ウバイドゥッラー (ハミ郡王家)
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ウバイドゥッラー(額貝都拉、ウイグル語: عبیدالله, ラテン文字転写: 'Ubayd Allāh, 生年不詳 - 康煕48年(1709年))は、ハミ郡王家の初代君主(在位:1697年 - 1709年)。
生涯
[編集]メルムトの子[1]。祖先はアラブ人の伝教者とも、モグーリスタン・ハン国の君主であったトゥグルク・ティムールの8世の子孫とされるが、定説はない[1]。高祖父のイザーミーの代からヤルカンド・ハン国に従属するハミのベクの称号を世襲しており、1668年の父の死後にその跡を継いだ[1]。
1679年にハミがガルダン率いるジュンガルの侵攻を受けると、ウバイドゥッラーはジュンガルに降り、ガルダンから信任を受けてハミの統治を任されたとされる[1]。
後にジュンガルが清と交戦するようになると、康煕35年9月(1696年)に清に独峰駱駝1頭、馬2匹、駱駝8頭、小刀1柄を献上して[1]その支配下に入った後、康煕帝よりジャサクの一等ダルハンの称号を与えられ[2]、清の軍事面での要衝となったハミを管轄する国印を賜った[1]。清に破れたガルダンらが逃走すると、その消息を清に知らせて協力した[1]。康煕48年(1709年)に死去[1][2]。
出典
[編集]参考資料
[編集]- 王希隆『历史文化探研:兰州大学历史文化学院专门史论文集』甘粛民族出版社、2009年。ISBN 978-7542114525。
- 河野敦史「18~19世紀における回部王公とべク制に関する一考察―ハーキム・ベク職への任用を中心に―」『日本中央アジア学会報』第9号、日本中央アジア学会、2013年3月25日、15-44頁。