アーサー・イングラム (第6代アーヴィン子爵)
表示
第6代アーヴィン子爵アーサー・イングラム(英語: Arthur Ingram, 6th Viscount of Irvine、1689年12月21日洗礼 – 1736年5月26日)は、イギリスの政治家、貴族。ホイッグ党所属[1]。
生涯
[編集]第3代アーヴィン子爵アーサー・イングラムとイサベラ・メイチェル(Isabella Machell、1670年10月25日 – 1764年7月21日、ジョン・メイチェルの娘)の息子として生まれ、1689年12月21日にウィットカークで洗礼を受けた[1]。1706年6月13日にリンカーン法曹院に入学、25日にオックスフォード大学オリオル・カレッジに入学した[2]。
1715年イギリス総選挙でホーシャム選挙区から出馬して落選したが、選挙申し立てにより繰り上げ当選となった[3]。議会では与党の一員として投票したが、七年議会法案だけはホーシャム選挙区の有権者が請願を出して反対したためそれに従った[3]。1721年4月10日に兄リッチが死去すると、アーヴィン子爵の爵位を継承した[1]。
1725年に議会の議決を得て、多くの領地を売却した[1]。
1728年から1736年までイースト・ライディング・オブ・ヨークシャー統監を務めた[1]。
1736年5月26日に生涯未婚のまま死去、弟ヘンリーが爵位を継承した[1]。
テンプル・ニューサムにチャールズ・ジャーヴァスによるアーサー・イングラムの肖像画(1712年の作品)が現存する[4]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 72–74.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Ibbetson-Izod". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 785–792.
- ^ a b Lawson, J. B. (1970). "INGRAM, Hon. Arthur (1689-1736), of Temple Newsam, Yorks.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年10月26日閲覧。
- ^ "Arthur, 6th Viscount Irwin (1689–1736)". Art UK (英語). 2019年10月26日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
---|---|---|
先代 サー・ヘンリー・ゴリング準男爵 チャールズ・エヴァースフィールド |
庶民院議員(ホーシャム選挙区選出) 1715年 – 1721年 同職:アーサー・イングラム |
次代 チャールズ・エヴァースフィールド アーサー・イングラム |
名誉職 | ||
先代 ウィリアム・パルトニー |
イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー統監 1728年 – 1736年 |
次代 コンヤーズ・ダーシー |
スコットランドの爵位 | ||
先代 リッチ・イングラム |
アーヴィン子爵 1721年 – 1736年 |
次代 ヘンリー・イングラム |