ヘンリー・セシル (初代エクセター侯爵)
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初代エクセタ―侯爵 ヘンリー・セシル Henry Cecil 1st Marquess of Exeter | |
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エクセタ―侯。妻サラ・娘ソフィアとともに(トーマス・ローレンス画) | |
生年月日 | 1754年3月14日 |
没年月日 | 1804年5月1日(50歳没) |
称号 | 初代エクセター侯爵、第10代エクセター伯爵 |
庶民院議員 | |
選挙区 | スタンフォード選挙区 |
在任期間 | 1774年 - 1790年 |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1793年12月26日 - 1804年5月1日 |
初代エクセター侯爵ヘンリー・セシル(英: Henry Cecil, 1st Marquess of Exeter、1754年3月14日 - 1804年5月1日)は、イギリスの政治家、貴族。
経歴
[編集]1754年3月14日、トマス・セシル(第8代エクセター伯爵ブラウンロー・セシルの次男)の長男として生まれる[1][2]。
イートン校を経てケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジへ進学。1774年にマスター・オブ・アーツの学位を取得[1]。
1774年から1790年までスタンフォード選挙区から選出されて庶民院議員を務める[1]。
1793年12月26日に伯父第9代エクセタ―伯爵ブラウンロー・セシルから第10代エクセター伯爵位を継承し[1]、貴族院議員に列する[3]。
栄典
[編集]爵位
[編集]- 1793年12月26日、第10代エクセター伯爵(1605年創設イングランド貴族爵位)
- 1793年12月26日、第11代バーリー男爵(1571年創設イングランド貴族爵位)
- 1801年2月4日、初代エクセター侯爵(連合王国貴族爵位)[4]
家族
[編集]1776年にエマ・ヴァーノンと最初の結婚をしたが、子供のないまま1791年に離婚[4]。
同年にサラ・ホギンズと再婚をし、彼女との間に以下の3子を儲ける[4]。
- 第1子(長女)ソフィア・セシル(-1823)
- 第2子(長男)ブラウンロー・セシル(1795-1867):第2代エクセター侯爵
- 第3子(次男)トマス・セシル(1797-1873)
1800年にエリザベス・バレルと三度目の結婚をしたが、彼女との間に子供はない[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e "Cecil, Henry (CCL770H)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Lundy, Darryl. “Hon. Thomas Chambers Cecil” (英語). thepeerage.com. 2015年3月10日閲覧。
- ^ UK Parliament. “Mr Henry Cecil” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年3月10日閲覧。
- ^ a b c d e Lundy, Darryl. “Henry Cecil, 1st Marquess of Exeter” (英語). thepeerage.com. 2015年3月10日閲覧。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Marquess of Exeter
グレートブリテン議会 | ||
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先代 George Rene Aufrere サー・ジョージ・ハワード |
スタンフォード選挙区選出庶民院議員 1774年–1790年 同一選挙区同時当選者 サー・ジョージ・ハワード |
次代 サー・ジョージ・ハワード 初代カリスフォート伯爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 ブラウンロー・セシル |
第10代エクセター伯爵 1793年–1804年 |
次代 ブラウンロー・セシル |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | 初代エクセター侯爵 1801年–1804年 |
次代 ブラウンロー・セシル |