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フリータイム1010 ハイッ!浜村淳ですABC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(フリータイム1010)
ハイッ!浜村淳ですABC
ジャンル トーク番組
バラエティ番組
放送期間 1974年4月8日 - 1978年9月29日
放送時間 月曜 - 金曜 22:00 - 23:00
放送局 朝日放送ラジオ
パーソナリティ 浜村淳
出演 二塚都詩子
西関礼子
寺本富士子
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フリータイム1010 ハイッ!浜村淳ですABC[注釈 1]』(ハイッはまむらじゅんですエービーシー)は、かつて朝日放送ラジオで放送していた平日夜のラジオワイド番組

概要

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1974年当時は朝日放送ラジオの夜ワイド番組『ABCヤングリクエスト』(ヤンリク)が23:00スタートであり、当時からすでに同じ近畿広域圏で大きな人気を得ていた『MBSヤングタウン』(毎日放送、ヤンタン)が一時間早い22:00スタートであったため、そのヤンタンへの対抗策としてその22時台で放送を開始し、リスナーをそのままヤンリクへつなげようという目的を持った番組である[2]

対象リスナー層は最初幅広い層としていたが、特に若い層に支持されたとされている[2]。リスナーからの相談や質問に一緒に考えながら丁寧に答えるスタイルが評判となり[3]、放送時間が足りなくなって十分に答えられなかった時は、本番終了後に浜村淳自ら再び電話や手紙で自分の考えを述べながら回答に応じていた[2]

朝日放送の社史に掲載されているタイトルは『フリータイム1010 - 』(1010は当時の朝日放送ラジオのAM周波数)で、本番組もこのタイトルでスタートした[4]が、後になってこのタイトルはあまり使われなくなり、これに代わって主に「朝日放送ヨル10時」というタイトルコールが行われていた。

なお、本番組を開始した日はMBSラジオで2024年まで放送していた朝ワイド番組『ありがとう浜村淳です』の開始日と全く同じであり、当時浜村は朝と夜で平日の帯番組を2本同時に持っていた。

パーソナリティ

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メイン
アシスタント

主なコーナー

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  • 淳ちゃんのドーナッツシアター[3]
    • 浜村の独特な語りとともに映画を紹介するコーナー。その後も映画コーナーは『映画アラカルト』→『ワイドのスクリーン』などと改題しながら継続された。
    • ミスタードーナツの単独提供コーナー。
  • 淳ちゃんのこわーい話・おもろい話
    • 「こわーい話」は怪談のコーナー。リスナーから寄せられたものや雑誌などに載っていた様々な怪談を浜村の独特な語りで紹介[2]。これと同時にこのコーナーで笑い話(おもろい話)を募集していた。
  • パンチもの知りカセット
    • リスナーからの質問・疑問にナレーションの「ものしり兄ちゃん」が解説を入れ、その後に浜村が語りを入れてその事柄についてわかり易く説明していく。
    • 平凡出版(現在のマガジンハウス)の単独提供コーナー。本番組がスタートする前、この時間はニッポン放送制作の『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』を放送していたが1974年4月改編でネットを終了し、この枠は本番組スタート後も平凡出版単独スポンサーが継続された枠である。
  • チャレンジ・キャンパス
  • うちの学校
  • 淳ちゃんの目・耳・くち
  • 青春広場

脚注

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注釈

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  1. ^ 社史『朝日放送の50年III 資料集』に掲載されているタイトルによる。これを本項のタイトルとしている[1]

出典

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  1. ^ a b c 朝日放送社史編修室 編『朝日放送の50年』 III《資料集》、朝日放送、2000年3月、126頁。 
  2. ^ a b c d ラジオパラダイス三才ブックス)1988年8月号 メイン特集『全国4大エリア 夜ワイド』p.34-35
  3. ^ a b 季刊ランラジオ(自由国民社)1975年4月号 p.97
  4. ^ 京都新聞など 1974年4月8日各新聞朝刊ラジオ欄より。
朝日放送ラジオ 月曜 - 金曜 22:00 - 23:00 枠
前番組 番組名 次番組
ニュース・天気予報(22:00 - 22:10)
スポーツ・パレード(22:10 - 22:15)
ラジオドラマ(※統一タイトル不明)
(22:15 - 22:25)
ザ・パンチ・パンチ・パンチ
(22:25 - 22:35)
ライド・オン(22:40 - 22:50)
ヤクルト ミニ・ミニ・コンサート
(22:50 - 23:00)
(フリータイム1010)
ハイッ!浜村淳ですABC
(1974年4月 - 1978年9月)