コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アクスブリッジ (マサチューセッツ州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アクスブリッジ
Uxbridge
会衆派教会と南北戦争記念碑
会衆派教会と南北戦争記念碑
愛称: 
"アメリカ初の女性投票者の故郷"、"交差点の村"
標語: 
"初期アメリカのタペストリーを織りなす"
ウースター郡内の位置(赤)
ウースター郡内の位置(赤)
北緯42度04分38秒 西経71度37分48秒 / 北緯42.07722度 西経71.63000度 / 42.07722; -71.63000座標: 北緯42度04分38秒 西経71度37分48秒 / 北緯42.07722度 西経71.63000度 / 42.07722; -71.63000
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
マサチューセッツ州の旗 マサチューセッツ州
ウースター郡
入植 1662年
法人化 1727年
政府
 • 種別 オープン・タウンミーティング
 • 町政委員会議長 ジェニファー・モディカ
 • 町政委員会副議長、事務官 ジェフ・ショー
 • 町マネジャー デイビッド・ジェネルー
面積
 • 合計 30.4 mi2 (78.7 km2)
 • 陸地 29.5 mi2 (76.5 km2)
 • 水域 0.8 mi2 (2.1 km2)
標高
270 ft (82 m)
人口
(2020年)[1]
 • 合計 14,162人
 • 密度 470人/mi2 (180人/km2)
等時帯 UTC-5 (東部標準時)
 • 夏時間 UTC-4 (東部夏時間)
郵便番号
01569, 01538, 01525
市外局番 508 / 774
FIPS code 25-71620
GNIS feature ID 0618387
ウェブサイト http://www.uxbridge-ma.gov/

アクスブリッジ: Uxbridge)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ウースター郡にある町。人口は1万4162人(2020年)。州都ボストンの南西58キロメートル[2]、郡庁所在地ウースターの南東24キロメートルに位置している。ブラックストーン・バレー国立公園ではその中央にある。

1662年に入植され、1727年に町として法人化され、当初はサフォーク郡、およびメンドン町に属していた。町名はイングランドの貴族アクスブリッジ伯爵から採られた。町出身のクエーカー教徒2人が反奴隷制度運動で全国的な指導者となった。町内ではアメリカ初期のタペストリーを織り上げている[3]

「ワセンタグ」(川が曲がる所)近くのニプマクインディアンが17世紀の開拓者に土地を譲渡した。アクスブリッジはアメリカ初の女性有権者リディア・チャピン・タフトに投票権を認めた。アメリカでは初の精神医療の病院がここで設立された[4][5]。女性のデボラ・サンプソンが男性兵士の振りをしてアメリカ独立戦争で戦った。1820年に機械式織機を使い軍服や衣服の製造が始まり、140年間続いた。町政委員会はマサチューセッツ州で初の女性陪審員を認めた。アクスブリッジは毛織のカシミアで有名になった。「アクスブリッジ・ブルー」はアメリカ空軍初の礼装である[6]。BJ'sホールセールクラブの大きな物流倉庫が現在も町内に残っている。

歴史

[編集]

町の起源

[編集]
17世紀の宣教師ジョン・エリオット

en:History_of_Uxbridge,_Massachusetts(英語版・アクスブリッジの歴史)も参照。

インディアン時代のことは多くは伝わっていない[7]。しかし、ニプマク族はこの辺りを「Wacantuck(ワカンタック)」あるいは「Waentug(ワエンタグ)」[注 1]と呼んでいた[7]。一説によれば、これは彼らの言葉で“川が曲がる所”を意味したという[8][注 2]。ここには17世紀半ばには人口50人強の村があったとされている。

17世紀の半ば頃から、宣教師のジョン・エリオット(John Eliot)がこの村を訪れるようになり、やがてニプマク族のうちキリスト教に改宗した者(Praying Indian)のために村の発展に助力した[9][10][8]

1640年代からヨーロッパ移民が不正規に周辺へ進出していたが、1659年に当時のマサチューセッツ第一裁判所(Massachusetts General Court)は、こうした開拓者たちがニプマク族から土地を買収することに許可を出した。1662年にブレインツリーウェイマスの開拓者たちは、ニプマク族の族長である“偉大なジョン(Great John)”に土地の売買契約書に署名させた。これにより、メドフィールド(en:Medfield, Massachusetts)の西方15マイル(約24km)にある8マイル(13km)四方の土地が24スターリング・ポンドの対価で開拓者に売り渡された[7][11]。1667年には、このさらに東側の土地が売り渡され、そこはやがてメンドン(Mendon)の町になった。当時のこのあたりは、最も辺境の開拓地で、20から25の家族が入植し、インディアンとは友好的に交易を行っていた。彼らの中にはインディアンの言葉を覚え、キリスト教の布教を行った者もあり、実際に改宗したインディアンもいた[12]

しかし、長年にわたりインディアンの土地を「奪って」いた白人に対するインディアンの不満は募り、とうとう1675年にインディアン諸部族と白人の間で戦乱となった。インディアン諸部族から選ばれた代表者メタコメットを白人は「フィリップ王」と呼んでいたので、この戦乱をフィリップ王戦争と呼ぶ。Wacantuck(ワカンタック)やメンドンの住民は、この戦争によるマサチューセッツでの最初の犠牲者となり、最初期の入植者たちは皆殺しにされ、町も焼き払われた[12]

メンドンの町は1680年頃に再建された。このとき、幾つかの家族が、農耕に適した肥沃な土地を求めてメンドンの西方に住み着いた。そのあたりはメンドンからは川を3つ隔てていて、かつてのWacantuck(ワカンタック)に近い地域だった。これらの家族の中にはロバート・タフト・シニアが率いるタフト家(Taft family)もあった。

彼らが住んだ場所はメンドンの中心地から離れており、行政機関へ出向くにも不便で、やがてそれが問題になっていった[7]。1727年に、彼らは裁判所へ、彼らの居住地をメンドンの町から分割して別の町にするように願い出た[7]。メンドンの議会でもこの請願が全会一致で可決され、メンドンの西側の地域が分割されることになった[7]。この地域の中心的存在だったタフト家では、その出自をイギリスのアクスブリッジ伯爵の子孫(Marquess of Anglesey)と自称していたことから、町はアクスブリッジ(Uxbridge)と命名された[7]。このときに、ファーナム・ハウスで最初のタウンミーティングが開かれた[13]

植民地、独立戦争、クエーカー、奴隷制度廃止運動

[編集]

ネイサン・ウェブの教会は第一次大覚醒の時にできた植民地初の会衆派教会だった[14]。1756年、リディア・チャピン・タフトが町のタウンミーティングで投票し、初めて参政権を行使した女性となった[15]

セス・リードとジョセフ・リードおよびシメオン・ホィーロックが通信委員会に参加した[16]。バクスター・ホールは民兵隊の太鼓手だった[17]。セス・リードはバンカーヒルの戦いに参戦した。ジョージ・ワシントン大陸軍に司令官に就くために向かう途中で、リードの酒場に立ち寄った[18][19]。サミュエル・スプリングはアメリカ独立戦争最初期の従軍牧師だった[20]。女性のデボラ・サンプソンは「アクスブリッジのロバート・シャートリーフ」として従軍した[21]シェイズの反乱はこの町でも始まり、ジョン・ハンコック州知事がアクスブリッジの暴動を鎮めた[22][23]。シメオン・ホィーロックはスプリングフィールド造兵廠を守っている時に死んだ[24]。セス・リードはアメリカ合衆国の貨幣にラテン語の『E pluribus unum』(多くから作られた一つ)を加えることを推進した者だった[25][26][27]。ワシントンは大統領就任の旅で、この町に泊まった[28][29]

ジェイコブ・アルドリッチ邸、クエーカー・スタイルの家

リチャード・モウリーなどクエーカー教徒がロードアイランドのスミスフィールドからここに移って来て、製粉所、鉄道、家屋を建て、道具やコネストーガ幌馬車の車輪を製造した[24][30][31]。サウスウィックの店には社会と教育のための図書があった。モーゼス・ファーナムの農園に隣接するフレンズの集会所は奴隷制度廃止運動家のアビー・ケリー・フォスターやエフィンガム・カプロンがその会員として著名になった[32][33][34]。カプロンは地元の反奴隷制度協会員450人を率いた。アクスブリッジにいる元奴隷のブリスター・ピアースは、コロンビア特別区で奴隷制度と奴隷貿易を廃止することをアメリカ合衆国議会に要求する請願書に署名した者だった[35]

交通、教育、公共医療と安全

[編集]

タフト家が1709年にブラックストーン川に架かるミドルポスト道路の橋を建設した[36]。ウースターからプロビデンスに至る駅馬車ルートでは、チームマスターが馬を編成した荷車列を運行した。ブラックストーン運河では、アクスブリッジを宿泊所としてプロビデンスまで、馬に曳かせた艀を動かした[7][37][38]。この交差点の村は地下鉄道 (秘密結社)の結節点だった[39]。1848年、プロビデンス・アンド・ウースター鉄道が運河の利用を終わらせた。

1732年、「アクスブリッジに学校を建てる」ための投票が行われた[7]グラマースクールが建設され、1797年に2000ドルで1室だけの地区学校13校が建設された。1818年建設のアクスブリッジ・アカデミーはニューイングランドの準備学校として権威あるものになった。

アクスブリッジは天然痘のワクチン接種について住民投票で否決した[15]。サミュエル・ウィラードが天然痘患者を治療し[40]、現代的な精神科医の先駆けとなり、アメリカでは初の精神病院を運営した[4][5]。当時の生体記録には幼児の多くの死を記録している[18]。町政委員ジョセフ・リチャードソンの天然痘の死、「クインシー」、「赤痢」、「結核」による死もあった[18][24]。レナード・ホワイトは1896年にこの町でマラリアが流行したことを記録し、蚊が媒介する疫病としてマラリアを初めて統制することになった[41]。アクスブリッジは1922年の四半期での強盗件数が州内でも多い町となり、投票によって初めて夜間のパトロール警官を雇うことになった[42]

工業の時代: 19世紀から20世紀後半

[編集]

沼鉄鉱と3つの鉄鍛造所が植民地時代を画したものであり、1775年頃に大規模工業の時代が始まった。その発展の例として、毛織物、リンネル、綿布を生産する機械を造り販売し[3][43]、製粉所、製材所、蒸留所、大規模工場を建設したリチャード・モウリーの仕事がある[9]。アクスブリッジの最盛期には20種類の工場があった[9][24]。ダニエル・デイが1809年に最初の毛織物工場を建てた[7][15]。1855年までに、560人の地元労働者が250万ヤード (230万 m) の布を生産していた[9][24]。スカデンの小さな銀鉱脈では、1830年代に商業的な採鉱が出来なかった[44]

チャールズ・カプロン邸、カプロン通り2. カプロン家はその工場があったアクスブリッジ・センターで工業時代に顕著な存在だった

技術革新には機械式織機、毛糸から衣服までの垂直統合、カシミアと毛糸の合成ブレンド、「ウォッシュ・アンド・ウェア」、紡糸技術、ラッチフック・キットがあった。村には工場、店舗、労働者住宅、農園があった。ウィリアム・アーノルドのアイアンストーン綿糸工場は後に「ケンタッキー・ブルージーンズ」を製造し[24]、セス・リードの製粉所には後にベイステイト・アームズ(武器製造会社)が入った。ヘクラとホィーロックビルにはアメリカン・ウールン、ウォウカンタック・ミル、ヒレナ・ローウェルの靴工場、ドレーパー・コーポレーションが入った。ダニエル・デイ、ジェリー・ホィーロック、ルーク・タフトが水力を利用した工場を運営した。モーゼス・タフトのセントラル・ウールンは、南北戦争のために制服を作り続けた[24][45]

ノースアクスブリッジには、クラップの1810綿糸工場、チャンドラー・タフトとリチャード・セイルズのリビュレット工場、花崗岩石切り場、ロジャーソンのビレッジがあった。クラウン・アンド・イーグル・ミルは「初期工業建築の傑作」だった[46]。ブランチャードの花崗岩石切り場からはニューヨーク市や地域の公共事業に縁石を供給した[9][24][47]。ピーター・ローソン・タフトの孫、ウィリアム・タフト大統領がサミュエル・タフト邸を訪問した[48]

ジョン・カプロン・シニア、エフィンガム・カプロン、ジョン・W・カプロンの工場がアメリカのサティネットと毛糸機械式織機を開発した[9][7][49]。チャールズ・A・ルート、エドワード・バックマン、ハロルド・ウォルターはバックマン・アクスブリッジを拡大し、女性ファッションにおける指導力を持った[50]。この会社は南北戦争第一次世界大戦第二次世界大戦の間にアメリカ陸軍の制服、さらに陸軍衛生部の制服やアメリカ空軍最初の礼服(アクスブリッジ・ブルーと呼ばれた)を制作した[24][51]。雑誌タイムは、アクスブリッジ・ウーステッドのバイアウトでアメリカ毛織物トップ製造会社になると報道した[52]。アメリカ最大級の紡糸会社バーナット・ヤーンの最大工場が1960年代から1980年代まであった。「インフォメーション・サービス」と呼ばれる歴史ある会社がアクスブリッジで運営され、20世紀後半には、数ある出版物の中でも「ニュー・レパブリック」の購読サービスを管理した。

20世紀後半から現在

[編集]

工場や川の周辺に開発された州や国の公園が改修されてきた[53]。1974年の映画『華麗なるギャツビー』と1978年の映画『オリバーの話』は、スタンリー・ウールン・ミルなどアクスブリッジで撮影された。ブラックストーン川国定歴史遺産回廊には[54]、広さ1,000エーカー (4.0 km2) のブラックストーン運河歴史遺産州立公園[55]、長さ9マイル (14 km) のブラックストーン川グリーンウェイ[56]、南ニューイングランド・トランクライン・トレイル、ウェストヒル・ダム、広さ567エーカー (2.3 km2) の野生生物保護区[57]、メタコメット土地信託の土地[58]、コーミア森、国家登録54か所と州登録375か所の歴史的史跡が含まれている。史跡の1つ、ジョージア調のエルムシェイドは、アメリカ合衆国陸軍長官アルフォンソ・タフトが有名な一族集会で家族の歴史を物語った場所である[59][60]。ジョン・カプロンの木製工場は、2007年にバーナット・ミルで火事が起きたときも生き残った。スタンリー・ミルはウォウカンタック・ミルが壊されたときに修復された。2013年、何度か火事が起こってこの町にも影響し、1800年代初期からある銀行の建物やクエーカー教徒の家屋が焼けた。

著名な出身者

[編集]

ロバート・タフト・シニアは政治家一族であるタフト家の家長である。ロバート・タフト2世は町政委員であり、ベンジャミン・タフトが2つ目の鉄鍛造所を建てた。ジョサイア・タフトの未亡人リディア・タフトはアメリカで初の女性投票者になった[15]。ベンザリール・タフト・シニアはアメリカ独立の時に大尉を務め、州の下院議員および上院議員も務めた。ベンザリール・タフト・ジュニアも同様に州議会上院議員を務めた。サミュエル・タフトはジョージ・ワシントンが就任後のツアーのときに歓待した[15]。エズラ・タフト・ベンソンは末日聖徒イエス・キリスト教会の聖徒の一人となり、ハワイ布教者、ユタ州議員を務めた。チャンドラー・タフトは1814リビュレット工場を建てた。ダニエル・デイはタフト家の一員であり、アメリカで3番目の毛織物工場を始めた。ルーク・タフトは水力を使った繊維工場2つを建て、モーゼス・タフトはスタンリー・ウールン・ミルを建てた。ピーター・ローソン・タフト1世がウィリアム・タフトの祖父だった。

バーモント大学第4代学長のウィラード・プレストンは、有名な説教を出版しており、後に独立系サバンナ長老派教会に務めた[61]。アーサー・マッカーサー・シニアは州副知事、アメリカ合衆国地区裁判所判事を務め、ダグラス・マッカーサーの祖父となった。セス・リードはバンカーヒルの戦いに参戦し、アメリカ合衆国の貨幣にラテン語の『E pluribus unum』(多くから作られた一つ)を加えることを推進した者となった[25][62]。その後ペンシルベニア州エリー市とニューヨーク州ジェネバ市の設立者となった[16][25]。ポール・C・ウィットインはウィットイン・マシン・ワークスを設立した。フィネアス・ブルースとベンジャミン・アダムズはアメリカ合衆国下院議員になった。ジョシュア・マコーマーとウィリアム・オーガスタス・モウリーは教育者になった。エフィンガム・カプロンは[39]、南北戦争推進、反奴隷制度活動で中心となって町を率い、州と全国で反奴隷制度運動の指導者となり、工業資本家でもあった[39]。エドワード・サリバンは米西戦争名誉勲章を得た。ウィラード・バートレットはニューヨーク控訴裁判所長官となり、フランクリン・バートレットはアメリカ合衆国下院議員となった。エドワード・P・ブラードはブラード・マシン・ツールズを興し、その設計で自動車の製造と産業そのものを可能にした。

チャールズ・アーサー・ルート、エドワード・バックマン、ハロルド・ウォルターが、アクスブリッジ・ウーステッドを巨大製造業にし、女性のファッションに影響した。アリス・ブリッジズは1936年ベルリンオリンピックの水泳で銅メダルを獲得した[63]。ティム・フォータグノはメジャーリーグベースボールカリフォルニア・エンジェルスシカゴ・ホワイトソックスでプレイした。リチャード・ムーアはマサチューセッツ州上院議長代行、アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁執行役、州議会全国大会議長を務め、マサチューセッツ州で画期的な医療法の構築者となった[64][65]。ブライアン・スカリーは雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」の写真ジャーナリストであり、地球の海洋生物の保護に努めている[66]。アーサー・K・ホィーロック・ジュニアは、ナショナル・ギャラリー (ワシントン)バロック学芸員である[67]。ジャクリーン・リーバーゴットはエマーソン大学の学長だった。ジャニーヌ・オッペウォールはアカデミー美術賞で4度候補になった。スキップ・シーは映画を10作品制作し、聖職者の虐待に関する映画『アベ・マリア』でローマ国際映画祭の賞をもらった[68]

町政府

[編集]
郡の州機関首脳
裁判所書記官英語版: デニス・P・マクマナス (D)
捺印証書登録官英語版: ジョセフ・D・アーリー・ジュニア (D)
検認登録官英語版: ステファン・アブラハム (D)
郡保安官: ルー・エバンジェリディス (R)
州政府
州下院議員英語版: ライアン・ファットマン英語版 (R)
ケビン・J・クロス英語版 (R)
州上院議員英語版: リチャード・T・ムーア英語版 (D)
行政委員英語版: ジェン・ケイシー (R)
連邦政府
下院議員: ジェームズ・P・マクガヴァン英語版
(D-2nd Dist.英語版)
上院議員: エリザベス・ウォーレン (D)
エド・マーキー英語版 (D)

アクスブリッジは町政委員会とタウンミーティングの政府形態を採っている[69]。これまでの政府は、1756年、リディア・チャピン・タフトに町のタウンミーティングで投票させ、初めて選挙権を行使した女性とした[15]。1775年には天然痘ワクチン接種を拒否した[15]。マサチューセッツ州務長官に反抗して、女性の陪審員を認めた[70]。2009年の健康委員会はアクスブリッジを薬局でタバコの販売を禁止した国内3番目の町にしたが、後にこれを撤回した[71]。アクスブリッジには州の地区裁判所がある。

地理

[編集]

アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は30.4平方マイル (79 km2)であり、このうち陸地29.6平方マイル (77 km2)、水域は0.8平方マイル (2.1 km2)で水域率は2.73%である。州都ボストン市の南西39.77マイル (64.00 km)、ウースターの南東16マイル (26 km)、ロードアイランド州プロビデンスの北西20マイル (32 km) にある。町内の標高は200フィート (61 m) から577フィート (176 m) まで変化する。州内ではダグラス、メンドン、ミルビル、ノースブリッジ、サットンの各町に接し、さらにロードアイランド州のバーリルビルノーススミスフィールドの各町と接している。位置関係は下図参照。

隣接する町

[編集]

気候

[編集]

アメリカ合衆国農務省による植物気候帯では第5区分、気候帯では大陸性気候にあり、降雪は10月(まれ)から5月まである。過去最高気温は1975年7月の104°F (40 ℃)、過去最低気温は1957年1月の-25°F (-32 ℃)だった[72]

アクスブリッジの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °F°C 37
(3)
40
(4)
49
(9)
59
(15)
70
(21)
79
(26)
84
(29)
82
(28)
75
(24)
64
(18)
53
(12)
42
(6)
61.2
(16.3)
平均最低気温 °F°C 13
(−11)
16
(−9)
27
(−3)
37
(3)
47
(8)
55
(13)
60
(16)
59
(15)
49
(9)
37
(3)
30
(−1)
20
(−7)
37.5
(3)
降水量 inch (mm) 3.6
(91)
3.3
(84)
4.1
(104)
3.9
(99)
4.3
(109)
3.6
(91)
3.7
(94)
4.1
(104)
4.1
(104)
4.1
(104)
4.5
(114)
4.0
(102)
47.3
(1,201)
出典:Weather.com[72]

人口動態

[編集]
人口推移
人口±%
18502,457—    
18603,133+27.5%
18703,058−2.4%
18803,111+1.7%
18903,408+9.5%
19003,599+5.6%
19104,671+29.8%
19205,384+15.3%
19306,285+16.7%
19406,417+2.1%
19507,007+9.2%
19607,789+11.2%
19708,253+6.0%
19808,374+1.5%
199010,415+24.4%
200011,156+7.1%
201013,457+20.6%
202014,162+5.2%

出典: アメリカ合衆国国勢調査記録と人口推定プログラム英語版データ[73][74][75][76][77][78][79][80][81][82]

以下は2010年の国勢調査による人口統計データである[83]

基礎データ

  • 人口: 13,457人
  • 世帯数: 5,056 世帯
  • 人口密度: 170.77人/km2(442.66 人/mi2
  • 住居密度: 64.2軒/km2(166.31 軒/mi2
  • 登録有権者数: 9,959 人

人種別人口構成

  • 人口1人あたり収入: 24,540米ドル
  • 貧困線以下
    • 対人口: 4.7%

経済

[編集]

ハイテク、サービス、物流、生命科学、接客、地方政府、教育、観光が地元の主要な職である。広さ 618,000 平方フィート (57,400 m2) の物流センターは、フォーチュン500に入るBJ'sホールセールクラブの北部事業部のものである。2013年7月の失業率は6.9%だった[84]

教育

[編集]

町内の学校には、幼稚園前から2年生のタフト学校、ホィットイン小学校、マクラスキー中学校、アクスブリッジ高校(2012年建設)、およびアワーレディ・オブ・ザ・バレー・リージョナルがある。アプトン町のバレー工業高校には、クィンシガモンド・コミュニティカレッジが入っている。「ニューヨーク・タイムズ」はアクスブリッジの教育改革を、家族のニーズに合わせる「小さな革命」だと呼んでいる[85]

医療

[編集]

トリ・リバー・ファミリー・ヘルスセンター、マサチューセッツ大学医学部が一次医療を提供している。近くにあるミルフォード地域医療センター、ランドマーク医療センターが長期医療を担当している。

交通

[編集]

鉄道

[編集]

マサチューセッツ湾交通局通勤鉄道の停車駅で最寄りのものはフランクリン線のフォージパーク/495駅と、フレイミングハム/ウースター線のグラフトン駅とウースター駅である。北東回廊アムトラックは最高速度150マイル/時で走る。最寄駅はプロビデンス駅である。プロビデンス・アンド・ウースター鉄道の貨物線には駅が2つある。

高規格道路

[編集]

マサチューセッツ州道146号線が[86]ウースター市とを繋ぎ、そこから州間高速道路290号線と州間高速道路90号線がボストンに向かう。州道146号線の南東はプロビデンスに向かい、州間高速道路95号線州間高速道路295号線に繋がる。州道16号線は州間高速道路395号線を介してコネチカット州に繋がる。ボストンへは州間高速道路495号線もある。州道122号線がノースブリッジとウーンソケットとを繋いでいる。州道146号線代替路はノーススミスフィールドに向かう。 州道98号線はバリルビルと繋がる。

空港

[編集]

T・F・グリーン空港(プロビデンスとウォリック市)、ウースター地域空港、ボストンのジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港には商業便が運航されている。ホープデール空港(7.2マイル、11.6 km)とウースター空港は一般用途空港である。クエーカー・ハイウェイ沿いのスカイグレン空港は民間飛行場であり、FAAの空港リストには載っている[87]

見どころ

[編集]
  • アメリカ合衆国国家歴史登録財
  • ジョン・C・ファーナム邸、アクスブリッジ歴史協会博物館、1710年頃[88]
  • シメオン・ホィーロック中尉邸、アクスブリッジ・コモン地区、1768年[89]
  • クエーカー集会所、1770年頃[90]
  • タフト邸、1789年にジョージ・ワシントンが就任ツアーで訪れ、1910年にはウィリアム・タフトが訪れた[91]
  • クラウン・アンド・イーグル綿糸工場、1826年頃[92]
  • エルムシェイド、1874年にタフト家が一族集会を開いた場所
  • バーナット・ミル、元はカプロン・ミル、1820年頃、アクスブリッジ・ウーステッド社
  • スタンリー・ウールン・ミル、セントラル・ウールン、カルメット、モーゼス・タフト・ミルとも呼ばれた[93]
  • スタンリー・ウールン・ミル
  • ブラックストーン川バレー国定歴史遺産回廊
  • 国立公園局、バレーサイト: ミルビルとアクスブリッジ[94]
  • ブラックストーン運河、リバーベンド農園[95]
  • ブラックストーン川と運河歴史遺産州立公園[96]
  • リバーベンド農園と運河、国立公園局の冊子[97]
  • ウェストヒル・ダムとレクリエーション地域recreation area
  • アクスブリッジのウォーキングツアー、国立公園局の冊子[98]

ギャラリー

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ このほか資料によっては「Wacuntug(ワクンタグ)」、「Wacuntuc(ワクンタク)」、「Wacumtaug(ワクーンターグ)」などの表記もみられる[8]
  2. ^ 英語版en:History_of_Uxbridge,_Massachusettsでは、同じ出典(Nipmuc place names of New England)を2008年に参照して「魚が豊富に釣れる村」という意味としているが、2015年に同出典を確認した限りでは、同出典にはそのような記述はなく、「川の曲がる所」しか書かれていない。

出典

[編集]
  1. ^ Quickfacts.census.gov”. 11 Nov 2023閲覧。
  2. ^ North Uxbridge (Worcester County, Massachusetts [MA]): Around the Neighborhood
  3. ^ a b Uxbridge Walking Tour, NPS brochure”. NPS.gov. 2011年1月1日閲覧。
  4. ^ a b Lincoln, William (1862). "History of Worcester, Mass. from its Earliest settlement to 1836" by Charles Hersey. Worcester, Mass.: Hersey/Henry Howland Press. https://books.google.co.jp/books?id=8MRCObZ79wEC&pg=PA222&lpg=PA222&dq=dr+samuel+willard+of+uxbridge+born+died&source=web&ots=S6ESRPlmUJ&sig=R_ZoRrfb3opH2W7xVR64NWE6Inc&redir_esc=y&hl=ja 
  5. ^ a b アーカイブされたコピー”. 2013年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月4日閲覧。 Digital Treasures, Samuel Willard ran a "hospital for the insane" l and trained young physicians, East side of Uxbridge Common, (no longer standing)
  6. ^ Business: Time Clock, Time Magazine, March 29, 1954
  7. ^ a b c d e f g h i j k Marvin, Rev. Abijah Perkins (1879). History of Worcester County, Massachusetts, Embracing a Comprehensive History of the County from its earliest beginnings to the present time; Vol. II. Boston, MA: CF Jewitt and Company. pp. 421–436. https://books.google.co.jp/books?id=Rj4WqxsQu5UC&pg=PA429&lpg=PA429&dq=rev+nathan+webb+year+of+death&redir_esc=y&hl=ja 
  8. ^ a b c Nipmuc place names of New England”. native tech.org. 2015年2月10日閲覧。
  9. ^ a b c d e f MHC Reconnaissance Survey Town Report: Uxbridge; Report Date: 1984 Associated Regional Report: Central Massachusetts;” (PDF). Massachusetts Historical Commission; (1984年). 2007年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年11月20日閲覧。
  10. ^ Nipmuc History”. Lee Sultzman. 2007年9月28日閲覧。
  11. ^ Connole, Dennis A. (2001). The Indians of the Nipmuck Country in Southern New England, 1630-1750: A Historical Geography. McFarland and Company (Accessed by Google Books). p. 146. ISBN 978-0-7864-0799-6. https://books.google.co.jp/books?id=kTYkoJlemB4C&pg=PA7&lpg=PA7&dq=connole+dennis+a+2001+the+indians+of+the+nipmuck+country+in+southern+new+england+%221630+1750%22&redir_esc=y&hl=ja 
  12. ^ a b Tommies/Mendon”. wellwooster.com. 2015年2月10日閲覧。
  13. ^ John Farnum, Jr.”. Doug Sinclair's Archives. 2007年10月4日閲覧。
  14. ^ Clarke, D.D., Joseph S. (1858). A Historical Sketch of the Congregational Churches in Massachusetts, from 1620 to 1858. Boston (Digitized by Google books): Congregational Board of Publication. p. 148. https://books.google.co.jp/books?id=L7yETClx8EUC&pg=PA148&lpg=PA148&dq=great+awakening+uxbridge+mass&redir_esc=y&hl=ja 
  15. ^ a b c d e f g Chapin, Judge Henry (1881). Address Delivered at the Unitarian Church in Uxbridge, 1864. Worcester, MA: Charles Hamilton Press (Harvard Library; from Google Books). p. 172. https://books.google.co.jp/books?id=ua-pgcKRY2QC&pg=RA1-PA172&lpg=RA1-PA172&q=address+delivered+at+unitarian+church+&redir_esc=y&hl=ja 
  16. ^ a b Buford, Mary Hunter (1895). Seth Read, Lieut.-Col.Continental Army; Pioneer at Geneva, New York, 1787, and at Erie, Penn., June, 1795. His Ancestors and Descendants.. Boston, Mass.. pp. 167 pages on CD in PDF Format.. https://books.google.co.jp/books?id=ABlMAAAAMAAJ&pg=PA5&lpg=PA5&dq=buford+mary+hunter+1895+%22seth+read%22&redir_esc=y&hl=ja 
  17. ^ Martial Musick in Uxbridge Massachusetts 1727–present”. www.angelfire.com. 2007年9月23日閲覧。
  18. ^ a b c Baldwin, Thomas Williams (1916). Vital Records of Uxbridge, Massachusetts to the Year 1850. Boston: Wright and Potter Printing. pp. 2–450. https://books.google.co.jp/books?id=6lj7wmu0U2IC&dq=Samuel+Taft+of+Uxbridge&pg=PA235&cd=2&redir_esc=y&hl=ja 2007年11月2日閲覧。 
  19. ^ Collections of the Worcester Society of Antiquity. Volume XIV. Worcester, Massachusetts: googlebooks. (1897). p. 34. https://books.google.co.jp/books?id=JPQ7AAAAIAAJ&pg=PA34&lpg=PA34&redir_esc=y&hl=ja 2007年9月7日閲覧。 
  20. ^ Samuel Spring of Uxbridge, Revolutionary War Chaplain, by Michael Potaski” (PDF). Blackstone Valley Tribune. p. 5. 2008年12月12日閲覧。
  21. ^ “DEBORAH SAMPSON.; How She Served as a Soldier in the Revolution − Her Sex Unknown to the Army.*” (PDF). New York Times. (1898年10月8日). http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?_r=1&res=9402E3D71139E433A2575BC0A9669D94699ED7CF&oref=slogin 2007年10月31日閲覧。 
  22. ^ Quelling the opening salvos of Shay's rebellion”. alexautographs.com. 2007年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年11月10日閲覧。
  23. ^ Supplement to the Acts and resolves of Massachusetts:Vo1.1, p. 148. google books. (1896). https://books.google.co.jp/books?id=sjiAzbmkX14C&pg=PA148&lpg=PA148&dq=Sherrif+sent+to+Uxbridge,+by+John+Hancock,+1783&q=&redir_esc=y&hl=ja 2009年8月26日閲覧。 
  24. ^ a b c d e f g h i walking tours-Uxbridge”. Blackstone Daily. 2007年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年9月23日閲覧。
  25. ^ a b c e pluribus unum FAQ #7”. www.treas.gov. 2007年9月29日閲覧。[リンク切れ]
  26. ^ Buford, Mary Hunter (1895). Seth Read, Lieut.-Col.Continental Army; Pioneer at Geneva, New York, 1787, and at Erie, Penn., June, 1795. His Ancestors and Descendants.. Boston, Mass.. pp. 167 pages on CD in PDF Format. 
  27. ^ Preble, George Henry (1879). Origin and History of the American Flag and of the Naval and Yacht Club Signals, Seals and Arms, and of the Principal National Songs of the United States; Volume II. Philadelphia: Brown. pp. 695–696 
  28. ^ Stanton River Tour”. oldhalifax.com. 2008年5月1日閲覧。
  29. ^ Did George Washington Really Stay in Uxbridge”. blackstone riever valley.com. 2008年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年12月25日閲覧。
  30. ^ Uxbridge, Worcester County”. Department of Housing and Community Development. 2008年5月24日閲覧。
  31. ^ The Conestoga Wagon”. The Conestoga Area Historical Society. 2007年9月23日閲覧。
  32. ^ Uxbridge, Friends Meetinghouse”. NPS. 2007年9月29日閲覧。
  33. ^ The Historical Archeology of Mortuary Behavior: Coffin Hardware from Uxbridge, Massachusetts; Abstract: Edward Bell” (PDF). University of Florida (1992年). 2007年11月1日閲覧。
  34. ^ Buffum, Lucill (1914). Elizabeth Buffme Chase- Her Life and Its Environment. Google books. https://books.google.co.jp/books?id=_IoEAAAAYAAJ&pg=PA264&lpg=PA264&dq=abby+kelley+uxbridge+ma+society+of+friends&redir_esc=y&hl=ja 
  35. ^ http://cummingtonhistoricalcommission.weebly.com/cummington-antislavery-movement-finding-aid.html | Cummington, MA historical commission.
  36. ^ Holbrook, Stewart H (1962). The Old Post Road: The Story of the Boston Post Road. New York: McGraw Hill 
  37. ^ History of the Canal, The Blackstone Canal: A Brief Overview of Its Historical Significance”. Worcester Historical Museum. 2007年9月23日閲覧。
  38. ^ Stone Arch Bridge across Blackstone Canal in Blackstone River and Canal Heritage State Park. Uxbridge, Massachusetts, October 10, 2004”. Asgreev Photos. 2007年9月25日閲覧。
  39. ^ a b c An activist path: Mill owner founded Uxbridge anti-slavery society, by Susan Spence”. www.telegram.com. 2012年9月28日閲覧。
  40. ^ Backofen, Walter A (2001). Elias Frost, M.D., and his strategy for being remembered. p. 6. OCLC: 58438763 
  41. ^ A History of Mosquitoes in Massachusetts, by Curtis R. Best”. Northeast Mosquito Control Association. 2008年3月31日閲覧。
  42. ^ History of Policing in Uxbridge”. 2014年2月14日閲覧。
  43. ^ Blackstone River Valley, New England's Historic National Park area; Navigator/Uxbridge”. Blackstonerivervalley.com. 2008年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月6日閲覧。
  44. ^ Uxbridge Compendium article, 1866, Silver Mine, Blissful Meadows
  45. ^ Stanely Woolen Mill, The Story”. Deaneredevelopment.com. 2011年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月13日閲覧。
  46. ^ Langenbach, Randolph (1971-08-15). The Crown and Eagle Mills, A remarkable Massachusetts Relic of the Industrial Revolution now in danger of destruction. Boston: Boston Globe Sunday Magazine 
  47. ^ Crane, Ellery Bicknell (1907). Historic Homes and Institutions and Genealogical and Personal Memories of Worcester County, Massachusetts with a history of Worcester Society of Antiquity;. Chicago and New York: Lewis. p. 385. https://books.google.co.jp/books?id=rqvWQWtFKl0C&pg=RA1-PA7&lpg=RA1-PA7&dq=historic+homes+and+institutions+and+geneological+and+personal+memoirs+vol+iii+elery+bicknell+crane&source=web&ots=zL5ELNGMnH&sig=nMx43ON2yNp1VCT4PoOMcp85-Uw&redir_esc=y&hl=ja#PRA5-PA385,M1 
  48. ^ “Taft Visits Home of His Ancestors” (PDF). New York Times. (1910年8月20日). http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?_r=1&res=9E01E0D91E39E333A25753C2A96E9C946196D6CF&oref=slogin 2007年11月27日閲覧。 
  49. ^ Blackstone River Watershed”. Executive Office of Environmental Affairs, Mass. Gov.. 2007年9月23日閲覧。
  50. ^ Unknown (24 August 1953). “TEXTILES: The Pride of Uxbridge”. Time Magazine U.S. Time Inc. http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,818770,00.html 2 July 2012閲覧。 
  51. ^ Kalikiano Kalei (2009年). “Of Uniform Concern: A Casual History of the USAF 'Blue Suit'”. AuthorsDen. AuthorsDen, Inc. 2 July 2012閲覧。
  52. ^ [1]"Time Clock-American Woolen will ask stockholders to approve buy-out by Bachman-Uxbrige",Time Magazine, March 29, 1954
  53. ^ Cleaning up the Blackstone”. National Park Service. 2007年11月16日閲覧。
  54. ^ John H. Chaffee Blackstone Valley National Heritage Corridor; Massachusetts/Rhode Island; Birthplace of the Industrial Revolution”. National Park Service; US Department of the Interior. 2007年9月23日閲覧。
  55. ^ Blackstone River and Canal Heritage State Park”. Mass.gov; Department of Conservation and Recreation. 2007年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年9月23日閲覧。
  56. ^ About the Bikeway”. Blackstone Valley Chamber of Commerce. 2007年9月23日閲覧。
  57. ^ West Hill Dam, Uxbridge Massachusetts”. US Army Corps of Engineers. 2007年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年9月23日閲覧。
  58. ^ Metacomet Land Trust Archived 2013年10月12日, at the Wayback Machine.
  59. ^ Uxbridge-A walking tour”. Blackstone Daily.com. 2007年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年11月16日閲覧。
  60. ^ Leonard, Lewis recounted Alexander. The Life of Alphonso Taft. Google Books Leonard, Lewis Alexander. The Life of Alphonso Taft. Google Books  Life of Alphonso Taft. Google Books. (1920). https://books.google.co.jp/books?id=LCVCAAAAIAAJ&pg=PA308&lpg=PA308&redir_esc=y&hl=ja 2007年11月25日閲覧。 
  61. ^ University of Vermont, Office of the President; Rev. Willard Preston, DD, 1825-1826 Archived 2013年6月15日, at the Wayback Machine.
  62. ^ Faces of Erie County, Seth and Hannah Reed”. rootsweb.com. 2008年12月23日閲覧。
  63. ^ Town Honors 1936 Olympian”. The Worcester Telegram and Gazette. 2008年10月12日閲覧。
  64. ^ Krasner, Jeffrey (2006年12月5日). “The rock stars of universal coverage, by J. Kaisser (December 5, 2006)”. The Boston Globe. http://www.boston.com/business/globe/articles/2006/12/05/the_rock_stars_of_universal_coverage/ 2007年9月23日閲覧。 
  65. ^ Sen. Richard Moore, Massachusetts, President-elect, National Conference of State Legislatures”. ncsl.org. 2009年8月11日閲覧。
  66. ^ Skerry's TED talk
  67. ^ Biographical overview: Arthur K. Wheelock, Jr.”. National Gallery of Art. 2009年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年12月25日閲覧。
  68. ^ r Ave Maria, produced by Skip Shea, wins film award in Rome, Worcester Telegram, Nov. 7, 2013.... http://www.telegram.com/article/20131107/NEWS/311079951/0#.UnufCFyvJ14.facebook
  69. ^ Uxbridge Massachusetts Website - Board of Selectmen (1.00.00).
  70. ^ “Selectman affirm right of Women to Serve on Juries” (PDF). New York Times. (1922年7月2日). http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?_r=1&res=9D0CE0DB1039E133A25751C0A9619C946395D6CF&oref=slogin 
  71. ^ TobaccoFreeRx.org | Local Efforts
  72. ^ a b Weather Averages, Uxbridge, MA: United States of America”. Weather.com (2009年). 2009年3月7日閲覧。
  73. ^ “TOTAL POPULATION (P1), 2010 Census Summary File 1”, American FactFinder, All County Subdivisions within Massachusetts (United States Census Bureau), (2010), http://factfinder2.census.gov/faces/tableservices/jsf/pages/productview.xhtml?src=bkmk 
  74. ^ Massachusetts by Place and County Subdivision - GCT-T1. Population Estimates, United States Census Bureau, http://factfinder.census.gov/servlet/GCTTable?_bm=y&-geo_id=04000US25&-_box_head_nbr=GCT-T1&-ds_name=PEP_2009_EST&-_lang=en&-format=ST-9&-_sse=on July 12, 2011閲覧。 
  75. ^ 1990 Census of Population, General Population Characteristics: Massachusetts, US Census Bureau, (December 1990), Table 76: General Characteristics of Persons, Households, and Families: 1990, 1990 CP-1-23, http://www.census.gov/prod/cen1990/cp1/cp-1-23.pdf July 12, 2011閲覧。 
  76. ^ 1980 Census of the Population, Number of Inhabitants: Massachusetts, US Census Bureau, (December 1981), Table 4. Populations of County Subdivisions: 1960 to 1980, PC80-1-A23, http://www2.census.gov/prod2/decennial/documents/1980a_maABC-01.pdf July 12, 2011閲覧。 
  77. ^ 1950 Census of Population, 1: Number of Inhabitants, Bureau of the Census, (1952), Section 6, Pages 21-10 and 21-11, Massachusetts Table 6. Population of Counties by Minor Civil Divisions: 1930 to 1950, http://www2.census.gov/prod2/decennial/documents/23761117v1ch06.pdf July 12, 2011閲覧。 
  78. ^ 1920 Census of Population, Bureau of the Census, Number of Inhabitants, by Counties and Minor Civil Divisions. Pages 21-5 through 21-7. Massachusetts Table 2. Population of Counties by Minor Civil Divisions: 1920, 1910, and 1920, http://www2.census.gov/prod2/decennial/documents/41084506no553ch2.pdf July 12, 2011閲覧。 
  79. ^ 1890 Census of the Population, Department of the Interior, Census Office, Pages 179 through 182. Massachusetts Table 5. Population of States and Territories by Minor Civil Divisions: 1880 and 1890, http://www2.census.gov/prod2/decennial/documents/41084506no553ch2.pdf July 12, 2011閲覧。 
  80. ^ 1870 Census of the Population, Department of the Interior, Census Office, (1872), Pages 217 through 220. Table IX. Population of Minor Civil Divisions, &c. Massachusetts, http://www2.census.gov/prod2/decennial/documents/1870e-05.pdf July 12, 2011閲覧。 
  81. ^ 1860 Census, Department of the Interior, Census Office, (1864), Pages 220 through 226. State of Massachusetts Table No. 3. Populations of Cities, Towns, &c., http://www2.census.gov/prod2/decennial/documents/1860a-08.pdf July 12, 2011閲覧。 
  82. ^ 1850 Census, Department of the Interior, Census Office, (1854), Pages 338 through 393. Populations of Cities, Towns, &c., http://www2.census.gov/prod2/decennial/documents/1850c-11.pdf July 12, 2011閲覧。 
  83. ^ American FactFinder”. United States Census Bureau. 2008年1月31日閲覧。
  84. ^ Uxbridge, Massachusetts City-Data.com
  85. ^ Lewin, Tamar (1996年1月13日). “The ramparts of a little revolution in education”. New York Times. https://www.nytimes.com/1996/01/13/us/the-ramparts-of-a-little-revolution.html 2008年4月4日閲覧。 
  86. ^ http://www.gribblenation.net/nepics/ma/146/ma146a-on146s.jpg
  87. ^ Sky Glen Airport
  88. ^ John C. Farnum House, Uxbridge Historical Society Museum, circa 1710
  89. ^ Lt. Simeon Wheelock House, Uxbridge common district, 1768
  90. ^ Friends meetinghouse, circa 1770
  91. ^ Taft House, 1789 Inaugural tour visit of George Washington and 1910 visit of Uxbridge grandson, William Howard Taft
  92. ^ Crown and Eagle Cotton Mill, circa 1826
  93. ^ Stanley Woolen Mill, also once known as Central Woolen, Calumet, and Moses Taft Mill
  94. ^ National Park Service, valley sites: Millville & Uxbridge
  95. ^ Blackstone Canal at River Bend Farm
  96. ^ Massachusetts Department of Conservation and Recreation park website
  97. ^ River Bend Farm and Canal, National Park Service brochure
  98. ^ Walking tour of Uxbridge, National Park Service brochure

外部リンク

[編集]