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ウナ・セラ・ディ東京

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウナセラディ東京から転送)
「東京たそがれ」
ザ・ピーナッツシングル
B面 こっちを向いて
リリース
規格 7インチシングル盤
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル キングレコード
作詞・作曲 作詞:岩谷時子
作曲・編曲:宮川泰
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「ウナ・セラ・ディ東京」
ザ・ピーナッツシングル
B面 知らなかった
リリース
規格 7インチシングル盤
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル キングレコード
作詞・作曲 作詞:岩谷時子
作曲:宮川泰
編曲:東海林修
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ウナ・セラ・ディ東京」(ウナ・セラ・ディとうきょう)は、1964年に発表された日本歌謡曲である。

本項では、前年1963年に作られ、この曲とほぼ同一の内容である「東京たそがれ」についても記述する。

概要

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1963年ザ・ピーナッツが「東京たそがれ」として歌ったのが「ウナ・セラ・ディ東京」の始まりである。当初はあまりヒットしなかったが、翌1964年に「カンツォーネの女王」として有名なイタリアの歌手ミルバが来日した際、本曲を歌ったことを契機に一気にブームとなった(キングレコードのスタッフがミルバの歌唱力の高さを評価した上で本曲を歌わせることを提案したとも言われる)。ミルバの正確な日本語での歌唱も評判となった[1]

ミルバの歌唱を契機に本作の良さが広く知れ渡ることになったので、ザ・ピーナッツの「東京たそがれ」も曲調とアレンジを一部変更し「ウナ・セラ・ディ・東京」として9月に再発売され、ヒットした(「ウナ・セラ・ディ東京」とはイタリア語で「東京のある一夜 (Una Sera di Tokio)」という意味である)[1]

この頃から本曲がミルバの歌の影響により、音楽界で再評価されることになり、遂にはザ・ピーナッツのヒット曲の一つとなっていった。

ほぼ同時期、和田弘とマヒナスターズ[2]坂本スミ子[2]カテリーナ・ヴァレンテ英語版[2]も本曲を歌うようになり、日本でも競作となった。

1964年当時、ザ・ピーナッツ盤と和田弘とマヒナスターズ盤が特にヒットし、1965年5月時点での売上はザ・ピーナッツ盤が32万枚、和田弘とマヒナスターズ盤が27万枚である[3]

本曲で岩谷時子が1964年第6回日本レコード大賞の作詞賞を、宮川泰が同賞作曲賞を受賞している。また和田弘とマヒナスターズ盤とザ・ピーナッツ盤は大賞の最終審査に残っていたが、結果は青山和子の「愛と死をみつめて」に敗れて落選した[4]

1965年には松竹で映画化されている(後述→#映画)。

この他、1967年公開のクレージーキャッツ主演映画『クレージー黄金作戦』では、ザ・ピーナッツ&ジャッキー吉川とブルーコメッツジャニーズの組み合わせ[5]による歌唱、およびクレージーキャッツのメンバーによるこの楽曲をモチーフにした音楽コントが披露された事もあった。この、歌の部分の音源は2004年発売の『ザ・ピーナッツ メモリーズBOX』に、音楽コント部分の音源は2005年発売の『クレイジー・ムービーズ Vol.2』などに、それぞれ収録されている。

本曲はザ・ピーナッツによってNHK紅白歌合戦で3度(1964年第15回1969年第20回1973年第24回)歌われた曲としても有名である。
2018年現在ではザ・ピーナッツの歌とのイメージが浸透している。[要出典]

2006年3月21日宮川泰が逝去したが、その宮川の通夜で流された曲こそがこの「ウナ・セラ・ディ東京」であった。

青春歌年鑑』の'64年版にザ・ピーナッツ版が、'65年版に和田弘とマヒナスターズ版が収録されている。

なお、「ウナセラディ東京」とする表記もあるが、JASRAC届出の楽曲題名は「ウナ・セラ・ディ東京」である。但し、正式に登録されている題名は「東京たそがれ」である(JASRAC作品コード:055-0062-1)[6]

また、「ウナ・セラ・ディ東京」には二種類のジャケットが存在する。一つは色を基調にザ・ピーナッツの上半身を左側面から撮影したもの、もう一つは色(紺色)を基調にステージで歌唱している姿を撮影したものである。

作成者

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カバーなど

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映画

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ウナ・セラ・ディ東京
監督 番匠義彰
脚本 山根優一郎
製作 沢村国男
出演者 鰐淵晴子園井啓介
音楽 宮川泰牧野由多可
主題歌 「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピーナッツ
撮影 川又昻
編集 大沢しづ
製作会社 松竹
公開 日本の旗1965年4月2日
上映時間 81
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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本曲を題材にした歌謡映画は、1965年4月2日松竹系で公開。カラー。81分。

スタッフ

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出演者

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注釈

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  1. ^ a b 佐藤剛 (2018年2月16日). “岩谷時子に魂を入れてもらって誕生したザ・ピーナッツの名曲「ウナ・セラ・ディ東京」”. 「本物の音楽」が持つ “繋がり” や “物語” を毎日コラム配信. TAP the POP. 2018年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月13日閲覧。
  2. ^ a b c 安倍寧『音楽界実力派』音楽之友社、1966年、250-251頁。NDLJP:2509233/133
  3. ^ 「この1年に売れたレコード総まくり――各社別の売上げベスト10」『オール大衆』第18巻第10号、経済通信社、1965年5月15日、42 - 43頁、NDLJP:2247004/22 
  4. ^ 「今年も“清純ムード” 日本レコード大賞」『朝日新聞』1964年12月4日付東京夕刊、9頁。
  5. ^ 当時はコラボレーションと言う呼称は日本には存在していなかったので「組み合わせ」と記述する。
  6. ^ a b JASRAC作品データベース検索サービス J-WID 検索結果
  7. ^ “相田翔子&森高千里 ピーナッツを歌う 女性歌手12組がデュエット”. ORICON STYLE (東京: オリコン). (2016年8月11日). オリジナルの2018年4月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180413043516/https://www.oricon.co.jp/news/2076648/full/ 2018年4月13日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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先代
恋のバカンス
ザ・ピーナッツ
NHK紅白歌合戦歌唱楽曲
1964年・第15回
次代
ロック・アンド・ロール・ミュージック
先代
ガラスの城
ザ・ピーナッツ
NHK紅白歌合戦歌唱楽曲
1969年・第20回
次代
東京の女
先代
さよならは突然に
ザ・ピーナッツ
NHK紅白歌合戦歌唱楽曲
1973年・第24回
次代
ブギ・ウギ・ビューグル・ボーイ