I級駆逐艦 (初代)
I級駆逐艦 | |
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基本情報 | |
種別 | 駆逐艦 |
運用者 | イギリス海軍 |
就役期間 | 1911年 - 1922年 |
前級 | H級 (エイコーン級) |
準同型艦 | リバー級 |
次級 | K級 (アカスタ級) |
要目 (アドミラルティ型) | |
常備排水量 | 778トン (計画) |
全長 | 75.0 m |
最大幅 | 7.8 m |
吃水 | 2.7 m |
ボイラー | 水管ボイラー×3缶 |
主機 | 蒸気タービン×3基 |
推進器 | スクリュープロペラ×3軸 |
出力 | 13,500馬力 |
速力 | 27.0ノット |
航続距離 | 1,900海里 (13kt巡航時) |
燃料 | 重油178トン |
乗員 | 72名 |
兵装 |
・40口径10.2cm砲×2門 ・40口径7.6cm砲×2門 ・53.3cm単装魚雷発射管×2基 |
I級駆逐艦(英語: I-class destroyer)は、イギリス海軍の駆逐艦の艦級[1]。当初は「アケロン」をネームシップとしてアケロン級(英: Acheron-class)と称されていたが、1913年に再種別された[2]。
来歴
[編集]1908年4月に成立したアスキス内閣では、社会保障の財源確保のため、自由統一党以来の海軍増強計画の見直しを進めていた[3]。この流れを受けて、イギリス海軍では、1908-9年度計画のビーグル級(後のG級)、1909-10年度計画のエイコーン級(後のH級)と、コスト低減を重視した駆逐艦が建造されていた[1][2]。
1910-11年度計画の駆逐艦も、エイコーン級(H級)を元にした小改正型として予定されており、これによって建造されたのが本級である。しかしこの時期、仮想敵であるドイツ帝国海軍の大型水雷艇の速力は30ノットに達しており、従来のイギリス海軍の駆逐艦では劣勢となることが懸念された。このことから、イギリスの民間造船所の高い技術力に期待して、海軍本部の設計による基本型(アドミラルティ型)とは別に、設計・建造にあたって各造船所に大幅な自由裁量を許した特型(Specials)が4タイプ計9隻建造された。このアプローチは成功を収めたことから、以後のイギリス海軍でも度々用いられることになった[1]。
設計
[編集]上記の経緯より、基本設計はエイコーン級(H級)に準じたものとなっており、船型もE級以来の船首楼型が踏襲されている。ただし本級では機関部の短縮を図り、H級と比して、艦橋を約3メートル後方に移動した。また凌波性改善のため、船首楼だけでなく艦橋付近の舷側にもフレアを付している[1]。
アドミラルティ型では、機関構成は基本的にH級のものが踏襲されているが、上記の機関区画短縮の要請から、主ボイラーを1缶減らして3缶とした。主機はパーソンズ・タービン(3軸推進)とブラウン・カーチス・タービン(2軸推進)がある。出力13,500馬力で速力27ノットであった[4]。
上記の経緯により建造された特型では、速力向上の要請から主機出力の増大を図っており、出力15,500~16,000馬力で速力28~29ノットとなった。ヤーロウ特型ではブラウン・カーチス・タービン(2軸推進)、ソーニクロフト特型ではパーソンズ・タービン(3軸推進)と、いずれも従来通りの直結タービン方式であったが、パーソンズ特型では、初めて減速機を介したパーソンズ・セミ・ギヤード・タービンを採用した。これは、高圧タービンと巡航タービンに歯車減速機を付けて、推進軸と直結した低圧タービンに結合させたものであり、高圧タービンと巡航タービンの効率向上が実現した[4]。
また、ヤーロウ社に発注された特型のうち最後の3隻は、20,000馬力のパーソンズ直結タービン(2軸推進)を搭載したファイアドレーク特型として建造された[1][4]。
装備
[編集]兵装面では、エイコーン級(H級)の構成が踏襲された。艦砲としては、船首楼甲板と後部甲板に40口径10.2cm砲(BL 4インチ砲Mk.VIII)を1門ずつ、また後部甲板に40口径7.6cm砲(QF 12ポンド砲)2門を装備した。水雷兵装としては、53.3cm単装魚雷発射管2基を備えている[1]。
同型艦一覧
[編集]設計 | 艦名 | 造船所 | 進水 | 解体/売却 |
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アドミラルティ型 | ゴスホーク HMS Goshawk |
ベアドモア | 1911年10月18日 | 1921年11月 |
ハインド HMS Hind |
ジョン・ブラウン | 1911年7月28日 | 1921年5月 | |
ホーネット HMS Hornet |
1911年12月20日 | |||
ハイドラ HMS Hydra |
1912年2月19日 | |||
ディフェンダー HMS Defender |
デニー | 1911年8月30日 | 1921年11月 | |
ドルイド HMS Druid |
1911年12月4日 | 1921年5月 | ||
サンドフライ HMS Sandfly |
スワン・ハンター | 1911年7月26日 | ||
ジャッカル HMS Jackal |
ホーソン・レスリー | 1911年9月9日 | 1920年9月 | |
タイグリス HMS Tigress |
1911年12月20日 | 1921年5月 | ||
ラプウィング HMS Lapwing |
キャメル・レアード | 1911年7月29日 | 1921年10月 | |
リザード HMS Lizard |
1911年10月10日 | 1921年11月 | ||
フィニックス HMS Phoenix |
ヴィッカース・バロー | 1911年10月9日 | 1918年5月14日 戦没 | |
フェレット HMS Ferret |
ホワイト | 1911年10月 (竣工) | 1921年5月 | |
フォレスター HMS Forester |
1911年6月1日 | 1921年11月 | ||
ヤーロウ特型 | アーチャー HMS Archer |
ヤーロウ | 1911年10月21日 | 1921年5月 |
アタック HMS Attack |
1912年12月12日 | 1917年12月30日 戦没 | ||
ソーニクロフト特型 | アケロン HMS Acheron |
ソーニクロフト | 1911年7月26日 | 1921年5月 |
エイリアル HMS Ariel |
1911年9月 (竣工) | 1918年8月2日 戦没 | ||
パーソンズ特型 | バッジャー HMS Badger |
デニー | 1911年7月11日 | 1921年5月 |
ビーヴァー HMS Beaver |
1912年11月 (竣工) | |||
ファイアドレーク特型 | ファイアドレーク HMS Firedrake |
ヤーロウ | 1912年4月9日 | 1921年10月 |
ラーチャー HMS Lurcher |
1912年6月1日 | 1922年6月 | ||
オーク HMS Oak |
1912年9月5日 | 1921年5月 |
参考文献
[編集]- ^ a b c d e f 「イギリス駆逐艦史」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、27頁、ISBN 978-4905551478。
- ^ a b Randal Gray (1984). Robert Gardiner. ed. Conway's All the World's Fighting Ships 1906-1921. Naval Institute Press. pp. 18, 75. ISBN 978-0870219078
- ^ 坂井秀夫『政治指導の歴史的研究:近代イギリスを中心として』創文社、1967年、393-396頁。 NCID BN0195115X。
- ^ a b c 阿部安雄「機関 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、164-171頁、ISBN 978-4905551478。