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アルフォンス・ムゾーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルフォンス・ムゾーン
Alphonse Mouzon
アルフォンス・ムゾーン(2009年)
基本情報
出生名 Alphonse Lee Mouzon[1]
生誕 (1948-11-21) 1948年11月21日[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 サウスカロライナ州チャールストン[1]
死没 (2016-12-25) 2016年12月25日(68歳没)[1]
ジャンル ジャズフュージョンジャズ・ファンクディスコ[1]
職業 ミュージシャン、レコードレーベル・オーナー
担当楽器 ドラム、キーボード[1]
活動期間 1970年 - 2016年
レーベル ブルーノート、Tenacious
共同作業者 ウェザー・リポート

アルフォンス・ムゾーン[2]Alphonse Mouzon1948年11月21日 - 2016年12月25日[1]は、アメリカフュージョン・ドラマーであり、主にムゾーンのレコーディング作品をリリースしたレーベル「テネイシャス・レコード (Tenacious Records)」のオーナーを務めた。彼は作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、そして俳優であった。1960年代後半から1970年代初頭に人気を博した[3]

生い立ち

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アフリカ、フランス、ブラックフット族の子孫であるムゾーンは、1948年11月21日にサウスカロライナ州チャールストンで生まれた[1]。ボンズ・ウィルソン高校で最初の音楽トレーニングを受け、卒業と同時にニューヨークに移った。ニューヨーク市立大学シティカレッジで演劇と音楽を学び、マンハッタン医科大学で医学を学んだ。彼はジャズ・ピアニストのビリー・テイラーのドラマーであるボビー・トーマスからドラム・レッスンを受け続けた。1968年のブロードウェイ公演『プロミセス・プロミセス』でパーカッションを演奏し、その後はピアニストのマッコイ・タイナーと共演した。彼はフュージョン・バンドのウェザー・リポートのメンバーとして1年を過ごす[1]。その後、ムゾーンは1972年にブルーノート・レーベルとソロ・アーティストとして契約した。

キャリア

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1973年から1975年にかけてギタリストのラリー・コリエル率いるザ・イレヴンス・ハウスというフュージョン・バンドに在籍している間に、ムゾーンの認知度は高まった[1]。この期間のアルバムには、『ラリー・コリエル & ザ・イレヴンス・ハウス』、『Level One』、『マインド・トランスプラント』(ソロ・アルバム)、1977年のコリエルとの再会録音である『未来への再会』 がある。

ムゾーンは、1974年にビリー・コブハムのアルバム『スペクトラム』で演奏したギタリストのトミー・ボーリンと一緒に『マインド・トランスプラント』を録音した。

彼は4枚のR&Bアルバムを録音した。『ジ・エッセンス・オブ・ミステリー』(ブルーノート、1972年)、『ファンキー・スネイクフット』(ブルーノート、1973年)、『ザ・マン・インコグニート』(ブルーノート、1976年)(「Take Your Troubles Away」を収録)、そして1980年代にハービー・ハンコックリー・リトナーシーウィンド・ホーンズ、フレディ・ハバードをフィーチャーした『バイ・オール・ミーンズ』である。

ムゾーンは数多くの著名なフュージョン・ミュージシャンたちと共演してきた。1991年には、マイルス・デイヴィスと一緒に映画のサウンドトラック・アルバム『ディンゴ』で演奏した。ムゾーンはジャズ・クラブのシーンでかかる曲「The Blue Spot」を作曲し、1996年にトム・ハンクス監督による映画『すべてをあなたに』に俳優兼ドラマーとして出演している。アルフォンス・ムゾーンは2003年にヒューストンで開催された映画祭に参加した映画『The Highlife』にマイルス役で出演。また、映画『ホワイト・プリンセス』でマイケル・キートンケイティ・ホームズと共演、映画『The Dukes』ではレイ役で、ロバート・デヴィチャズ・パルミンテリピーター・ボグダノヴィッチと共演する姿を観ることができる。

ムゾーンは、スティーヴィー・ワンダー[1]エリック・クラプトン[1]ジェフ・ベックカルロス・サンタナ[1]パトリック・モラーツベティ・デイヴィスチャビー・チェッカーと共演した。レッド・ツェッペリンのリードシンガーであるロバート・プラントは、1995年のロックの殿堂入りのスピーチで、アルフォンス・ムゾーンをアメリカ音楽からバンドが受けた影響の1つとして挙げた。

1992年、ムゾーンは「テネイシャス・レコード (Tenacious Records)」を設立し、アルバム『The Survivor』をリリースした。以前のアルバムの再発を含む、テネイシャス・レコードの後続のリリースには、『On Top of the World』『Early Spring』『バイ・オール・ミーンズ』『Love Fantasy』『Back to Jazz』『As You Wish』『The Night is Still Young』『The Sky is the Limit』『Distant Lover』『モーニング・サン』『Absolute Greatest Love Songs and Ballads』がある。

1981年のアルバム『モーニング・サン』は、東南アジア、特にフィリピンで最も成功したアルバムとなった。アルバムのほとんどの曲、特にタイトル曲は、その間にさまざまなFMおよびAMラジオ局で広く再生され、フィリピンの広告、コマーシャル、社交イベント、ラジオのニュース番組などで現在もよく使用されている。

ムゾーンは、アルベルト・マンゲルスドルフ(トロンボーン)とジャコ・パストリアス(ベース)とのレコーディングにおいて「トライローグ」という名前で演奏した。もともと1976年に録音され、2005年に再リリースされたこのライブ公演は、1976年11月6日のベルリン・ジャズ・デイズで行われた。

2014年、ムゾーンはプロデューサーのジェリー・ギャラガーから招かれ、ラテン・ロックの伝説的人物であるエル・チカーノ、デヴィッド・ペイチブライアン・オーガーアレックス・リガートウッドレイ・パーカー・ジュニア、レニー・カストロ、ヴィッキー・カーピート・エスコヴェード、ピーター・マイケル・エスコヴェード、ジェシー・J、マルコス・J・レイエス、サイーダ・ギャレット、ウォルフレド・レイエス・ジュニア、サルバドール・サンタナ、スペンサー・デイヴィスとレコーディングし、2019年にリリース予定のギャラガーの最新スタジオ・アルバムの一部である2曲「Make Love」「The Viper」にてドラムでフィーチャーされている。

健康問題と死

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2016年9月7日、ムゾーンはまれな形態の癌である神経内分泌腫瘍と診断された[1]。彼の息子、ジャン・ピエール・ムゾーンは、2016年12月25日、カリフォルニア州ロサンゼルスのグラナダ・ヒルズにある自宅にて、父親が68歳で心停止により亡くなったと報告した[1]

受賞歴

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  • Marquis Who's Who』第2版のエンターテインメントの項、および『Who's Who in the World』に掲載
  • 1995年、『Jazziz』誌の年次読者投票にて第2位のマルチインストゥルメンタリストに選ばれた

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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  • 『ジ・エッセンス・オブ・ミステリー』 - The Essence of Mystery (1973年、Blue Note)
  • ファンキー・スネイクフット』 - Funky Snakefoot (1974年、Blue Note)
  • マインド・トランスプラント』 - Mind Transplant (1975年、Blue Note)
  • 『ザ・マン・インコグニート』 - The Man Incognito (1976年、Blue Note)
  • トライローグ』 - Live At The Berlin Jazz Days (1977年、MPS) ※with アルベルト・マンゲルスドルフジャコ・パストリアス
  • 『美徳』 - Virtue (1977年、MPS) ※旧邦題『ヴァーチュ』
  • 『イン・サーチ・オブ・ア・ドリーム』 - In Search of a Dream (1978年、MPS)
  • Baby Come Back (1979年、Metronome) ※Mouzon's Electric Band名義
  • 『モーニング・サン』 - Morning Sun (1981年、Pausa)
  • 『バイ・オール・ミーンズ』 - By All Means (1981年、Pausa)
  • Distant Lover (1982年、Highrise)
  • The Sky Is the Limit (1985年、Pausa)
  • The Eleventh House (1985年、Pausa) ※with ラリー・コリエル
  • Back to Jazz (1986年、L+R)
  • Love, Fantasy (1987年、Optimism)
  • Early Spring (1988年、Optimism)
  • As You Wish (1989年、Jazzline) ※with Final Notice
  • Now (1991年、Inak) ※with Infinity
  • Nevertheless (1992年、In+Out) ※with Just Friends
  • The Survivor (1992年、Tenacious)
  • On Top of the World (1994年、Tenacious)
  • The Night Is Still Young (1996年、Tenacious)
  • Fusion Jam (1999年) ※with トミー・ボーリン
  • Live in Hollywood (2001年、Tenacious)
  • Jazz in Bel-Air (2008年、Tenacious)
  • Angel Face (2011年、Tenacious)

参加アルバム

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ラリー・コリエル

  • 『ラリー・コリエル & ザ・イレヴンス・ハウス』 - Introducing The Eleventh House with Larry Coryell (1974年、Vanguard) ※ザ・イレヴンス・ハウス名義
  • Level One (1975年、Arista) ※ザ・イレヴンス・ハウス名義
  • 『プラネット・エンド』 - Planet End (1975年、Vanguard)
  • 『未来への再会』 - Back Together Again (1977年、Atlantic)
  • At Montreaux (1978年、Vanguard)
  • The Coryells (2000年、Chesky)
  • 『1975年1月~ライヴ・ラヴ・シリーズ Vol.1』 - Larry Coryell & The Eleventh House January 1975 (2014年、Promising Music) ※ザ・イレヴンス・ハウス名義
  • 『セブン・シークレッツ』 - Seven Secrets (2016年、Savoy) ※ザ・イレヴンス・ハウス名義

ハービー・ハンコック

マッコイ・タイナー

  • サハラ』 - Sahara (1972年、Milestone)
  • 『ソング・フォー・マイ・レディ』 - Song For My Lady (1973年、Milestone)
  • 『ソング・オブ・ザ・ニュー・ワールド』 - Song Of The New World (1973年、Milestone)
  • 『エンライトメント』 - Enlightenment (1973年、Milestone)

ヤスパー・ファントフ

  • However (1978年、MPS)
  • Live in Montreux (1980年、Pausa)
  • Nevertheless (1992年、In+Out)

その他

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Chinen, Nate (December 28, 2016). “Alphonse Mouzon, Jazz and Fusion Drummer, Dies at 68”. https://www.NYTimes.com/2016/12/28/arts/music/alphonse-mouzon-jazz-and-fusion-drummer-dies-at-68.html October 14, 2017閲覧。 
  2. ^ アルフォンス・ムザーン」「アルフォンス・ムゾン」の表記もある。
  3. ^ Prato, Greg. “Alphonse Mouzon”. AllMusic. July 8, 2012閲覧。

外部リンク

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