アキヒロホマレ
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
アキヒロホマレ | |||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
現役期間 | 1987年 - 1990年[1] | ||||||||||||||||||||||||||
欧字表記 | Akihiro Homare[1] | ||||||||||||||||||||||||||
品種 | アングロアラブ(アラブ血量26.62%)[1] | ||||||||||||||||||||||||||
性別 | 牡[1] | ||||||||||||||||||||||||||
毛色 | 鹿毛[1] | ||||||||||||||||||||||||||
生誕 | 1985年4月8日[1] | ||||||||||||||||||||||||||
死没 | 2014年8月18日(29歳没)[2] | ||||||||||||||||||||||||||
抹消日 | 1991年8月 | ||||||||||||||||||||||||||
父 | マルケンダイドウ[1] | ||||||||||||||||||||||||||
母 | ビクトリアータイム[1] | ||||||||||||||||||||||||||
母の父 | タイムライン[1] | ||||||||||||||||||||||||||
生国 | 日本(北海道静内町)[1] | ||||||||||||||||||||||||||
生産者 | 西村耕司[1] | ||||||||||||||||||||||||||
馬主 |
工藤寛昭 →伊藤研[1] | ||||||||||||||||||||||||||
調教師 | 坪憲章(栗東)[1] | ||||||||||||||||||||||||||
競走成績 | |||||||||||||||||||||||||||
タイトル |
JRA賞最優秀アラブ(1987年) JRA賞最優秀アラブ(1988年) JRA賞最優秀アラブ(1989年)[1] | ||||||||||||||||||||||||||
生涯成績 |
29戦18勝[1] (中央競馬)28戦18勝(内サラ戦9戦0勝) (地方競馬)1戦0勝 | ||||||||||||||||||||||||||
獲得賞金 | 1億7401万2000円[1] | ||||||||||||||||||||||||||
|
アキヒロホマレ(欧字名:Akihiro Homare、1985年4月8日 - 2014年8月18日)[1]は、日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に1988年のセイユウ記念、1988年、1989年のタマツバキ記念、1989年のアラブ王冠、1988年、1989年の札幌アラブステークス、1988年、1989年のアラブスプリントステークス、1989年の銀杯、1988年のシュンエイ記念、1987年のアラブ3歳ステークス。
1987年から1989年の3年連続でJRA賞最優秀アラブに選出された。
概要
[編集]- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]
1987年6月21日、中京競馬場のアラブ系3歳未勝利戦でデビューし、1分0秒8のレコードタイムで勝利。2戦目もレコードタイムで勝利ののち小倉3歳ステークスでサラブレッドと対戦するが、最下位16着に終わる[4]。アラブ同士の対戦に戻ると、二度のレコードタイムでの勝利を含めて4連勝を達成。1987年度のJRA賞最優秀アラブに選出された。4歳を迎えた翌1988年は2月14日のシュンエイ記念を振り出しに勝ち続け、4月阪神競馬場でのオープン競走を競走除外となったのち北海道を転戦し、柴田政人騎乗でセイユウ記念、タマツバキ記念とその前哨レースを含めて4戦4勝し、2年連続で最優秀アラブに選ばれた。
1989年初戦の銀杯でも65kgを背負いながら勝利するが、次走でサラブレッドとの対戦となった小倉大賞典は2番人気に支持されるも14着[5]。続くアラブスプリントステークスは67.5kgを背負って1分9秒9のレコードタイムで勝利するが、陽春ステークスは4番人気で14着[6]。アラブ戦に戻って平場オープン、札幌アラブステークスをそれぞれ65kg、67kgの負担重量ながら連勝。連覇のかかるダートのセイユウ記念は単枠指定を受けて68kgを背負いつつも総投票数のうち4分の3を占める支持を集めて1番人気となるが、アラブ相手に初めての敗戦となる3着に終わり[7]連覇はならなかった[8]が、続くタマツバキ記念でも依然68kgの斤量ながら単枠指定され、ダートから芝に変わったこちらでは連覇を達成した[9]。秋のアラブ王冠では2kg増の70kgを背負うことになるが、19kg軽い2着ヤマサフロリアに2馬身半差をつけ勝利した[10][11]。年末に大井競馬場の全日本アラブ大賞典に参戦するも、ミスターヨシゼンの8着。それでも、3年連続の最優秀アラブに選出された。翌1990年は年初の金杯(西)を皮切りにサラブレッドとの対戦を続け、4月阪神の陽春ステークスでは7番人気ながら3着に入線、阪神3歳ステークス勝ち馬ラッキーゲランに先着した[12][10]。その後は阪急杯7着、オパールステークス6着を経て10月27日東京競馬場の多摩川ステークス6着が最後のレースとなった。
競走成績
[編集]以下の内容は、JBISサーチ[3]およびnetkeiba.com[13]に基づく。
年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭数 | 枠番 | 馬番 | オッズ(人気) | 着順 | タイム (上り3F/4F) |
着差 | 騎手 | 斤量 (kg) |
勝ち馬/(2着馬) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987. | 6.21中京 | アラ系3歳未勝利 | ダ1000m(重) | 11 | 7 | 8 | 3.4(3人) | 1着 | R 1:00.8 (36.9) | -1.3 | 南井克巳 | 53 | (ヒミノタカヒメ) | |
8. 1 | 小倉 | アラ系3歳300万下 | 芝1200m(良) | 6 | 1 | 1 | 1.1(1人) | 1着 | R 1:03.0 (36.2) | -0.7 | 南井克巳 | 54 | (プラムプティング) | |
9. 6 | 小倉 | 小倉3歳S | GIII | 芝1200m(稍) | 16 | 5 | 9 | 13.6(4人) | 16着 | 1:14.0 (39.7) | 2.9 | 南井克巳 | 53 | ポットナポレオン |
10.24 | 京都 | アラ系3歳オープン | ダ1400m(良) | 16 | 3 | 5 | 1.2(1人) | 1着 | 1:26.8 (50.5) | -1.0 | 南井克巳 | 54 | (リンボートップ) | |
11.21 | 京都 | アラ系3歳オープン | ダ1800m(良) | 7 | 1 | 1 | 1.0(1人) | 1着 | R 1:56.1 (52.5) | -0.6 | 南井克巳 | 56 | (リンボートップ) | |
12. 6 | 中京 | アラ系3歳オープン | ダ1000m(良) | 5 | 2 | 2 | 1.1(1人) | 1着 | 1:01.8 (37.3) | -1.3 | 塩村克己 | 55 | (ニシケンリッチ) | |
12.19 | 中京 | アラブ3歳S | OP | ダ1700m(良) | 11 | 4 | 4 | 1.3(1人) | 1着 | R 1:01.8 (38.7) | -2.0 | 塩村克己 | 58 | (オエセスライン) |
1988. | 2.14小倉 | シュンエイ記念 | OP | 芝1800m(良) | 12 | 4 | 4 | 1.3(1人) | 1着 | 1:53.7 (38.1) | -0.6 | 西浦勝一 | 60 | (サシオギ) |
3.27 | 中京 | アラブスプリントS | OP | 芝1200m(重) | 11 | 7 | 8 | 1.2(1人) | 1着 | 1:11.4 (36.4) | -0.7 | 塩村克己 | 60 | (ジニアスランナー) |
4. 9 | 阪神 | アラ系4歳以上オープン | OP | ダ1800m(重) | 5 | 3 | 3 | 発走除外 | 岸滋彦 | 58 | シロキタタロー | |||
6.11 | 札幌 | 札幌アラブS | OP | ダ1800m(良) | 6 | 4 | 4 | 1.2(1人) | 1着 | 1:52.5 (38.7) | -0.9 | 柴田政人 | 61 | (シロキタタロー) |
7.17 | 札幌 | セイユウ記念 | ダ1800m(良) | 6 | 2 | 2 | 1.0(1人) | 1着 | 1:54.1 (37.9) | -1.6 | 柴田政人 | 60 | (シロキタタロー) | |
8.20 | 函館 | アラ系4歳以上オープン | 芝2000m(良) | 4 | 4 | 4 | 1.0(1人) | 1着 | R 2:00.5 (36.5) | -1.1 | 柴田政人 | 63 | (タカキヨ) | |
9.18 | 函館 | タマツバキ記念 | 芝2000m(良) | 8 | 1 | 1 | 1.0(1人) | 1着 | 2:03.5 (38.7) | -0.1 | 柴田政人 | 62 | (タカキヨ) | |
1989. | 1.13京都 | 銀杯 | OP | ダ1800m(重) | 6 | 4 | 4 | 1.2(1人) | 1着 | R 1:51.3 (50.1) | -1.3 | 南井克巳 | 65 | (モガミチェリー) |
2.19 | 小倉 | 小倉大賞典 | GIII | 芝1800m(重) | 16 | 5 | 9 | 4.5(2人) | 14着 | 1:54.0 (40.1) | 2.0 | 岸滋彦 | 51 | ダイカツケンザン |
3.26 | 中京 | アラブスプリントS | OP | 芝1200m(良) | 16 | 2 | 3 | 2.1(1人) | 1着 | R 1:09.9 (35.9) | -0.8 | 田面木博公 | 67.5 | (セザンボーイ) |
4.16 | 阪神 | 陽春S | OP | 芝1600m(稍) | 15 | 4 | 6 | 10.5(4人) | 14着 | 1:39.0 (53.5) | 2.6 | 安田隆行 | 51 | メイショクボーイ |
5.21 | 阪神 | アラ系4歳以上オープン | ダ1800m(不) | 5 | 5 | 5 | 1.0(1人) | 1着 | 1:54.2 (52.0) | -2.0 | 角田晃一 | 65 | (フクセンヒカリ) | |
6.24 | 札幌 | 札幌アラブS | OP | ダ1000m(良) | 9 | 3 | 3 | 1.2(1人) | 1着 | 0:59.4 (35.7) | -0.8 | 田面木博公 | 67 | (タニハイパワー) |
7.16 | 函館 | セイユウ記念 | ダ1700m(良) | 10 | 4 | 4 | 1.1(1人) | 3着 | 1:50.2 (41.3) | 1.0 | 田面木博公 | 68 | ショウブラッキー | |
9.17 | 函館 | タマツバキ記念 | 芝2000m(良) | 12 | 1 | 1 | 1.5(1人) | 1着 | 2:02.5 (38.4) | -1.0 | 田面木博公 | 68 | (セザンボーイ) | |
11.11 | 福島 | アラブ王冠 | OP | 芝1800m(良) | 14 | 8 | 14 | 1.3(1人) | 1着 | 1:51.6 (38.0) | -0.4 | 田面木博公 | 70 | (ヤマサフロルア) |
12. 7 | 大井 | 全日本アラブ大賞典 | ダ2600m(良) | 13 | 7 | 11 | (2人) | 8着 | 2:54.6 | 3.4 | 田面木博公 | 56 | ミスターヨシゼン | |
1990. | 1. 5京都 | 金杯(西) | GIII | 芝2000m(良) | 14 | 6 | 10 | 24.3(7人) | 13着 | 2:04.0 (50.3) | 2.1 | 塩村克己 | 51 | オサイチジョージ |
3.18 | 中京 | 中京記念 | GIII | 芝2000m(良) | 16 | 5 | 9 | 43.3(12人) | 13着 | 2:01.1 (39.1) | 1.3 | 塩村克己 | 50 | オサイチジョージ |
4.15 | 阪神 | 陽春S | OP | 芝1600m(良) | 10 | 4 | 4 | 19.1(7人) | 3着 | 1:36.6 (50.1) | 0.5 | 塩村克己 | 50 | センリョウヤクシャ |
6. 3 | 阪神 | 阪急杯 | GIII | 芝1400m(良) | 18 | 7 | 15 | 35.6(13人) | 7着 | 1:22.9 (48.1) | 0.6 | 塩村克己 | 50 | センリョウヤクシャ |
10. 6 | 京都 | オパールS | OP | 芝1200m(稍) | 11 | 6 | 6 | 23.5(7人) | 6着 | 1:09.3 (45.8) | 0.7 | 塩村克己 | 50 | センリョウヤクシャ |
10.27 | 東京 | 多摩川S | OP | 芝1600m(良) | 12 | 8 | 12 | 24.5(10人) | 6着 | 1:34.7 (36.5) | 0.3 | 田中勝春 | 50 | クラシックブリッジ |
種牡馬入り後
[編集]現役引退後は日本軽種馬協会で種牡馬入り[14]。11シーズンの供用で血統登録頭数57頭、うち出走頭数37頭を記録[15]。その中から1997年の荒尾記念を制したライトアゲインが出た[14]。種牡馬引退後も日本軽種馬協会静内種馬場で功労馬として余生を送っていたが、2014年8月18日に老衰のため死亡した[2][14]。
年度別種牡馬成績(中央+地方)
[編集]年 | 出走 | 勝利 | 順位 | AEI | 収得賞金 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
頭数 | 回数 | 頭数 | 回数 | ||||
1995年 | 7 | 49 | 2 | 3 | 180 | 0.36 | 458万4000円 |
1996年 | 17 | 147 | 11 | 13 | 102 | 0.52 | 1507万6500円 |
1997年 | 19 | 213 | 11 | 20 | 81 | 0.63 | 1817万4000円 |
1998年 | 23 | 242 | 12 | 19 | 109 | 0.34 | 1145万5000円 |
1999年 | 10 | 124 | 7 | 9 | 126 | 0.49 | 695万3000円 |
2000年 | 5 | 85 | 2 | 3 | 172 | 0.32 | 203万9000円 |
2001年 | 2 | 25 | 0 | 0 | 271 | 0.01 | 1万1000円 |
2002年 | 1 | 2 | 0 | 0 | 220 | 0.00 | 0円 |
2003年 | 1 | 7 | 0 | 0 | 174 | 0.00 | 0円 |
2004年 | 1 | 18 | 0 | 0 | 115 | 0.25 | 21万0000円 |
2005年 | 1 | 12 | 0 | 0 | 109 | 0.00 | 0円 |
2006年 | 1 | 11 | 0 | 0 | 68 | 0.18 | 9万7000円 |
2007年 | 1 | 20 | 0 | 0 | 46 | 0.04 | 2万2000円 |
2008年 | 1 | 5 | 0 | 0 | 39 | 0.00 | 0円 |
主な産駒
[編集]地方重賞優勝馬
[編集]- 1994年産
- ライトアゲイン(荒尾記念)[16]
血統表
[編集]アキヒロホマレの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ザテトラーク系 |
[§ 2] | ||
父 マルケンダイドウ Maruken Daido 1977 鹿毛 |
父の父 スマノダイドウ1970 鹿毛 |
ミトタカラ | サラ タカクラヤマ | |
アラ 金友 | ||||
サラ系 トキノメジロ | サラ メジロオー | |||
トキハツエ | ||||
父の母 アマヒメ1964 鹿毛 |
ハマノオー | サラ ライジングフレーム | ||
梅剛 | ||||
豊霜 | サラ 伯優 | |||
波霜 | ||||
母 ビクトリアータイム 1978 栗毛 |
タイムライン 1969 栗毛 |
タガミホマレ | ミネフジ | |
バイオレット | ||||
リュウエイ | シュンエイ | |||
タツリユウ | ||||
母の母 オオカワクイン1969 鹿毛 |
セイユウ | サラ ライジングフレーム | ||
弟猛 | ||||
ヨシハート | マツギク | |||
サラ ハートフジ | ||||
母系(F-No.) | クロンフアート(GB)系(FN:14) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | ライジングフレーム4×4=12.50% ニーフアン5×5=6.25% シュンエイ・セイユウ4×3=18.75% | [§ 4] | ||
出典 |
- 「アラ」表記はアラブ種 、「サラ系」表記はサラブレッド系種、「サラ」表記はサラブレッド
- バイオレットを遡ると、吾妻とその母馬、高砂に到達する。両馬とも、ナポレオン三世より徳川幕府に贈られた馬か同様の馬を両親に持つ「仏蘭西サラブレッド種」である[19]。梅剛を遡ると同じく四ツ谷に到達する。詳細はナポレオン三世の馬参照。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “アキヒロホマレ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ a b “アキヒロホマレが死亡、29歳”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd. (2014年8月18日). 2020年3月18日閲覧。
- ^ a b “アキヒロホマレ 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ “10R 小倉3歳S 1987年9月6日(日)3回小倉8日”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ “11R 小倉大賞典 1989年2月19日(日)1回小倉8日”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ “11R 陽春S オープン 1989年4月16日(日)2回阪神8日”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ 『優駿』1989年11月号、日本中央競馬会、152頁
- ^ a b #中央競馬障害廃止競走 p. 1064
- ^ a b #中央競馬障害廃止競走 p. 1140
- ^ a b “アキヒロホマレ29歳大往生”. 日刊スポーツ (2014年8月19日). 2020年3月18日閲覧。
- ^ “9R アラブ王冠 オープン 1989年11月11日(土)2回福島5日”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ “11R 陽春S オープン 1990年4月15日(日)3回阪神8日”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ “アキヒロホマレの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年3月18日閲覧。
- ^ a b c “3年連続で最優秀アラブ選出アキヒロホマレ死亡”. サンスポZBAT!競馬. サンケイスポーツ (2014年8月19日). 2020年3月18日閲覧。
- ^ “アキヒロホマレ 種牡馬情報:世代・年次別(アラ系総合)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ “ライトアゲイン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ a b “アキヒロホマレ 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月18日閲覧。
- ^ a b c “アキヒロホマレの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年3月18日閲覧。
- ^ 馬籍原簿』 宮内庁宮内公文書館 書陵部所蔵資料目録・画像公開システム『明治3年度 馬籍原簿』条件不明のためリンクはしない。
参考文献
[編集]- 『中央競馬全重賞競走成績集 障害・廃止競走編』日本中央競馬会、2006年。
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ
- アキヒロホマレ - 競走馬のふるさと案内所