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とべとべヤングABC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とべとべヤングABC
愛称 とべヤン
ジャンル トーク番組
バラエティ番組
放送期間 1978年10月3日 - 1979年10月5日
放送時間 月曜 - 金曜 22:00 - 23:00
→ 月曜 - 金曜 22:00 - 22:50
放送局 朝日放送ラジオ
パーソナリティ 金木賢一(月〜水)
安部憲幸(木・金)
川田恵子
テーマ曲 川田恵子『最後のフレーム』
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とべとべヤングABC』(とべとべヤングエービーシー)は、朝日放送ラジオ1978年10月3日から1979年10月5日まで放送されていた平日夜のラジオワイド番組[1]。通称「とべヤン」。

概要

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当時の朝日放送ラジオの平日夜10時台(22時台)は、夜ワイド番組『ABCヤングリクエスト』(ヤンリク)が23:00スタートであったために本番組と同じ22:00スタートであった『MBSヤングタウン』(毎日放送)への対抗策的な枠であり、本番組から聴いているリスナーをそのままヤンリクへつなげようという目的を持ったもので[2]、この枠では1974年4月8日から4年6か月続いた『ハイッ!浜村淳ですABC』に続くワイド番組である。

前番組『ハイッ!浜村淳です』に比べて対象リスナー層をより若者向けに絞り[2]、アニメやオーディオ、車などのメカニック、SF、ヒット曲など若者好みの情報を満載した構成[3]パーソナリティのうち、金木賢一は本番組担当のために次枠番組『ABCヤングリクエスト』月曜パーソナリティを一時降板。川田恵子は本番組のオーディションに合格して、本番組のアシスタントで放送界にデビューした。その川田はこの「とべヤン」時代の1979年に、本番組の企画でシングル曲『最後のフレーム』を愛称の「キャンディ」名義でリリース(ふたつのさくらンボ「ディスコ・ヤンリク」との両A面)、同曲は本番組でテーマ曲として使用されていた。

本番組終了後は再び朝日放送ラジオの平日夜10時台から1時間以上のワイド番組が消滅。平日夜10時台での1時間以上ワイド番組の再開はこれより2年後の1981年10月5日スタートの『ABCラジオ10』となる。そしてパーソナリティの一人、金木賢一は1979年10月から『ABCヤングリクエスト』月曜パーソナリティに復帰している。

放送時間

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  • 月曜日金曜日 22:00〜23:00 (1978年10月3日〜1979年3月31日)
  • 月曜日〜金曜日 22:00〜22:50 (1979年4月3日〜1979年10月5日)
    • ABCヤングリクエスト』内で放送されていた『たむたむたいむ』が、1979年4月3日から平日22:50〜23:00の単独枠に移動して来たために短縮(1979年7月からはこの枠でたむたむたいむに代わり『快刀乱麻・龍介のひとりごと』がスタートしている)。

パーソナリティ

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主なコーナー

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  • ゲストコーナー[4]
  • ハガキでフィーバー[4]
  • テレフォンクイズ[4]
  • Dのコーナー
    • D1からD4までの“背番号”を付けた4人のディレクターが毎日パーソナリティと一緒に出演してトークをしたり様々な企画を行う[3]
  • ベストテンコーナー[4](正式タイトル不明)
  • 香月星苑のホロスコープ星占い(月曜)[4]
  • 黒田武彦の風の話(水曜)[4]
  • 藤沢淳一郎の釣りの話(木曜)[4]

脚注

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  1. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』p.133
  2. ^ a b ラジオパラダイス三才ブックス)1988年8月号 メイン特集『全国4大エリア 夜ワイド合戦絵巻』p.34-35
  3. ^ a b c d 明星集英社)1979年6月号 p.142 - 143「ラジオDJ広場」
  4. ^ a b c d e f g 1978年10月3日〜1979年10月5日各当該日、各新聞ラジオ欄での本番組の記載による。
ABCラジオ 月曜〜金曜 22:00〜23:00 → 22:00〜22:50
前番組 番組名 次番組
とべとべヤングABC
(1978年10月〜1979年10月)
拝啓!青春諸君
(22:00〜22:10)
MY LOVE MY SOUNDS
(22:10〜22:20)
快刀乱麻・龍介のひとりごと
(22:20〜22:30)
サバイバル宣言
(22:30〜23:00)