オレグ・イワノフ
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名前 | ||||||
本名 |
オレグ・アレクサンドロヴィッチ・イワノフ Oleg Aleksandrovich Ivanov | |||||
ラテン文字 | Oleg IVANOV | |||||
ロシア語 | Олег Александрович Иванов | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ロシア | |||||
生年月日 | 1986年8月4日(38歳) | |||||
出身地 | ソビエト連邦モスクワ | |||||
身長 | 191cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | FCウファ | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 19 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1994-1996 | ロコモティフ・モスクワ | |||||
1996-2000 | スパルタク・モスクワ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004 | スパルタク・モスクワ | 2 | (0) | |||
205 | FCヒムキ | 32 | (7) | |||
2006-2007 | クバン・クラスノダール | 57 | (9) | |||
2008-2010 | クリリヤ・ソヴェトフ | 64 | (6) | |||
2011 | FCロストフ | 14 | (0) | |||
2012-2020 | アフマト・グロズヌイ | 226 | (16) | |||
2021- | ウファ | |||||
代表歴2 | ||||||
2015-2016 | ロシア | 5 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2020年12月7日現在。 2. 2016年6月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
オレグ・イワノフ(ロシア語: Олег Александрович Иванов、1986年8月4日 - )は、ロシアのサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。FCウファ所属。
経歴
[編集]クラブ
[編集]FCスパルタク・モスクワのアカデミー出身だが、サッカーを始めたころの1994年から1996年まではFCロコモティフ・モスクワのアカデミーに所属していた。FCヒムキ、FCクバン・クラスノダールでのプレーを経て、2008年1月にクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラと4年契約を結び、評価を確立させた。
2011年12月24日にFCテレク・グロズヌイ(現・FCアフマト・グロズヌイ)へ移籍。背番号は一貫して99を着けていたが、テレクでは背番号99は既に埋まっていたため、19を着けることになった。
2021年1月21日、FCウファに1年半契約で移籍した。
代表
[編集]U-19、U-21代表でのプレーを経て、UEFA EURO 2008予選では出場はおろか、ベンチ入りもせず、親善試合にすらも呼ばれたことがなかったが、当時所属していたクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラでの活躍がロシア代表(当時)のフース・ヒディンク監督の目に止まり、UEFA EURO 2008の予備登録26人のメンバーに選出された。大方の予想通り、一度は登録23人から落選したが、2008年6月7日、パヴェル・ポグレブニャクが膝の負傷で離脱し、追加でエントリーメンバーに選出された。ただし、出場する機会は訪れず、ヒディンク体制終了並びにディック・アドフォカート体制では一切呼ばれず、ファビオ・カペッロ体制でも2013年2月の親善試合に招集されただけにとどまったが、2015年6月7日のベラルーシ戦で代表初招集から7年越しにデビューを飾った。UEFA EURO 2016予選ではカペッロ監督最後の采配となったオーストリア戦のみの出場に終わったが、ユーリ・ジルコフの怪我による実質代替選手としてエントリーメンバー入りした。スタニスラフ・チェルチェソフ監督に代わってからは招集されなくなり、代表キャップは2016年時点で5にとどまっている。