exeter” (英語). thepeerage.com. 2015年3月10日閲覧。
参考文献
[編集]- ヒバート, クリストファー 著、山本史郎 訳『女王エリザベス〈下〉大国への道』原書房、1998下巻。ISBN 978-4562031474。
- 青木康『イギリス近世・近代史と議会制統治』吉田書店、2015年(平成27年)。ISBN 978-4905497387。
関連項目
[編集]- セシル家
- ソールズベリー侯
- ハックニーのアマースト男爵 - エクセター侯爵家の分流
- ロックリー男爵 - ソールズベリー侯爵家の分流