シュンエイ
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シュンエイ | |
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欧字表記 | Shunei |
品種 | アングロアラブ(アラブ血量25.00%) |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1955年5月18日 |
死没 | 1977年9月 |
父 | ライジングフレーム |
母 | 弟猛 |
母の父 | レイモンド |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
生産者 | 日高種畜牧場 |
馬主 |
山春雄 →園田信太 |
調教師 | 武田文吾(京都) |
競走成績 | |
生涯成績 | 27戦23勝 |
獲得賞金 | 511万6180円 |
シュンエイとは日本のアングロアラブ競走馬、種牡馬である。1歳年上の全兄セイユウとともに1950年代の中央競馬で活躍し、引退後には記念競走が創設された。
概要
[編集]馬齢は旧表記を用いる。
3歳となった1957年10月6日、京都競馬場のアラブ系3歳競走でデビューすると、1959年1月24日の中京競馬場で行われたアラブ系オープン競走まで20連勝を飾った。21戦目はサラブレッド相手のオープン競走に出走し3着に敗れ連勝はストップしたが、20連勝、1番人気で18連勝および22勝といった記録はすべて中央競馬に現在まで残る記録である。その後はもう2戦サラブレッドに挑戦したものの兄セイユウに続く勝利はならなかった。その後はアラブ系限定の競走に戻り、タマツバキ記念(春)ではアングロアラブ相手に初の敗戦(4着)を喫したが、その後は再び3連勝して引退した。4歳時の1958年は15戦全勝で啓衆社賞最優秀アラブを受賞した。レコードタイム更新は1回だったが、1958年の読売カップ(秋)では72kgの負担重量で勝利している。セイユウは当時果敢にサラブレッドに挑戦していたため対戦はしていない。
引退後は種牡馬となり、産駒には1971年の啓衆社賞最優秀アラブを受賞したラオスオーなどがいる。
また兄セイユウとともに1974年には記念競走の「シュンエイ記念」が創設された。当初は重賞競走であったが1983年以降はオープン特別競走に格下げされたものの、中央競馬がアングロアラブ競走を廃止した1995年まで続いた。
おもな勝利
[編集]- 1958年 - タマツバキ記念(春)、読売カップ(春)、タマツバキ記念(秋)、読売カップ(秋)
血統表
[編集]シュンエイの血統(アラブ血量25% / サラ ベンドア系(エクリプス系) / Neil Gow5×5=6.25%、Sunstar5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 サラ *ライジングフレーム Rising Flame 1947 黒鹿毛 |
父の父 サラ The Phoenix1940 鹿毛 |
サラ Chateau Bouscaut | サラ Kircubbin | |
サラ Ramondie | ||||
サラ Fille de Poete | サラ Firdaussi | |||
サラ Fille d'Amour | ||||
父の母 サラ Adomirable1942 黒鹿毛 |
サラ Nearco | サラ Pharos | ||
サラ Nogara | ||||
サラ Silvia | サラ Craig an Eran | |||
サラ Angela | ||||
母 アア 弟猛 1949 鹿毛 |
サラ *レイモンド Raymond 1930 鹿毛 |
サラ Gainsborough | サラ Bayardo | |
サラ Rosedrop | ||||
サラ Nipsiquit | サラ Buchan | |||
サラ Herself | ||||
母の母 アラ 弟詠1945 鹿毛 |
アラ *イブンヂアド | アラ マナギイ | ||
アラ マナギイエスウベリイエ | ||||
アラ 太陽 | アラ *エルワルド | |||
アラ 師陽 オーバーヤン五ノ七系 |