烏賊飯
烏賊飯 | |
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種類 | 郷土料理 |
発祥地 | 日本 |
地域 | 北海道 |
誕生時期 | 昭和16年(1941年) |
主な材料 | スルメイカ、うるち米、もち米 |
Cookbook ウィキメディア・コモンズ |
烏賊飯(いかめし)は、イカの中に米を入れて炊き上げた日本の料理。北海道渡島地方の郷土料理。
概要
[編集]下足(げそ)を取り外し、腹ワタを取り除いたイカの胴身に、研いだ米を詰め込み醤油ベースの出し汁で炊き上げたもの。爪楊枝等で米が飛び出さないように留める事がある。米はもち米とうるち米を混ぜる[1]。胴身に詰める具材として、下足を細かく刻んだものや、筍、人参、油揚げなどを入れることもある[2]。
駅弁
[編集]生のイカに米やジャガイモを詰め込んで醤油味で煮込んだ料理は北海道日本海沿岸に古くから存在する料理で、大正、昭和初期の松前町[3]や焼尻島[4]など、各地で食されていた。
現在「駅弁」として有名な「いかめし」は、函館本線森駅の駅弁調製業者だった阿部弁当店(現在のいかめし阿部商店)が、第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)、戦時体制による食糧統制で米が不足していたため、当時豊漁だったスルメイカを用い、米を節約しても満足感がある料理として考案した[5]。当時の森駅は鉄道交通の要衝として、ソ連の侵攻に備えて北海道に配置された若い兵士たちを乗せた列車が乗り入れていた。そのため駅弁として売り出したところ、もち米入りで腹持ちが良いと評判を呼んだという[6]。
戦後の1966年(昭和41年)に京王百貨店で『第1回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会』が行われ、阿部弁当店はこの大会に烏賊飯を出品した。第2回には早くも売り上げ1位となり、以後同大会をはじめとする「駅弁大会」の常連となった。これによって「いかめし」は徐々に森町名物あるいは北海道名物として全国的に知られるようになった。
1970年代にはイカの不漁で安定供給が困難になった為ニュージーランド産のイカを使用。日本近海のイカよりも加熱調理後に冷めても身が柔らかく、より良いいかめしが出来上がった[7]。
現在では阿部商店以外の業者も製造販売しており、催事や通信販売でレトルトパックになったものが容易に入手できる。本州でも新潟県の長岡駅など、イカの産地では同様の駅弁が販売されている。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 日本の郷土料理 1巻 (北海道・東北 1) P.76
- ^ 日本の郷土料理 1巻 (北海道・東北 1) P.23
- ^ 日本の食生活全集1 北海道の食事 P.158
- ^ 日本の食生活全集1 北海道の食事 P.246
- ^ 北海道雑学百科ぷっちがいど
- ^ “北海道・森町名物 「いかめし」のこだわり | PlusParavi(プラスパラビ)”. 株式会社プレミアム・プラットフォーム・ジャパン (2019年7月4日). 2021年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月6日閲覧。 “ところが販売が伸びるなかイカは不漁となり、1970年代に入ると安定供給が困難となってしまいます。 しかし、これが転機となりました。外国産の"イカ"に活路を求めると、いかめしに最も適したニュージーランド産のイカと出合います。日本近海のイカは加熱したあと、冷めると身が硬くなりますが、ニュージーランド産は冷めても身が軟らかく、より良い"いかめし"ができたのです。”
参考文献
[編集]- 菊地武顕『あのメニューが生まれた店』平凡社、2013年11月。ISBN 978-4-582-63486-0。
- 石毛直道 編『日本の郷土料理 1巻 (北海道・東北 1)』ぎょうせい、1986年5月。ISBN 978-4-324-00271-1。
- 日本の食生活全集編集委員会 編『日本の郷土料理全集1 北海道の食事』農山漁村文化協会、1986年4月。ISBN 978-4540860010。
関連項目
[編集]- 道の駅YOU・遊・もり
- スンデ-朝鮮半島の腸詰料理。一般的には豚の腸に素材を詰めるが、江原道のオジンオスンデ(イカのスンデ)はイカの胴の中に牛挽肉、もやし、香味野菜、唐辛子、豆腐、つなぎに卵などを入れて蒸して作る。
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、烏賊飯に関するカテゴリがあります。