アレクサンダー・フォン・クールラント
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アレクサンダー・フォン・クールラント Alexander Prinz Kurland | |
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出生 |
1658年10月18日 |
死去 |
1686年6月28日(27歳没) ハプスブルク帝国、ショプロン近く |
家名 | ケトラー家 |
父親 | クールラント公ヤーコプ・ケトラー |
母親 | ルイーゼ・シャルロッテ・フォン・ブランデンブルク |
アレクサンダー・フォン・クールラント(Alexander Prinz von Kurland, 1658年10月18日 - 1686年6月28日)は、ブランデンブルク=プロイセンの軍人。大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの甥にあたる。「隻腕(Der Einarmige)」とあだ名された。
生涯
[編集]クールラント公ヤーコプ・ケトラーとその妻でブランデンブルク選帝侯ゲオルク・ヴィルヘルムの娘であるルイーゼ・シャルロッテの間の末息子として生まれた。母の実家ブランデンブルクの軍隊に仕えて陸軍大佐となり、1683年に新設されたクールラント歩兵連隊(Regiment Kurland zu Fuß)の連隊長に任命された。同連隊は後にアルトプロイセン第10歩兵連隊(Altpreußisches Infanterieregiment No. 10)として再編・改称された。連隊を率いて大トルコ戦争に従軍したが、ブダ包囲戦(Belagerung von Ofen)中の1686年4月26日に致命傷を負い、ウィーンへ移送される途中にショプロンの町を前にして死去した。27歳だった。
参考文献
[編集]- Leopold von Zedlitz-Neukirch, Pantheon des Preussischen Heeres, S.352, Digitalisat