ロバート・ディグビー (1726年没)
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ロバート・ディグビー閣下(英語: Hon. Robert Digby、1692年? – 1726年4月19日)は、グレートブリテン王国の政治家。1722年から1726年まで庶民院議員を務めた[1]。
生涯
[編集]第5代ディグビー男爵ウィリアム・ディグビー(1662年 – 1752年)と妻ジェーン(Jane、旧姓ノエル(Noel)、1667年ごろ – 1733年9月10日、初代ゲインズバラ伯爵エドワード・ノエルの娘[2])の次男として、1692年ごろにウォリックシャーのコーゾルで生まれた[1][3]。1708年7月12日にオックスフォード大学モードリン・カレッジに入学、1711年10月17日にM.A.の学位を修得した[3]。
1722年イギリス総選挙でトーリー党候補としてウォリックシャー選挙区から出馬した[4]。この時代のウォリックシャーは「ホイッグ党員がほとんどいない州」と言われており、ディグビーも例に漏れず無投票で当選した[4]。議会で演説した記録はなかったが、弁論の記録を頻繁に父に送った[1]。
長らく健康が悪い状況が続いた後、1726年4月19日に生涯未婚のまま死去した[1][2]。死後、シェアボーン・アビーに埋葬され[2]、友人のアレキサンダー・ポープがディグビーを偲んで碑文体の詩を書いた[1]。ウォリックシャー選挙区の議席は補欠選挙を経て弟エドワードが引き継いだ[5]。
出典
[編集]- ^ a b c d e Matthews, Shirley (1970). "DIGBY, Hon. Robert (?1692-1726), of Coleshill, Warws.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月24日閲覧。
- ^ a b c Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 354–355.
- ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). "Dabbe-Dirkin". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 366–405. British History Onlineより。
- ^ a b Matthews, Shirley (1970). "Warwickshire". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月24日閲覧。
- ^ Matthews, Shirley (1970). "DIGBY, Hon. Edward (c.1693-1746), of Wandsworth, Surr.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月24日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ウィリアム・ペイトー アンドルー・アーチャー |
庶民院議員(ウォリックシャー選挙区選出) 1722年 – 1726年 同職:ウィリアム・ペイトー |
次代 ウィリアム・ペイトー エドワード・ディグビー |