H級駆逐艦 (初代)
H級駆逐艦 | |
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基本情報 | |
種別 | 駆逐艦 |
運用者 |
イギリス海軍 大日本帝国海軍 (橄欖型) |
就役期間 | 1910年 - 1921年 |
前級 | G級 (ビーグル級) |
次級 | I級 (アケロン級) |
要目 | |
常備排水量 | 772トン (計画) |
全長 | 75.0~83.8 m |
最大幅 | 7.7~7.8 m |
吃水 | 2.6 m |
ボイラー | 水管ボイラー×4缶 |
主機 | 蒸気タービン×3基 |
推進器 | スクリュープロペラ×3軸 |
出力 | 13,500馬力 |
速力 | 27.0ノット |
航続距離 | 1,900海里 (13kt巡航時) |
燃料 | 重油170トン |
乗員 | 72名 |
兵装 |
・40口径10.2cm砲×2基 ・40口径7.6cm砲×2基 ・53.3cm単装魚雷発射管×2基 |
H級駆逐艦(英語: H-class destroyer)は、イギリス海軍の駆逐艦の艦級[1]。当初は「エイコーン」をネームシップとしてエイコーン級(英: Acorn-class)と称されていたが、1913年に再種別された[2]。
来歴
[編集]1908年4月に成立したアスキス内閣では、社会保障の財源確保のため、自由統一党以来の海軍増強計画の見直しを進めていた[3]。仮想敵をドイツ帝国海軍に変更して以降、イギリス海軍の駆逐艦はリバー級(E級)、トライバル級(F級)と大型化・高コスト化の傾向にあったが、この流れを受けて、1908-9年度計画のビーグル級(G級)では小型化・コスト低減が志向された。同級では、F級と比して約20パーセント建造費を低減したものの、これでもまだ不足とされた。このことから、1909-10年度計画の艦では、更に30パーセントの建造費低減が図られた。これによって建造されたのが本級である[1][2]。
設計
[編集]E級以来の船首楼型が踏襲されているが、艦型の縮小を補って堪航性を確保するため、船首楼甲板の高さを増すとともに、艦橋を極力後方に移動した。しかしこの結果として、煙突の排煙が艦橋に深刻な影響を及ぼすようになった。当初計画では煙突は3本とも同じ高さだったが、計画途上で、第1煙突を約1.8メートル延長するよう改正された[1][2]。
主機は蒸気タービンとレシプロ蒸気機関、水管ボイラーは石炭専焼式と重油専焼式で検討された。特に燃料については、重油備蓄量への不安からビーグル級(G級)では石炭が採用された経緯があったが、本級では、機関部員の減少、航続距離の延伸、機関重量節減といったメリットを考慮して、再び重油が採用されることとなった[1]。
主機の型式・構成や軸数はビーグル級(G級)と同様だが、ボイラーは4缶とされた。また、本級を含めて従来の英海軍駆逐艦の蒸気タービンは、いずれもパーソンズ式直結タービンであったが、本級の「ブリスク」ではブラウン・カーチス式直結タービンによる2基2軸方式が試験採用された。パーソンズ式直結タービンと比して機関構成が単純化できるほか、低速域での燃費向上も期待されたが、海上公試では燃費は期待ほどではなかったとされている。しかしその後、改良を加えて、パーソンズ式タービンとともに英駆逐艦の主機として採用されるようになった[4]。
装備
[編集]ビーグル級(G級)と比して艦型が小型化したにもかかわらず、兵装は同級と同等以上となっている[1]。
艦砲の配置は同級のものが踏襲されているが、同級では40口径10.2cm砲(BL 4インチ砲Mk.VIII)1基と40口径7.6cm砲(QF 12ポンド砲)3基が備えられていたのに対し、本級では後部の12ポンド砲を4インチ砲に換装し、更に砲熕火力を強化した。また船首楼甲板の増高に伴い、従来はプラットフォーム上に設置されていた艦首砲は、船首楼甲板上に直接設置する方式とされている[1]。
水雷兵装は同級と同じく、53.3cm単装魚雷発射管2基を備えている[1]。
同型艦一覧
[編集]計画 | 艦名 | 造船所 | 進水 | 解体/売却 |
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1909-10年度 | エイコーン HMS Acorn |
ジョン・ブラウン | 1910年7月1日 | 1921年11月 |
アラーム HMS Alarm |
1910年8月29日 | 1921年5月 | ||
ブリスク HMS Brisk |
1910年9月20日 | 1921年11月 | ||
シェルドレイク HMS Sheldrake |
デニー | 1911年1月18日 | 1921年5月 | |
スターンチ HMS Staunch |
1910年10月29日 | 1917年11月11日 戦没 | ||
カミーリアン HMS Chameleon |
フェアフィールド | 1910年12月 (竣工) | 1921年12月 | |
コミット HMS Comet |
1910年6月23日 | 1918年8月6日 戦没 | ||
ゴールドフィンチ HMS Goldfinch |
1910年7月12日 | 1915年2月19日 難破 | ||
ネメシス HMS Nemesis |
ホーソン・レスリー | 1910年8月9日 | 1917年10月、大日本帝国海軍に貸与され『橄欖』と呼称、 1919年1月返還、1921年11月売却 | |
ニリーデ HMS Nereide |
1910年9月6日 | 1921年12月 | ||
ニンフ HMS Nymphe |
1911年1月31日 | 1921年5月 | ||
フュリー HMS Fury |
イングリス | 1912年2月 | 1921年11月 | |
ホープ HMS Hope |
スワン・ハンター | 1910年9月6日 | 1920年2月 | |
ラーン HMS Larne |
ソーニクロフト | 1910年8月23日 | 1921年5月 | |
ライラ HMS Lyla |
1910年10月4日 | |||
マーティン HMS Martin |
1910年12月15日 | 1920年8月 | ||
ミンストラル HMS Minstrel |
1911年2月2日 | 1917年9月、大日本帝国海軍に貸与され『栴檀』と呼称、 1919年1月返還、1921年12月売却 | ||
レッドポール HMS Redpole |
ホワイト | 1910年6月24日 | 1921年5月 | |
ライフルマン HMS Rifleman |
1910年8月22日 | |||
ルビー HMS Ruby |
1910年11月4日 |
参考文献
[編集]- ^ a b c d e f g 「イギリス駆逐艦史」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、26頁、ISBN 978-4905551478。
- ^ a b c Randal Gray (1984). Robert Gardiner. ed. Conway's All the World's Fighting Ships 1906-1921. Naval Institute Press. pp. 18, 71-72. ISBN 978-0870219078
- ^ 坂井秀夫『政治指導の歴史的研究:近代イギリスを中心として』創文社、1967年、393-396頁。 NCID BN0195115X。
- ^ 阿部安雄「機関 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、164-171頁、ISBN 978-4905551478。