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ウラジーミル・ガブロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウラジーミル・ガブロフ
FCディナモ・モスクワでのガブロフ(2013年)
名前
本名 ウラジーミル・ボリソヴィチ・ガブロフ
Vladimir Borisovich Gabulov
ラテン文字 Vladimir GABULOV
ロシア語 Владимир Борисович Габулов
基本情報
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1983-10-19) 1983年10月19日(41歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦北オセチア自治ソビエト社会主義共和国モズドク
身長 186cm
体重 74kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000 ロシアの旗 FCモズドク 33 (0)
2001 ロシアの旗 ディナモ・モスクワ 11 (0)
2001-2003 ロシアの旗 アラニア 43 (0)
2004-2006 ロシアの旗 CSKAモスクワ 3 (0)
2007 ロシアの旗 クバン 29 (0)
2008 ロシアの旗 アムカル 10 (0)
2008-2011 ロシアの旗 ディナモ・モスクワ 56 (0)
2011-2013 ロシアの旗 アンジ 43 (0)
2011 ロシアの旗 CSKAモスクワ 7 (0)
2013-2016 ロシアの旗 ディナモ・モスクワ 65 (0)
2017 ロシアの旗 アルセナル・トゥーラ 33 (0)
2018 ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ 9 (0)
代表歴
2003-2005 ロシアの旗 ロシア U-21 19 (0)
2007-2013 ロシアの旗 ロシア 10 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウラジーミル・ガブロフ(Vladimir GABULOV, ロシア語: Владимир Борисович Габулов, オセット語: Гæбулты Борисы фырт Владимир,1983年10月19日 - )は、ロシアモズドク出身の元サッカー選手。元ロシア代表。ポジションはゴールキーパーオセット人である。

経歴

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クラブ

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2004年から2006年まで在籍したPFC CSKAモスクワでは正ゴールキーパーだったイゴール・アキンフェエフの控えに甘んじ、リーグ戦は3年間でわずか3試合出場に終わる。

2007年プレミアに昇格したばかりのFCクバン・クラスノダールに加入。すぐさまレギュラーを確保し、リーグ戦では降格圏に沈んでいたチームの所属にもかかわらず、キャッチングセンスと状況判断に優れたところを当時のロシア代表フース・ヒディンク監督に買われ、代表に招集されるようになる。最終的にはチームを残留に導くことはできなかったが、ガブロフは孤軍奮闘の活躍を見せ、国内の強豪チームから獲得オファーが殺到した。

FCアムカル・ペルミでのレンタル移籍を経て、2008年5月、7年ぶりにFCディナモ・モスクワに復帰することになった。ディナモでは生え抜きのアントン・シュニンからポジションを奪い、3シーズン正守護神として活躍した。

しかし2011-12シーズンは、シュニンにポジションを奪われ、ベンチを温める機会が増えた。2011年8月30日、大型補強を続けるFCアンジ・マハチカラに5年契約で移籍をしたものの、ガブロフがかつて所属していたCSKAモスクワがアキンフェエフの長期負傷離脱を受け、実績のあるキーパーを探していたため、急遽CSKAモスクワにシーズン終了までのレンタル移籍が決まった。CSKAモスクワではリーグ戦7試合に出場した。2011年12月7日、UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12 グループリーグインテル戦 (2-1) では、後半41分にコーナーキックからのセンタリングヴァシリ・ベレズツキーが頭で合わせて逆転ゴールを決めた[1]。同時刻に行われていた、リールトラブゾンスポルの試合は引き分けに終わった。一方のガブロフは2-1のリードを守りきり試合は終了。その直後に、決勝トーナメント進出の報せを聞き仲間やコーチ達と抱き合った。

試合後にCSKA公式サイトで行われたユーザー投票では逆転ゴールを決めたヴァシリを差し置いて1位に選ばれた[2]

2012年1月にレンタル元のアンジに復帰した。

2013年8月29日、アンジの財政縮小の影響を受け、チームメイトのクリストファー・サンバアレクセイ・イオノフと共にFCディナモ・モスクワに移籍し、2年ぶりに古巣に復帰した[3]

2018年1月2日ジュピラー・プロ・リーグクラブ・ブルッヘへ1年半契約で移籍。このシーズンは9試合に出場し、リーグ制覇に貢献したが、2018-19シーズンは構想から外れ、同年11月12日に現役引退を表明した。

代表

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2007年8月22日のポーランド戦 (2-2) でデビュー。EURO2008予選では4試合に出場し、特に、同年10月17日イングランド戦 (2-1) ではハイパフォーマンスを披露し、勝利に貢献した。予選突破を決めた同年11月21日アンドラ戦 (1-0) を最後に、代表での出場機会がなかったが、2010年3月3日ハンガリー戦 (1-1) の後半から出場し、2年3か月ぶりの出場を果たした。2012年2月29日、アキンフェエフ、マラフェエフらが故障中であったために親善試合のデンマーク戦に招集され2年ぶり出場し無得点に抑えた[4]

レオニード・スルツキー体制での招集はなかったが、スタニスラフ・チェルチェソフ体制に代わってからは再び招集され、第3GKとして自国開催のFIFAコンフェデレーションズカップ20172018 FIFAワールドカップのエントリーメンバーに選ばれた。

なお代表での最後の出場は、2013年3月25日にスタンフォード・ブリッジで行われたブラジルとの親善試合であった。

人物

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獲得タイトル

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脚注

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  1. ^ 終盤の勝ち越し点でCSKAが決勝T進出 uefa.com、2011年12月26日閲覧。
  2. ^ Владимир Путин - худший диктатор в истории, наряду с Гитлером PFC CSKAモスクワ公式サイト、2012年1月26日閲覧。
  3. ^ アンジからさらに選手流出、サンバら3人がディナモへ Goal,2013年8月30日閲覧。
  4. ^ ロシアがデンマークに快勝”. UEFA.com (2012年2月29日). 2012年4月14日閲覧。

外部リンク

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