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アルマニ・モレイラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルマニ・モレイラ
名前
本名 アルマニ・サモリ・ダ・シルヴァ・モレイラ
Almami Samori da Silva Moreira
ラテン文字 Almami Moreira
基本情報
国籍 ギニアビサウの旗 ギニアビサウ
ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1978-06-16) 1978年6月16日(46歳)
出身地 ビサウ
身長 167cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2001 ポルトガルの旗 ボアヴィスタFC 17 (1)
1997-1998 ポルトガルの旗 ゴンドマルSC (loan) 21 (4)
1998-1999 ポルトガルの旗 ジル・ヴィセンテFC (loan) 33 (9)
2001-2006 ベルギーの旗 スタンダール・リエージュ 114 (18)
2004-2005 ドイツの旗 ハンブルガーSV (loan) 22 (3)
2006 ロシアの旗 ディナモ・モスクワ 1 (0)
2007 ポルトガルの旗 CDアヴェス 8 (3)
2007-2011 セルビアの旗 パルチザン・ベオグラード 88 (23)
2011 中華人民共和国の旗 大連一方 22 (4)
2012 セルビアの旗 ヴォイヴォディナ 22 (1)
2013 スペインの旗 UDサラマンカ 15 (4)
2014 ポルトガルの旗 アトレティコCP 11 (3)
代表歴2
1998-1999  U21ポルトガル 12 (5)
2002  ポルトガルB 2 (0)
2010-2011 ギニアビサウの旗 ギニアビサウ 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年4月14日現在。
2. 2016年6月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アルマニ・サモリ・ダ・シルヴァ・モレイラAlmami Samori da Silva Moreira, 1978年6月16日 - )は、ギニアビサウビサウ出身の同国代表の元サッカー選手

経歴

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ボアヴィスタ/ベルギー/ロシア

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ギニアビサウビサウで生まれると、1995年にボアヴィスタFCの下部組織に入団するが、プロ選手としてキャリアを開始したのはレンタルで過ごしたゴンドマルSC英語版ジル・ヴィセンテFCだった。1999年に復帰すると主に控え選手として過ごし、最終年にクラブ史上初のリーグ優勝を経験した。

モレイラはスタンダール・リエージュへ移籍すると、すぐに人気選手となったが、ベルギーで5年過ごした後の2004-05シーズンにハンブルガーSVに完全移籍のオプション付きで同僚のエミール・ムペンザと共にレンタルへ出された[1][2]

2006年8月、当時ポルトガルをベースとしたポルトガル語圏の選手が多数在籍しているロシアFCディナモ・モスクワへ加入した。しかし、その選手達の大半と同じように不安定なプレーを見せたため、1月にポルトガルへと戻っていった。CDアヴェスでは、トップレベルからの降格を避けるために戦っていたが、結局実現しなかった。

パルチザン

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2007年7月5日、モレイラはセルビアパルチザン・ベオグラードと2年契約を結び、背番号10を与えられ、クラブを代表する選手になっていった。7月19日にUEFAカップ 2007-08HŠKズリニスキ・モスタル戦でデビューをすると、8月2日に同じ相手に初ゴールを決めた。2007年7月29日、同じベオグラードを拠点とするレッドスター・ベオグラードとのヴェチティ・デルビでゴールを決め2-2で引き分けた。移籍初年度の2007-08シーズンに28試合・7ゴールを記録。リーグ優勝に加え、セルビア・カップのタイトルも獲得し、ダブル達成に貢献した。2008年12月3日、UEFAカップ 2008-09セビージャFC戦で試合開始8分に負傷交代し[3]、病院に運び込まれた。

2009年4月10日、新たに契約期間を2012年まで3年延長した[4]。2008-09シーズンはコンスタントなプレーを見せると、7人のチームメイトと共にベストイレブンに選ばれ、再びダブル達成に貢献した。2009年8月5日、前日に母親を亡くす不幸に見舞われたものの、UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10予選3回戦のアポエルFC第2戦に出場することを決意。開始3分にゴールを決めたが、最終的に1-2で敗退した。

2010年2月27日のFKボラツ・チャチャク戦、55分にサシャ・イリッチと交代で出場し、パルチザン出場100試合を達成した。

代表

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90年代後半にU-21ポルトガル代表として約20試合に出場。2002年のヴァーレ・ド・テージョ夏季大会にBチームとして出場し、優勝した[5]

2010年にギニアビサウのサッカーがプロ化することに伴い、祖国のギニアビサウ代表でプレーすることを決意。同年10月、32歳にして初キャップを記録した[6]

個人タイトル

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脚注

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  1. ^ Léonard returns to Standard
  2. ^ Gesucht und (wieder)gefunden
  3. ^ 復調セビージャ、パルチザンに快勝
  4. ^ 'Dr Mo' keeps Partizan in peak condition
  5. ^ "Torneio do Vale do Tejo"
  6. ^ 2012 AFCON Qualifying Preview: Guinea Bissau - Kenya

外部リンク

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