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ウィリアム・ディグビー (第5代ディグビー男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゴドフリー・ネラーによる肖像画、1686年[1]

第5代ディグビー男爵ウィリアム・ディグビー英語: William Digby, 5th Baron Digby1662年2月20日洗礼 – 1752年11月29日)は、アイルランド貴族イングランドの政治家。1689年から1698年までイングランド庶民院議員を務めた[2]。自領のコーゾル英語版が国教忌避者の避難所として知られたほか、債務者監獄に投獄された囚人の債務返済を援助し、妻とともにシェアボーンで学校を設立するなど慈善活動で知られている[1]

生涯

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生い立ち

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第2代ディグビー男爵キルデア・ディグビー(1661年7月11日没)と妻メアリー(Mary、旧姓ガーディナー(Gardiner)、1692年12月23日没、ロバート・ガーディナーの娘)の息子として、コーゾル英語版で生まれ[2]、1662年2月20日に同地で洗礼を受けた[1]。父の死後に生まれたとされる[1]

家庭教師からの教育を受けた後、1677年にウィンチェスター・カレッジに入学した[1]。1679年5月16日にオックスフォード大学モードリン・カレッジに進学、1681年7月5日にB.A.の学位を修得した[2][3]。1708年7月13日、D.C.L.英語版の学位を授与された[3]

政界にて

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1677年12月29日に兄ロバートが、1686年1月19日に兄サイモンが死去すると、ディグビー男爵位を継承した[2]。同1686年、ウォリックシャー統監英語版第4代ノーサンプトン伯爵ジョージ・コンプトンによりウォリックシャー副統監に任命され、1687年に一旦解任されるものの名誉革命の後に復帰した[4]

兄サイモンはウォリック選挙区英語版の現職議員だったが、その死去直後に補欠選挙は行われず、ウィリアムは1689年イングランド総選挙で家族の地盤を継承し、有力者第5代ブルック男爵フルク・グレヴィルの支持も受けて[注釈 1]無投票で当選した[7][4]。議会ではトーリー党の一員として活動し、戴冠宣誓文の起草や新しい忠誠宣誓英語版国王至上の誓いの審議に関わるなど庶民院委員会への任命が28件確認されている[4]

1689年にジェームズ2世が招集したアイルランド議会に出席せず、同年5月7日にアイルランド議会により私権剥奪された[2]。その後、ディグビー男爵はウィリアム3世に対する忠誠宣誓英語版に応じた[6]

1690年イングランド総選挙ではリチャード・ブース(Richard Booth)、ジェームズ・ブース(James Booth)父子を下して再選した[5]。1694年9月5日にウォリック大火英語版があり、ディグビーが1695年初に私法案を可決させてウォリック再建委員会を設立したため、1695年イングランド総選挙では当然の帰結として再選したが[5]ウィリアム3世暗殺未遂事件を受けて1696年連合英語版への加入が要求されると、ディグビーは拒否して、同年6月15日にはウォリックシャー副統監からも辞任した[6]。1690年より務めていたウォリックシャー治安判事も1696年に辞任した[4]。同年11月17日、暗殺未遂事件の首謀者第3代準男爵サー・ジョン・フェンウィック英語版の私権剥奪への反対演説を行い、25日には反対票を投じた[6]。連合加入の拒否により1698年イングランド総選挙では再選を目指さず、議員を退任した[5]。同様の理由によりブルック男爵からの支持も失ったとされる[6]。1698年9月18日に遠戚にあたる第3代ブリストル伯爵ジョン・ディグビー英語版が死去すると、シェアボーン城英語版などドーセットでの領地を継承した[4][8]

以降息子ロバートエドワード(2人ともに庶民院議員を務めた)、友人エドワード・ニコラス(Edward Nicholasシャフツベリ選挙区英語版選出の庶民院議員)を通じて政界へのパイプを維持したが、ディグビー男爵自身が再度議員を務めることはなく[1]、1702年から1703年にかけてオックスフォード大学選挙区英語版からの出馬を第2代ノッティンガム伯爵ダニエル・フィンチより打診されたが、辞退している[9]

1714年にジョージ1世が即位したときに忠誠宣誓を拒否し[6]、1721年のアタベリー陰謀事件では関与はなくても、少なくとも計画を知っていたとされる[1]

引退生活

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ディグビー男爵はイングランド国教会を離脱しなかったが、1680年代より国教忌避の聖職者ジョン・ケトルウェル英語版を援助しており、その影響もあって自領のコーゾル英語版は国教忌避者の避難所として知られるようになった[1]。ほかにもトマス・ブレイ英語版への援助、キリスト教知識普及協会英語版への支持が知られ[1]、1701年にはイギリス福音伝道会に入会した[4]

慈善事業にも着手し、度々債務者監獄フリート監獄英語版を訪れて囚人の債務を返済したほか[1]、1729年から1752年に死去するまで聖バーソロミュー病院理事を務めた[4]。妻ジェーンもシェアボーンで学校を設立しており、1733年にジェーンが死去するとディグビー男爵が引き継いだ[1]。同年、アメリカにおけるジョージア植民地設立のための信託英語版よりジョージア植民地の信託委員会(Common Council)の委員に任命された[4]

文学ではアレキサンダー・ポープパトロン(後援者)になり[4]、ポープは1729年9月の手紙で「あなたの家族はこの国でほぼ失われた、古き貴族の高潔さの好例である」(your whole family is an example of what is almost now lost in this Nation, the Integrity of ancient Nobility)とディグビーを称えている[1]

1752年11月29日に死去[2]シェアボーン寺院英語版で埋葬された[4]。孫エドワードが爵位を継承した[2]。遺言状では35,000ポンドを子孫に残し、100ポンドをウォリックシャーの債務者監獄に投獄されていた囚人に寄付した[6]

家族

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1686年5月22日、ジェーン・ノエル(Jane Noel、1667年ごろ – 1733年9月10日、初代ゲインズバラ伯爵エドワード・ノエル英語版の娘)と結婚[2]、4男8女をもうけた[10][11]

注釈

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  1. ^ ブルック男爵の長女キャサリン(Katherine)はディグビー男爵の妻の兄にあたる第2代ゲインズバラ伯爵リズリー・ノエル英語版と結婚している[5][6]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Kilburn, Matthew (3 October 2013) [2004]. "Digby, William, fifth Baron Digby of Geashill". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/7634 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  2. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 354–355.
  3. ^ a b c d e f g Foster, Joseph, ed. (1891). "Dabbe-Dirkin". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 366–405.
  4. ^ a b c d e f g h i j Mimardière, A. M. (1983). "DIGBY, William, 5th Baron Digby of Geashill [I] (c.1662-1752), of Coleshill, Warws.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月6日閲覧
  5. ^ a b c d Hanham, Andrew A. (2002). "Warwick". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月6日閲覧
  6. ^ a b c d e f g Hanham, Andrew A. (2002). "DIGBY, William, 5th Baron Digby of Geashill [I] (1661-1752), of Coleshill, Warws.; Sherborne, Dorset, and Southampton Square, Mdx.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月6日閲覧
  7. ^ Mimardière, A. M.; Moseley, Virginia C.D. (1983). "Warwick". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月6日閲覧
  8. ^ Ferris, John. P. (1983). "DIGBY, John, Lord Digby (1634-98), of Sherborne Castle, Dorset.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月6日閲覧
  9. ^ Hanham, Andrew A. (2002). "Oxford University". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月6日閲覧
  10. ^ a b c d e f g Debrett, John (1820). Debrett's Peerage of England, Scotland, and Ireland (英語). Vol. I. London. p. 306.
  11. ^ Henderson, Thomas Finlayson (1888). "Digby, William" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 15. London: Smith, Elder & Co. p. 68.
  12. ^ Matthews, Shirley (1970). "DIGBY, Hon. Robert (?1692-1726), of Coleshill, Warws.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月6日閲覧
  13. ^ Matthews, Shirley (1970). "DIGBY, Hon. Edward (c.1693-1746), of Wandsworth, Surr.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月6日閲覧
  14. ^ Cokayne, George Edward, ed. (1904). The Complete Baronetage (1665–1707) (英語). Vol. 4. Exeter: William Pollard & Co. p. 190.
  15. ^ Thomas, Peter D.G. (1970). "MACKWORTH, Herbert (1687-1765), of Gnoll, Glam.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月6日閲覧

外部リンク

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イングランド議会 (en
先代
第4代ディグビー男爵
トマス・コヴェントリー閣下英語版
庶民院議員(ウォリック選挙区英語版選出)
1689年1698年
同職:ウィリアム・コールモア 1689年 – 1695年
フランシス・グレヴィル閣下英語版 1695年 – 1698年
次代
ロバート・グレヴィル閣下
トマス・ワグスタッフ
アイルランドの爵位
先代
サイモン・ディグビー
ディグビー男爵
1686年 – 1752年
次代
エドワード・ディグビー