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イツセイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イツセイ
第2回東京杯(1952年5月18日)
欧字表記 Issei[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1948年5月14日[1]
死没 不明(1966年2月廃用)
セフト[1]
レボアモンド[1]
母の父 レイモンド[1]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 鎌田三郎
馬主 岩崎利明
調教師 尾形藤吉東京
競走成績
生涯成績 32戦21勝
獲得賞金 6,338,150円
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イツセイとは、日本サラブレッド競走馬である[1]1951年当時、安田賞の名称だった安田記念の初代優勝馬。同世代の著名馬には、トキノミノルミツハタトラツクオーらがいる。

なお、全32戦、芝コースで出走した。

略歴

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1950年

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11月5日の未出走(東京競馬場、以下 東京)がデビュー戦となったが1着。その後2戦も勝ち、12月10日の朝日杯3歳ステークス中山競馬場、以下 中山)では、デビュー以来5連勝中のトキノミノルとの全勝対決となったが、トキノミノルに4馬身差をつけられ2着に終わった。当年の戦績は5戦4勝。

1951年

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3月18日の4歳A特別(中山、1着)から始動。そしてこのレース以降、保田隆芳が主戦騎手として手綱をとることになった。その後1着2回、2着2回の戦績を経て[2]、5月13日の皐月賞(中山)へと挑んだが、またしてもトキノミノルに2馬身差の2着に甘んじた。続く6月3日の東京優駿(東京)では1馬身4分の1と、最も着差が縮まったものの、結局トキノミノルの2着に甘んじた。

ところが6月20日、トキノミノルが破傷風で急逝。これにより、トキノミノルに替わる同世代ナンバーワンという声が高くなるが、実績は必ずしもその通りにはならなかった。

東京優駿の後、7月1日の第1回安田賞(現在の安田記念。東京、1600m)で、1分38秒0のレコード勝ちを収めたレースを含め4連勝(内レコード勝ち2回)を果たしたが、2500mの距離で行われた9月23日の毎日王冠(東京)では、同世代のミツハタに敗北。しかし続く9月30日の優勝(東京、2000m)では、当年の天皇賞・秋優勝馬となるハタカゼに7馬身の差をつけ、2分04秒0のレコード勝ち。さらに10月14日のカブトヤマ記念(中山)ではミツハタに5馬身の差をつけ、11月3日に行われる菊花賞京都競馬場)へ向けて弾みをつけた。しかし菊花賞では圧倒的1番人気に支持されたものの、勝ち馬のトラツクオー、2着のサチホマレに6馬身も離される3着とまさかの完敗。さらにこの一戦で初めて、3着以下の着順に甘んじた。その後いずれも2400mの距離で行われた11月25日のセントライト記念(東京、2着)、12月9日の中山特別(中山、6着)では、ともにミツハタの前に敗れた。

1952年

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3月10日の特ハン(東京)から始動。このレースを含め以後5連勝を果たしたが、西下はしなかった。5月18日の東京杯(現在の東京新聞杯。東京、当時2400m)では1番人気に支持され、当年の春の天皇賞を勝ったばかりのミツハタと対決。しかしミツハタにレコードタイムで駆けられて2着に終わり、またしても2000mを超える距離で勝てなかった。その後最後のレースとなる7月5日のオープン(東京、1着)まで4戦して3勝したが、ついに2000mを超える距離では勝つことができなかった。

一方で、レコード勝ちは通算4回マークしており、これに関連してライバルのミツハタに騎乗していた渡辺正人は、『いや〜(イツセイは)速かった。』と、後に述懐している[3]

引退後

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引退後は北海道日高地方で種牡馬となり、1958年の皐月賞馬タイセイホープの他、1959年の春の京都記念を勝ったイリユウなどを輩出。同世代のライバルだったミツハタやトラツクオーは種牡馬時代、特筆すべき産駒を出しておらず、種牡馬として同世代では最も実績を残している。その後は、青森県や岩手県に流れ、1966年2月に用途変更。

エピソードなど

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父系2代父のテトラテマや、同じく3代父のザテトラークの勝利実績がマイルまでの距離に偏っているため、大川慶次郎が自身の著書で、『イツセイの血統では、2000mを超える距離は基本的に持たない。』と述懐しており、実際にイツセイの2000m以下での戦績はトキノミノルの2着4回以外は全て勝利している。

競走成績

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1950年 未出走(1着)、10万下(1着)、オープン(1着)、朝日杯3歳S(2着)、オープン(1着)

1951年 4歳A特別(1着)、4歳選抜H(2着)、オープン(1着)、オープン(2着)、優勝(1着)、皐月賞(2着)、東京優駿(2着)、4歳特別(1着)、オープン(1着)、安田賞(1着)、オープン(1着)、毎日王冠(2着)、優勝(1着)、カブトヤマ記念(1着)、菊花賞(3着)、セントライト記念(2着)、中山特別(6着)

1952年 特ハン(1着)、優勝(1着)、オープン(1着)、優勝(1着)、オープン(1着)、東京杯(2着)、オープン(1着)、中山S(1着)、目黒記念・春(3着)、オープン(1着)

血統表

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イツセイ血統 ヘロド系 / 【インブリード】Sundridge 4×5、Ayrshire 5*5(父系) (血統表の出典)

*セフト
Theft
1932 鹿毛
父の父
Tetratema
1917 芦毛
The Tetrarch Roi Herode
Vahren
Scotch Gift Symington
Maund
父の母
Voleuse
1920 鹿毛
Volta Valence
Agnes Velasques
Sun Worship Sundridge
Doctorine

レボアモンド
1937 鹿毛
*レイモンド
1930 鹿毛
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Nipisiquit Buchan
Herself
母の母
レボア
1922 鹿毛
*イボア Hackler
Lady Gough
第二レインボウ *ブレアーモアー
*レインボウ


脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i イツセイ”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2024年12月6日閲覧。
  2. ^ ちなみに、2着となった2つのレースの勝ち馬は、いずれもトキノミノルである。
  3. ^ メルボルン二世の思い出の中の地方競馬 - 2010年8月27日付記事

外部リンク

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