ブラウンロー・セシル (第4代エクセター侯爵)
第4代エクセター侯爵ブラウンロー・ヘンリー・ジョージ・セシル(Brownlow Henry George Cecil, 4th Marquess of Exeter PC、1849年12月20日 – 1898年4月9日)は、イギリスの貴族、保守党の政治家。庶民院議員、宮内副長官を務めた[1]。1867年から1895年までバーリー卿の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]第3代エクセター侯爵ウィリアム・アレイン・セシルと妻ジョージアナ・ソフィア(1827年10月11日 – 1909年3月26日、第2代ロングフォード伯爵トマス・パケナムの娘)の息子として、1849年12月20日にメイフェアのブルートン・ストリート24号で生まれた[1]。1863年から1866年までイートン・カレッジで教育を受けた[1]。
1870年4月9日に中尉(Ensign and Lieutenant)への辞令を購入してグレナディアガーズに入隊[2]、1872年5月15日に大尉(Lieutenant and Captain)に昇進した[3]。1877年8月に陸軍から引退して[4]、少佐としてノーサンプトン・アンド・ラトランド民兵連隊に配属された[5]。
1871年3月7日、リンカンシャーの副統監に任命された[6]。
1877年8月、保守党候補としてノース・ノーサンプトンシャー選挙区の補欠選挙に出馬、2,261票を得て庶民院に当選した[7]。1880年イギリス総選挙で2,405票(得票数2位)を得て再選した[7]。第3回選挙法改正によりノース・ノーサンプトンシャー選挙区の定数が1人に減らされたが、バーリー卿は1885年イギリス総選挙で4,467票を得て再選、1886年イギリス総選挙において無投票で再選した[8]。1892年イギリス総選挙では4,505票を得て再選した[8]。1895年イギリス総選挙をもって庶民院議員から退任した[8]。
1886年8月5日にGroom in Waitingに任命され[9]、1891年まで務めた[1]。第2次ソールズベリー侯爵内閣期の1891年11月24日に宮内副長官[10]、同年12月12日に枢密顧問官に任命された[11]。1892年8月に内閣が倒れると、バーリー卿も宮内副長官を辞任した[12]。
1895年7月14日に父が死去すると、エクセター侯爵位を継承した[1]。
1898年4月9日にシティ・オブ・ウェストミンスターのアシュリー・ガーデンズ114号(114 Ashley Gardens)で死去、一人息子ウィリアム・トマス・ブラウンローが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1875年、イザベラ・ウィッチコート(Isabella Witchcote、1857年1月8日 – 1917年7月12日、第7代準男爵サー・トマス・ウィッチコートの娘)と結婚[1]、1男をもうけた[13]。
- ウィリアム・トマス・ブラウンロー(1876年10月27日 – 1956年8月6日) - 第5代エクセター侯爵[1][14]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 223–224.
- ^ "No. 23605". The London Gazette (英語). 8 April 1870. p. 2097.
- ^ "No. 23895". The London Gazette (英語). 10 September 1872. p. 3970.
- ^ "No. 24492". The London Gazette (英語). 14 August 1877. p. 4694.
- ^ "No. 24492". The London Gazette (英語). 14 August 1877. p. 4695.
- ^ "No. 23719". The London Gazette (英語). 24 March 1871. p. 1546.
- ^ a b Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 432. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ a b c Craig, F. W. S. (1974). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Palgrave Macmillan. p. 359. ISBN 978-1-349-02298-4。
- ^ "No. 25615". The London Gazette (英語). 10 August 1886. p. 3853.
- ^ "No. 26226". The London Gazette (英語). 24 November 1891. p. 6230.
- ^ "No. 26233". The London Gazette (英語). 15 December 1891. p. 6911.
- ^ "No. 26321". The London Gazette (英語). 30 August 1892. p. 4958.
- ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 931.
- ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 312. ISBN 978-0-7509-0154-3。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Lord Burghley
- ブラウンロー・セシル - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ブラウンロー・セシルの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
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先代 ジョージ・ウォード・ハント サックヴィル・ストップフォード=サックヴィル |
庶民院議員(ノース・ノーサンプトンシャー選挙区選出) 1877年 – 1895年 同職:サックヴィル・ストップフォード=サックヴィル 1877年 – 1880年 チャールズ・スペンサー閣下 1880年 – 1885年 |
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