リッチ・イングラム (第5代アーヴィン子爵)
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第5代アーヴィン子爵リッチ・イングラム(英語: Rich Ingram, 5th Viscount of Irvine、1688年1月6日 – 1721年4月10日)は、イギリスの軍人、貴族。
生涯
[編集]第3代アーヴィン子爵アーサー・イングラムとイサベラ・メイチェル(Isabella Machell、1670年10月25日 – 1764年7月21日、ジョン・メイチェルの娘)の息子として、1688年1月6日にテンプル・ニューサムで生まれ、23日にホーシャムで洗礼を受けた[1]。1700年頃にイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1703年7月3日にケンブリッジ大学クライスツ・カレッジに入学、続いて1704年9月11日にライデン大学に入学した[2]。
1714年5月7日に兄エドワード・メイチェルが死去すると、アーヴィン子爵の爵位を継承した[1]。同年から1715年までイースト・ライディング・オブ・ヨークシャー統監を務め[1]、1715年1月から6月までイースト・ライディング・オブ・ヨークシャー首席治安判事も務めた[3]。また、1715年から1721年までキングストン=アポン=ハル総督を、1715年から1717年までアーヴィン子爵の歩兵連隊隊長を、国王所有乗馬連隊隊長を務めた[1][4]。
1720年にバルバドス総督に任命したが、任地に向かう前の1721年4月10日に天然痘により死去、17日にウェストミンスター寺院に埋葬された[1]。弟アーサーが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1717年12月頃、アン・ハワード(1696年以前 – 1764年12月2日、第3代カーライル伯爵チャールズ・ハワードの娘)と結婚した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 72–74.
- ^ "Richard INGRAM (INGN703R)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Sainty, John Christopher (November 2002). "Custodes Rotulorum 1660-1828". Institute of Historical Research (英語). 2019年10月26日閲覧。
- ^ "Irvine, Viscount of (S, 1661 - 1778)". Cracroft's Peerage (英語). 23 May 2003. 2019年10月26日閲覧。
軍職 | ||
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先代 ハンス・ハミルトン |
アーヴィン子爵の歩兵連隊隊長 1715年 – 1717年 |
次代 ジョン・チャムリー |
先代 リチャード・サットン |
キングストン=アポン=ハル総督 1715年 – 1721年 |
次代 トマス・スタンウィクス |
先代 ヘンリー・ラムリー |
国王所有乗馬連隊隊長 1717年 – 1721年 |
次代 コバム子爵 |
名誉職 | ||
先代 リーズ公爵 |
イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー統監 1714年 – 1715年 |
次代 バーリントン伯爵 |
イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー首席治安判事 1715年 | ||
スコットランドの爵位 | ||
先代 エドワード・メイチェル・イングラム |
アーヴィン子爵 1714年 – 1721年 |
次代 アーサー・イングラム |