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安那般那念

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アーナーパーナから転送)
仏教用語
安那般那念(あんなはんなねん)
パーリ語 ānāpāna-sati
サンスクリット語 ānāpāna-smṛti
中国語 安那般那念
日本語 安那般那念
英語 mindfulness of breathing
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安那般那念(あんなはんなねん、: ānāpāna-sati:アーナーパーナ・サティ、: ānāpāna-smṛti:アーナーパーナ・スムリティ)とは、仏教瞑想の一種。安般念(あんぱんねん)、安般守意(あんぱんしゅい)、阿那波那(あなはな)、入出息念出入息念持息念数息観などとも。

安那般那念は、狭義には文字通り、入出息(呼吸)を意識する(あるいは、呼吸を数える)ことで、意識を鎮静・集中させる止行(サマタ)の一種、ないしは導入的な一段階を意味するが、広義には、そこから身体の観察へと移行していき、四念処に相当する観行(ヴィパッサナー)の領域も含む。

上座部仏教圏では、パーリ語経典経蔵中部の『入出息念経』(安般念経、Anapanassati-sutta)、相応部の『入出息相応』(安般相応、Anapana-samyutta)等で説かれ、多くの宗派で必須の行法となっている。四十業処の十隨念の中の1つ。

大乗仏教中国仏教圏では『雑阿含経』『大安般守意経』『修行道地経』などで説かれ、六妙門、八念、十念[1]、十六特勝といった行法の一部ないし全般に相当するものとして知られる。また五停心観の中の1つ。

語義

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ānāpāna(アーナーパーナ)とは、āna(アーナ)とapāna(アパーナ)の合成語であり、āna(アーナ)は入息を、apāna(アパーナ)は出息を意味する。

また、sati(サティ)やsmṛti(スムリティ)は、念(意識していること)を意味する。

合わせて、ānāpāna-sati(アーナーパーナ・サティ)、ānāpāna-smṛti(アーナーパーナ・スムリティ)とは、入出息(呼吸)を意識すること(あるいは、呼吸を数えること)を意味し、上記のような音訳・意訳も含む、様々な漢訳語が生み出され、使用されている。

パーリ仏典

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「安那般那念経」(Ānāpānasati sutta)では、呼吸を使った瞑想法について次のように具体的に記述されている。以下は安那般那念経(パーリ語の英訳版)からの引用である。

Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'[2][3]
長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。「私は全身の感覚を把握しながら(paṭisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)[4]を静めて息を吸おう」と訓練する。「私は身行(=吐く息)[4]を静めて息を吐こう」と訓練する。

これがどのように修行をするのかについて書かれた一節である。このような修行に関して次のように述べられている。

This is how mindfulness of in-&-out breathing is developed & pursued so as to be of great fruit, of great benefit.[2][5]
これが呼吸による気づきであり、このように熱心に行い、自身を訓練することは大きな果報となり、大きな利益となる。

出典

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  1. ^ 十念とは - デジタル大辞泉 小学館/コトバンク
  2. ^ a b Anapanasati sutta Thanissaro Bhikkhuによる英語訳(2006)より引用
  3. ^ パーリ語の原文についてはAccess to insightに掲載されているAnapanasati suttaを参照のこと。
  4. ^ a b kāyasaṅkhāra. 「身行とは、入息と出息である Kāyasaṅkhārāti assāsapassāsa. (MA.43./II,351.)」
  5. ^ パーリ語の原文についてはAccess to insightに掲載されているAnapanasati suttaを参照のこと。

関連項目

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