ウェリントン・マーラ
ウェリントン・マーラ(Wellington Mara 1916年8月14日 - 2005年10月25日)は、NFLのニューヨーク・ジャイアンツのオーナー。1959年から死去するまで共同オーナーを務めた。ニックネームは"Duke"(公爵)[1]。
経歴
[編集]ニューヨーク州ロチェスターに生まれた。父親のティム・マーラが1925年にニューヨーク・ジャイアンツを設立した頃には、ボールボーイを務めた[2]。フォーダム大学を卒業後、ジャイアンツのフロントに入った。
1943年から1946年までは、アメリカ海軍に所属し、大西洋、太平洋の洋上で勤務、最終階級は少佐であった[3]。
1960年代前半に、彼と兄のジャック・マーラは、巨額のテレビ放映権料をニューヨークのような大都市のチームだけでなく、小都市に本拠地を置くチームにも分配することに合意した[2][4]。
ジャイアンツがメドウランズの奇跡で敗れた1978年までは、それまで長年に渡り、自らチームの意思決定を行ってきたが、1979年、ロゼールの助言を受けて、ゼネラルマネージャーにジョージ・ヤングを起用した[5]。
1996年のオーナー会議で、ヒューストン・オイラーズがテネシー州へ移転することに対して反対した[6]。 1997年にプロフットボール殿堂入りを果たした[4]。
1999年にローレンス・テイラーが殿堂入りを果たした際には、最も影響を受けた3人として、ビル・パーセルズ、ジョージ・ヤングと並んで彼の名前が読み上げられた。テイラーが薬物中毒から立ち直った陰にはマーラの影響があった[7]。
2005年10月25日、がんのため89歳で亡くなった[4]。彼が亡くなった後の最初の試合でジャイアンツは、NFC東地区のライバル、ワシントン・レッドスキンズに36-0で勝利した[8]。
マーラがオーナーを務めた間、チームは地区優勝13回、NFLチャンピオンに6回(内スーパーボウル優勝2回)なった。
妻との間には11人の子どもをもうけ[9]、42人の孫が生まれた。その中には女優のケイト・マーラ、ルーニー・マーラが含まれている[10][11]。
脚注
[編集]- ^ “The Official football of the NFL - "The Duke"”. ウイルソン・スポーティング・グッズ. 2013年5月20日閲覧。
- ^ a b Richard Goldstein (2005年10月26日). “Wellington Mara, the Patriarch of the N.F.L., Dies at 89”. ニューヨーク・タイムズ. 2013年5月20日閲覧。
- ^ “House Approves Legislation to Honor Wellington Mara”. フォーダム大学. 2013年5月20日閲覧。
- ^ a b c 名物オーナーのマーラ氏死去 NFLジャイアンツ 朝日新聞2005年10月26日夕刊13ページ
- ^ “New York Giants (1925-Present)”. sportsecyclopedia.com. 2013年5月20日閲覧。
- ^ “PRO FOOTBALL;N.F.L. Owners Approve Move To Nashville By the Oilers”. ニューヨーク・タイムズ (1996年5月1日). 2013年6月1日閲覧。
- ^ “Pro Football Hall of Fame inducts five more members”. スポーツ・イラストレイテッド (1999年8月8日). 2013年5月20日閲覧。
- ^ Greg Hanlon (2008年11月30日). “Top 10 Moments in the Giants-Redskins Rivalry”. ニューヨーク・タイムズ. 2013年5月20日閲覧。
- ^ Charles McGrath (2005年12月25日). “A Giant Among Giants”. ニューヨーク・タイムズ. 2013年5月20日閲覧。
- ^ “Kate Mara- Biography”. Yahoo! Movies. 2013年5月20日閲覧。
- ^ “ジャイアンツオーナー一族出身、マーラがアカデミー賞候補者に”. NFL JAPAN (2012年1月25日). 2013年5月20日閲覧。