アンリ3世 (コンデ公)
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アンリ3世・ド・ブルボン=コンデ Henri III de Bourbon-Condé | |
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コンデ公 | |
在位 | 1686年 - 1709年 |
出生 |
1643年7月29日 フランス王国、パリ |
死去 |
1709年4月1日(65歳没) フランス王国、パリ |
配偶者 | アンヌ・ド・バヴィエール |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ブルボン=コンデ家 |
父親 | コンデ公ルイ2世 |
母親 | クレール・クレマンス・ド・マイユ=ブレゼ |
サイン |
アンリ3世ジュール・ド・ブルボン=コンデ(Henri III Jules de Bourbon-Condé, 1643年7月29日 - 1709年4月1日)は、ブルボン朝時代のフランスの軍人、貴族。コンデ公、モンモランシー公(1689年にアンギャン公と改称)、ギーズ公。
生涯
[編集]「大コンデ」と呼ばれるコンデ公ルイ2世と、クレール・クレマンス・ド・マイユ=ブレゼ(リシュリュー枢機卿の姪)の長男として、パリで生まれた。
軍人となるべく育てられ、父と共にオランダ侵略戦争に従軍、1673年にはライン前線の担当となった。しかし父ほどの才能はなく、名ばかりの実績しかなかった。良い教育を受けたものの、意地の悪い性格で知られていた。晩年にはリカントロピー(lycanthropy, 精神病の一種)を患い、狂気の状況にあった。
子女
[編集]1663年、プファルツ=ジンメルン伯エドゥアルト(プファルツ選帝侯フリードリヒ5世の息子、カール1世ルートヴィヒの弟)と妃アンヌ・ド・ゴンザーグの娘アンヌ・ド・バヴィエールと結婚。9子をもうけた。
- マリー=テレーズ(1666年 - 1732年) - コンティ公フランソワ・ルイ妃
- アンリ(1667年 - 1670年) - ブルボン公
- ルイ3世(1668年 - 1710年) - コンデ公
- アンヌ(1670年 - 1675年)
- アンリ(1672年 - 1675年)
- ルイ・アンリ(1673年 - 1675年)
- アンヌ・マリー(1675年 - 1700年)
- ルイーズ・ベネディクト(1676年 - 1753年) - メーヌ公ルイ・オーギュスト妃
- マリー・アンヌ(1678年 - 1718年) - ヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ妃
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アンリ3世ジュール・ド・ブルボン=コンデ
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アンリ3世と父ルイ2世(左)
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