しがらみ草紙
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しがらみ草紙(しがらみぞうし)は、森鷗外が主宰した月刊の文芸雑誌(文芸評論誌)である[1]。1889年10月創刊・1894年8月終刊(全59冊)[2]。新声社およびしがらみ社が発行した[2]。
概要
[編集]1889年8月に新声社より出版の共訳詩集『於母影』の稿料収入を利用し[3]、同年10月創刊された。「文壇の流れにしがらみをかける」という意味でこの誌名になった[2][4]。鷗外は小説「うたかたの記」を発表し加えて「即興詩人」など西洋文学の翻訳を掲載、1891年9月から1892年6月まで坪内逍遥と鷗外との間で行われた文学論争である「没理想論争」の主舞台となったことでも有名[5][6]。鷗外が日清戦争従軍のため1894年8月に日本を離れたことに伴い終刊した[7]。