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アグネス・フォン・エスターライヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アグネス・フォン・エスターライヒ
Agnes von Österreich
ハンガリー王妃
在位 1168年 - 1172年
別称号 ケルンテン公妃(1173年 - 1181年)

出生 1151年
オーストリア辺境伯領
死去 1182年1月13日
オーストリア公国
埋葬 オーストリア公国ウィーン、ショッテン修道院
結婚 1168年
1173年
配偶者 ハンガリー王イシュトヴァーン3世
  ケルンテン公ヘルマン
子女 ウルリヒ2世
ベルンハルト英語版
家名 バーベンベルク家
父親 ハインリヒ2世
母親 テオドラ・コムネナ
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アグネス・フォン・エスターライヒ(Agnes von Österreich, 1151年? - 1182年1月13日)はバーベンベルク家の人物。1168年から1172年まで、ハンガリーイシュトヴァーン3世の妻としてハンガリー王妃となり、夫の死後、ケルンテン公ヘルマン2世英語版と再婚した。

生涯

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アグネスは、バーベンベルク家出身のオーストリア公ハインリヒ2世東ローマ帝国マヌエル1世の姪テオドラ・コムネナの長女として誕生した。

1166年、マヌエル1世とハンガリー王国イシュトヴァーン3世の和平を仲介していたハインリヒ2世は、アグネスとイシュトヴァーン3世との結婚を提案した。が、すでにイシュトヴァーン3世はハリチのヤロスラフ・オシュミスルの娘と結婚が決まっていた。しかしこの結婚はすぐに終わり、婚姻無効となって彼女は1168年に父親に送り返された。オーストリアとの交渉が再開され、アグネスは同じ年にイシュトヴァーン3世と結婚した[1][2][3]

アグネスは同年長男のベーラを産んだが夭折した。夫は、1172年3月4日にハインリヒ2世と会った後に突然急死した。アグネスは夫の死の直前に二番目の男児を産んだが、出生直後に死亡した。

夫の葬儀の直後、アグネスは父に連れられてハンガリーを去った。1年後の1173年シュポンハイム家ケルンテン公ヘルマン2世英語版と結婚した。アグネスとヘルマン2世はウルリヒ2世ベルンハルト英語版の2人の息子を儲けた。

ヘルマン2世は1181年に亡くなり、アグネスも1年後に亡くなった。アグネスは両親と共にウィーンに埋葬された。

子女

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最初の夫ハンガリー王イシュトヴァーン3世との間に2子を儲けたがどちらも夭折した。

2人目の夫ケルンテン公ヘルマンとの間に2子を儲けた。

  • ウルリヒ2世(1176年 - 1202年) - ケルンテン公(1181年 - 1202年)
  • ベルンハルト(1176/81年 - 1256年) - ケルンテン公(1202年 - 1256年)

脚注

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  1. ^ https://books.google.hu/books?q=agnes+of+austria+stephen+III&lr=&sa=N&start=0
  2. ^ Stephen III - king of Hungary”. 2017年12月28日閲覧。
  3. ^ Comyn, Sir Robert Buckley (1 January 1851). “The history of the Western empire: from its restoration by Charlemagne to the accession of Charles V.”. W. H. Allen. 2017年12月28日閲覧。