イチサチホマレ
イチサチホマレ | |
---|---|
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1948年4月17日 |
死没 | 不明(1956年廃用[1]) |
父 | 大鵬 |
母 | 鶴楓 |
母の父 | 山正 |
生国 | 日本(北海道静内町) |
生産者 | サカエ牧場 |
調教師 |
上田武司(京都) →栗田金吾(大井) →不明(高知) |
競走成績 | |
生涯成績 | 53戦15勝[2] |
獲得賞金 | 452.5万円[3] |
勝ち鞍 |
京都記念(秋)(1951年) |
イチサチホマレは、サラブレッドの日本の競走馬、種牡馬である。国営競馬では夏の上がり馬として1951年の菊花賞で2着し、春、秋の京都記念を制した。また南関東公営競馬に転じてからも旧9歳まで第一線で活躍を続け、少なくとも通算1600万円以上の賞金を稼ぎ出している。なお、国営競馬での登録名はサチホマレ。
※以下、馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)にて記述する。
戦績
[編集]3~5歳(国営競馬)
[編集]京都競馬場の上田武司厩舎より国営競馬でデビューしたサチホマレだが、3歳時の戦績はじつに平凡なものだった。11戦してたった2勝を挙げたのみであり、しかもこの勝ち星は年末にローカルの小倉競馬場へ遠征してのものである。年が明けてもぱっとしないのは変わらず、トキノミノルの東京優駿にも出走はしたが26頭中21着に終わった。
だがここからサチホマレの戦績は上向き始め、10月にはチャレンジカップで天皇賞馬オーエンスらを下して重賞制覇。本番の菊花賞でも、3着を大きく引き離して勝ったトラツクオーとクビ差の2着に健闘した。そのあとは京都記念(秋)を制して重賞2勝目を挙げると、明けて5歳時は天皇賞(春)で3着。6月末に京都記念(春)を勝ったのちに、大井競馬場の栗田金吾厩舎へと転出していった。国営競馬の通算成績は53戦15勝、獲得賞金452.5万円。
5歳~8歳(地方競馬)
[編集]南関東へと場を移したサチホマレは、登録名をイチサチホマレと改める。明け6歳の正月川崎開催では、12キロの斤量差にもかかわらずキヨフジを相手に圧勝している。この年は14戦5勝の戦績で、299万円を獲得した。7歳時は川崎の開設記念を制したのを皮切りに1年間を通して走り続け、年間で30戦6勝、452.5万円を稼ぎ出している。そして8歳となった1955年、この年から南関東競馬では重賞競走が本格的に導入されたが、イチサチホマレは川崎記念、ワード賞[4]、八王子記念[5]、ゴールデンウエーブ記念と重賞4勝を挙げる大活躍を見せた。7月に川崎記念を制した段階で国営・地方通算の獲得賞金は1600万円を越えており、これは当時の国営競馬のトップホースであるタカオーやハクリヨウのそれが1000万円強であった時代背景からすると、大きく抜けた数字である。
現在の東京大賞典に当たる秋の鞍でも67キロを背負いながら1番人気に支持されたが、ミスアサヒロ[6]の追い込みの前に2着に敗れた[7]。
9歳~
[編集]春先までは南関東で走り2勝を挙げたあと、現役生活終盤は高知競馬場へ移籍したとされる[8]。
その後は国営競馬時の登録名サチホマレという名前で1956年から青森県で種牡馬入りしたが同年廃用。目立った産駒は出ていない。
血統表
[編集]イチサチホマレの血統(サンドリッジ系(キングファーガス系) / チヤペルブラムプトン 3×4=18.75% | (血統表の出典) | |||
父 大鵬 1929 黒鹿毛 |
父の父 シアンモアShian Mor 1924 黒鹿毛 |
Buchan 1916 | Sunstar 1908 | |
Hamoaze 1911 | ||||
Orlass 1914 | Orby 1904 | |||
Simon Lass 1909 | ||||
父の母 フリツパンシーFlippancy 1924 黒鹿毛 |
Flamboyant 1918 | Tracery 1909 | ||
Simonath 1905 | ||||
Slip 1909 | Robert le Diable 1899 | |||
Snip 1899 | ||||
母 鶴楓 1935 鹿毛 |
山正 1928 栗毛 |
チヤペルブラムプトン Chapel Brampton 1912 |
Beppo 1903 | |
Mesquite 1904 | ||||
種正 Young Man's Fancy 1929 |
Junior 1909 | |||
Enthusiast's Last 1909 | ||||
母の母 朝楓1929 鹿毛 |
トウルヌソル Tournesol |
Gainsborough 1915 | ||
Soliste 1910 | ||||
華時 1924 | チヤペルブラムプトン Chapel Brampton 1912 | |||
ヘロイン 1919 |
父の大鵬は初代中央三冠馬セントライトの半兄で、1934年の帝室御賞典(横浜)に優勝。母系はヘレンサーフ系に属する。
主要参考文献
[編集]- 啓衆社『競週地方競馬』1955年8月号、表紙裏(本馬の特集有)。
- 日本中央競馬会『中央競馬年鑑 昭和35年』1961年
脚注
[編集]- ^ 中央競馬年鑑 昭和35年 201頁
- ^ 国営競馬のみ
- ^ 国営競馬のみ。以後、旧8歳7月までに1600万円以上。
- ^ 翌年から創設された金盃に相当する条件でこの年のみ施行
- ^ 3月1日、大井競馬場ダート2400mのサラブレッド系ハンデキャップ競走。
- ^ 中央名アサヒロ
- ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京)』10月16~17日分。
- ^ 地方競馬全国協会『地方競馬史 第2巻』地方競馬全国協会、1974年、521頁。当時は南関東競馬の一流サラブレッドが最後に高知競馬へと移籍していくことは多く、同頁ではそのほかコスモライト(1955年全日本三歳優駿2着)、オートネ(1956年東京ダービー)、ダイサンコトブキ(1960年春の鞍、1962年秋の鞍)らの名が挙げられている。また、ヤマニンカツプ(1967年東京優駿2着)も競走生活の晩年に高知競馬に移籍している。そのほか、同様の著名馬としてはヤシマナシヨナルがいる。