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いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いすゞ歌うヘッドライト
〜コックピットのあなたへ〜
ジャンル 音楽番組トーク番組
放送方式 生放送
放送期間 1974年9月3日 - 2001年9月29日
放送時間 火曜 - 土曜 3:00 - 5:00
1974年9月3日 - 1998年10月3日
火曜 - 土曜 4:00 - 5:00
1998年10月6日 - 2001年9月29日
放送回数 7065
放送局 TBSラジオ
ネットワーク ネット局参照
パーソナリティ 当該項参照
提供 いすゞ自動車
特記事項:
1998年10月6日以後はいすゞ自動車は基幹局のみのスポンサードネット(それ以外はPTかノンスポンサー。)
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いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜(いすずうたうヘッドライト 〜コックピットのあなたへ〜)は、TBSラジオがかつて制作・放送していたラジオ番組

概要

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1968年から放送開始した文化放送の『日野ダイナミックスコープ 走れ!歌謡曲』(のちに『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』となり2021年放送終了)の成功に対抗し、走れ!歌謡曲スタートの6年後の1974年から2001年にかけてTBSラジオなどJRN系列の各放送局で放送していた音楽番組。

いすゞ自動車の一社提供。ちなみに日野自動車は、いすゞ自動車の母体「ヂーゼル自動車工業」の日野製造所が分離・独立して設立された会社(その後両社はバス事業において合弁会社ジェイ・バスを設立し再び共働することになる)である。実際の番組制作は、独立系制作会社の綜合放送が担当していた(同社のスタッフがTBSのスタジオで番組を制作する形)[1]

対象リスナーは『走れ!歌謡曲』同様、深夜から早朝にかけて働くタクシーや長距離トラックの運転手で、CMはいすゞ自動車のトラックに関するものだった。大型トラックの810ギガ、中型トラックのフォワード、小型トラックのエルフのCMが中心だったが、ビッグホーンなどのRVのCMが流れることもあった。なお、いすゞ自動車で生産しているバスシリーズに関してのCMは流れなかった。また、演歌・歌謡曲が多く流れる番組だったため、これらのファンが多いサラリーマン・中高年齢層も対象になっていた。

1989年4月から日替わりで演歌歌手パーソナリティを担当し、その多くが人気歌手に成長していった。

編成上は深夜番組として各局のタイムテーブルや新聞の番組表では一番下に記載されていたが、TBSラジオでは放送開始の3時以降を翌日のプログラムとしており[2]、「月曜から金曜の深夜」ではなく「火曜から土曜の早朝」とし、冒頭の挨拶も「こんばんは」ではなく「おはようございます」となっていた。これは『JUNK2』や現在の『CITY CHILL CLUB』の放送期間を除き、『Fine!!』(火曜 - 土曜)に至るまで変わらなかった。そのため本項でもそれに従って記述する。

番組の歴史

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  • 1974年9月から放送が開始された。1998年秋までの放送時間は、火曜日から土曜日の早朝(新聞の番組表の上では平日の深夜)の3:00 - 5:00。パーソナリティの5人の内3人は、前番組の『パックインミュージック第2部』からの続投だった。
  • 1981年頃、番組エンディングテーマ「夜明けの仲間たち」制定。歌手は当時番組パーソナリティでもあった糸川蛍子
  • 1987年4月、番組の全面リニューアルを敢行。番組テーマ曲の変更(「赤い砂漠」 → 「愛しのデジベル」)と、パーソナリティの総入れ替えが行われ、これにより10年以上番組に出演し続けていた石渡のり子岡村美鈴岡雅子の3人が卒業。
  • 1989年4月からパーソナリティが全員演歌歌手となる。この際、月曜日深夜(火曜日未明)担当の滝里美は続投(1990年3月まで出演)した。
  • 1992年、「夜明けの仲間たち」初のCD化。ただし歌手は当時番組パーソナリティでもあった麻生詩織で、8cmシングルCD「泣いて泣いて」のカップリング曲として収録。
  • 1995年10月から3年間、最大30局ネットにまで膨らむ。
  • 1998年4月から9月までの金曜深夜(土曜日未明)、週替わりでスペシャルパーソナリティという形で大物歌手や、過去に出演したパーソナリティが出演。この時は番組唯一の男性パーソナリティ・夏木ゆたかが進行役としてスペシャルパーソナリティをサポートした。
  • しかし1998年10月以降、スポンサーのいすゞ自動車が経営危機に陥り、広告宣伝費を削減した関係で放送時間を4:00 - 5:00の1時間に短縮される。番組名も『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』から『いすゞ』を削除した上で『歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』に変更された。この措置により次のような放送改編が行われる。
    • 金曜日深夜(土曜日未明)のスペシャルパーソナリティ制を廃止し、サポートを務めていた夏木ゆたかの降板が決まる。
    • 時間枠縮小により、時間の無駄を省くためオープニングとエンディングのインフォマーシャルを廃止。いすゞ自動車のCMを流す局も30局から大幅に7局(TBSラジオ・北海道放送・東北放送・中部日本放送[3]・毎日放送[4]・山陽放送[5]・RKB毎日放送)に減らした。この7局でCMが流れている間、他のネット局ではフィラーを流す事になった。
    • 南海放送と高知放送がネットを打ち切り、『旧オールナイトニッポンR(1998年版で、2003年以降の第2期とは別)』に番組を切り替えたため、ネット局は28局となった。
    • 放送時間短縮で空いた3:00 - 4:00の時間帯は、一部地域を除いてロック・ニューミュージック中心の音楽番組『ライドオン・ミュージック』が開始される。
  • 2001年9月、スポンサーだったいすゞ自動車が経営方針の転換により、スポンサーから降板する事になった。更に兼ねてからの演歌歌謡曲の衰退、そしてTBSラジオの分社化による編成改革もあり、9月29日放送分での終了が決まった。番組は9月29日午前4時59分をもって終了し、27年・全7065回という長期間の歴史に幕を下ろした。最終回のパーソナリティは、金曜日深夜(土曜日未明)担当の永井みゆきであった。

パーソナリティ

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(一日だけ担当のパーソナリティは除く。ちなみに、1989年に4000回を超えた特番収録のインタビューの中で、和田アキ子が担当した回がある事を、本人が語っている。)

期間 火曜
(月曜深夜)
水曜
(火曜深夜)
木曜
(水曜深夜)
金曜
(木曜深夜)
土曜
(金曜深夜)
1974.9 1975.3 滝良子 岡村美鈴 馬場こずえ 岩崎直子 広田綾子
1975.4 1975.9 佐々木紀子
1975.10 1976.2 及川弘子 堀川ふじ子 江川範子
1976.3 1976.7 安藤名津枝 石渡のり子
1976.8 1976.9 岡村美鈴
1976.10 1977.1 岡雅子
1977.2 1980.8 綾崎りっか
1980.9 1981.9 糸川蛍子
1981.10 1984.3 吉田智江
1984.4 1984.9 小久保尚美
1984.10 1987.4 三木ひろみ
1987.4 1989.3 滝里美 東福久栄 由口貴恵 松崎布美子 轟美穂
1989.4 1990.3 綾世一美 都川弥生 石原詢子 マルシア
1990.4 1991.3 長保有紀 原田ゆかり
1991.4 1992.3 若山かずさ 麻生詩織
1992.4 1993.3 徳巻駒子 服部浩子
1993.4 1994.3 長山洋子
1994.4 1995.3 島津亜矢 樹ゆうこ
1995.4 1996.3 美山純子 近藤千裕
1996.4 1997.3 井上りつ子
1997.4 1998.3 矢吹春佳 水森かおり
1998.4 1998.9 岩本公水 近藤千裕 夏木ゆたか
1998.10 2000.9 真木ことみ 広畑あつみ
2000.10 2001.3 山本智子 永井みゆき
2001.4 2001.9 山崎友見

コーナー

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曜日共通

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  • 午前4時の聞きもの[6]
    1980年代の一時期、4時台に放送されていた。(「マコ(岡雅子)の3分間不倫クッキング」など)
  • 夜明けの喫茶室
    1990年代の一時期、4時台に放送されていた。
  • あなたと○○のテレフォン・コール
    2時間枠の頃は、午前4時以降に放送。以前は「留守番電話のコーナー」[6]と呼んでいて、指定された電話番号にかけると「留守番電話」に接続され、そこにパーソナリティへのメッセージやリクエストを録音する形を取っていた。
  • 今月の歌
  • 今週の推薦曲
  • おはがきメール)の紹介
  • ドライブイン情報
    1990年代初頭まで。主要幹線国道の沿線にあるドライブインや、高速道路のサービスエリアのレストランの店員にパーソナリティが電話をかけ、その時点での天気道路情報、あるいは、そこに立ち寄ったリスナーからのメッセージやリクエストを伝えていた。(電話をかける先は、曜日ごとに固定されていた。)
  • 最新ニューススポーツニュース交通情報
    • 2時間枠の頃は、交通情報とは呼ばず『道路情報』と呼んでおり、番組内で2回行う。1回目は1曲目の後に、2回目は4時の時報音が鳴り終わった後すぐに行う。
    • 1時間に短縮後は、4時台冒頭で、最新ニュースとスポーツニュースは夜勤のTBSアナウンサーもしくは記者が担当。交通情報は番組パーソナリティが伝えていた。
  • 天気予報
    当初はお別れの曲の前に番組パーソナリティが伝えていた。後に 2回目の道路情報の後に移設された。公表する地点は基本的に当番組をネットしている放送局の所在地。したがって山陰放送は米子市に本社屋があるため、「鳥取」または「松江」ではなく「米子」と公表した。ちなみにお膝元の東京は最後に発表された。
  • 21世紀も歌うシリーズ
    2001年のスペシャルウィーク企画として4回実施された。

曜日別

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パーソナリティ別に各コーナーが設定されていた。以下は番組末期のものである。

  • チャレンジの達人 (火曜日)
  • ナウヒッツ・ベスト10 (水曜日)
  • やまさと何でもランキング (木曜日)
  • マル金バンド (金曜日)
  • フォーエバーグッドミュージック (土曜日)

OP・CM・ED

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OP

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OPのナレーション1 〈1978年頃まで〉(元TBSアナ 藤田恒美

「いすゞ歌うヘッドライト、コックピットのあなたへ。北は北海道から南は沖縄まで、日本全国をカバーしてお送りする、いすゞ歌うヘッドライト。新旧の歌謡曲を中心に、ドライブイン情報、留守番電話、午前4時の聞きものなど、昨日から起きていらっしゃるあなた、今から仕事を始めようとしていらっしゃるあなたと共に過ごす2時間の生ワイド番組です。」 (BGM:「赤い砂漠」)
(BGMと共に30秒間パーソナリティの挨拶コメントが入る)
「いすゞ歌うヘッドライト コックピットのあなたへ。この番組は明るい未来を運ぶ いすゞ自動車がお送り致します。」

OPのナレーション2 〈1978年頃 - 1987年4月4日〉(元TBSアナ 藤田恒美)

「いすゞ歌うヘッドライト、コックピットのあなたへ。北は北海道から南は沖縄まで、日本全国をカバーしてお送りする、いすゞ歌うヘッドライト。新旧の歌謡曲を中心に、ドライブイン情報、留守番電話、午前4時の聞きものなど、昨日から起きていらっしゃるあなた、今から仕事を始めようと思っていらっしゃるあなたと共に過ごす生ワイド番組です。」 (BGM:「赤い砂漠」)
(BGMと共に30秒間パーソナリティの挨拶コメントが入る)
「いすゞ歌うヘッドライト 、コックピットのあなたへ。この番組は明るい未来を運ぶ いすゞ自動車がお送りします。」

OPのナレーション3 〈1987年4月7日 - 1998年9月〉(元TBSアナ 宮内鎮雄

「いすゞ歌うヘッドライト、コックピットのあなたへ。北は北海道から南は沖縄まで、日本全国をカバーしてお送りする、いすゞ歌うヘッドライト。新旧の歌謡曲を中心に、道路情報、スポーツ・芸能ニュース、留守番電話など、いま仕事をしている あなたとともに過ごす生ワイド番組です。」 (BGM:「愛しのデシベル」)
(BGMと共に30秒間パーソナリティの挨拶コメントが入る)
「いすゞ歌うヘッドライト、コックピットのあなたへ。この番組は明るい未来を運ぶ いすゞ自動車がお送りします。」

OPのナレーション4 〈1998年10月以降〉(元TBSアナ 宮内鎮雄)

「歌うヘッドライト、コックピットのあなたへ。北は北海道から南は沖縄まで、日本全国をカバーしてお送りする、歌うヘッドライト。新旧の歌謡曲を中心に、午前4時のニュース、道路情報など、いま働いているあなたとともに過ごす生情報番組です。」 (BGM:「愛しのデシベル」)
(BGMと共に約30秒間パーソナリティの挨拶コメントが入る)
「歌うヘッドライト、コックピットのあなたへ。この番組は明るい未来を運ぶ いすゞ自動車の提供でお送りします」
  • 時間枠が1時間に縮小されたのを機に簡略化されスポンサー名も外れた。また、OP後のCMも廃止された。

OP後のCM

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OPのCMパターン1 〈1970年代〉

「今、ハンドルを握っていらっしゃるプロドライバーの皆様方、お仕事ご苦労様です。 私共いすゞ自動車では、たくさんのプロドライバーの方々から寄せられた、いすゞトラックへの大きなご信頼とご支援に深く感謝し お応えするために、この時間、トラック輸送に携わる皆様方のために歌とおしゃべりで綴る2時間の生ワイド番組、いすゞ歌うヘッドライトをお届け致します。いすゞ自動車では、よりよいトラック作りを通して、トラック輸送に携わる方々と、毎日の暮らしを運ぶたくさんのプロドライバーの皆様のお手伝いしています。道路もこれからが一番すいてくる時刻。エンジン快調、ついついスピードメーターの針も上がりぎみ。ハンドル操作には十分なご注意をお願いしますよ。では、いすゞ歌うヘッドライト、午前5時まで安全運転でまいりましょう。」

OPのCMパターン2 〈1980年代 - 1990年代中期〉(広川太一郎

「北へ南へ東へ西へ。毎日の暮らしを、そして日本の様々な産業を運んでトラックは休めません。(ブルルルルルーン…ブロロ…「気を付けて」「おうい」「じゃあ」) 大切な積荷を運ぶ あなたの目的地はどこですか。お仕事、本当にご苦労様です。いすゞ自動車では より確かな運転と快適さをお約束するトラック作り、そして いすゞ車を見守るきめ細かなサービス網を通して皆様のお仕事のお手伝いをしています。さて、これからは道路もすいてくる時間。スピードもついつい出しがちです。でも、無理は禁物。安全運転をお願いしますよ。あなたのお供をするのは、楽しいお喋りとリクエストでつづる歌の数々。いすゞ自動車がお届けする2時間の生ワイド番組、いすゞ歌うヘッドライト。さあ、あなたのコックピットへおじゃまします。」 (BGM:ボブ・ジェームス「RUSH HOUR(ラッシュ・アワー)」1979年のアルバム『Lucky Seven』(発売元ビクター音楽産業)及びベストアルバム『BJ』(発売元CBS/SONY)に収録)

OPのCMパターン3 〈1990年代中期 - 1998年9月〉

「日本のすみずみへ、着るもの、住むもの、食べるもの。トラックは暮らしのあらゆるシーンを運んでいます。荷物の到着を 楽しみにしている人がいます。あなたの笑顔を 心から待っている人がいます。新たな出会いを演出する かけがえのない仕事。日本を元気にするのは あなたの走りです。いすゞ自動車は、より安全で、より快適なトラック作り、そして、確かな技術と信頼できるサービスで、もっと皆様のお役に立ちたいと考えています。いいトラックであなたとのいい関係を作りたい。それが いすゞ自動車の願いです。今日の目的地まで音楽とおしゃべりで楽しいひとときをお届けする、いすゞ歌うヘッドライト。あなたとともに走り続けます。」

※OP後のCMは1998年9月を以って廃止された。

ED前のCM

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EDが近づくと、

EDのパーソナリティのメッセージ

「それでは、安全運転で、今日も元気に、(エコーが入る)行ってらっしゃ〜い!!」
(ただし、綾崎りっかが出演したときは「さぁ、午前5時、本当の朝、さわやかな朝、だからさよならの代わりにもう一度ご挨拶、(エコーが入る)おはようございま〜す!!」とあいさつしていた)

EDで流れる歌

(「夜明けの仲間たち」)

と続き、その後CMに入る。

EDのCMパターン1 〈1987年3月ごろまで?〉(広川太一郎)

「日本列島が目覚める午前5時。色々な人の色々な朝が始まろうとしています。威勢のいい掛け声で始まる市場の朝。(ブ――ン!…ホッポッポッポ…) 漁船エンジンの音で始まる港の朝。(ガラガラ…カラン!・・・) 牛乳屋さんが家庭にさわやかさを届ける町の朝。いすゞ自動車では、皆様に信頼されるより良いトラック造りと、きめ細かなサービス網を通して、大切な積荷を運ぶトラック輸送をお手伝いしています。楽しい話題と音楽でつづった2時間。あなたのお供をしてきた、いすゞ歌うヘッドライトもお別れの時間がやって来ました。もうすぐ午前5時。あなたが今走っている町はもう目を覚ましていますか。窓を開けるとフレッシュな風が新しい一日の始まりを告げています。さあ、あなたを待つ町まで安全運転でひとっ走り。」

EDのCMパターン2 〈1987年4月ごろ?から1998年9月まで〉(元ラジオ福島アナ・轟美穂)

「もうすぐ5時。昔は朝がわたしを迎えにきた。今はわたしが朝を迎えにいく。その方がよっぽど素敵。窓いっぱいの風と、ヘッドライトを淡くする光の中で、わたしが新しい朝をまた目覚めさせる。いすゞ自動車は大切なトラック輸送を担うドライバーの皆さんと、すがすがしい朝を分かち合いたいと願っています。積み重ねてきた車作りの技術がきっとあなたの朝にも反映していると信じています。二時間にわたってお付き合いいただきました、歌うヘッドライト。お別れの時間が来ました。さあ、もうすぐ5時。あなたを待つたくさんの人の顔が思い浮かびます。どうか、安全運転で。そう、あなたのおかげで今日も新しい朝が目を覚ましました。」

※轟が番組パーソナリティを退いた後も、轟がアナウンスしたエンディングのコマーシャルは放送が長年継続された。なお轟は、後に長野オリンピックの開会式司会も務めている。

※ED前のCMは1998年9月を以って廃止された。

ED

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EDのナレーション1 (元TBSアナ 藤田恒美、他)

「いすゞ歌うヘッドライト、コックピットのあなたへ。この番組は明るい未来を運ぶ いすゞ自動車が、954キロヘルツ(950キロサイクル[7])、TBSラジオをキーステーションとして、
HBCラジオ、RABラジオ、TBCラジオ、MROラジオ、SBSラジオ、CBCラジオMBSラジオ、RSKラジオ、JRTラジオ(「JOJRラジオ」と称していた時期あり)、RKBラジオ、RBCラジオ
の各局を結んでお送りしました。(致しました[8]。)」 (BGM:「赤い砂漠」)

EDのナレーション2 〈1987年4月4日まで〉 (女性の声)

「いすゞ歌うヘッドライト、コックピットのあなたへ。この番組は明るい未来を運ぶいすゞ自動車が、954キロヘルツ、TBSラジオをキーステーションとして、
北海道放送、青森放送、秋田放送、岩手放送、山形放送、東北放送、ラジオ福島、北陸放送、信越放送、静岡放送、中部日本放送、毎日放送、山陽放送、山陰放送、四国放送、南海放送、RKB毎日放送、大分放送、長崎放送、熊本放送、琉球放送
を結んでお送り致しました。」 (BGM:「赤い砂漠」)

EDのナレーション3 〈1987年4月7日から1998年9月まで〉(元TBSアナ 宮内鎮雄)

「いすゞ歌うヘッドライト、コックピットのあなたへ。この番組は明るい未来を運ぶいすゞ自動車が、東京都港区赤坂TBSラジオ[9] をキーステーションに、
北海道放送、青森放送、秋田放送、IBC岩手放送、山形放送、東北放送、ラジオ福島、新潟放送、北陸放送、福井放送、信越放送、山梨放送、静岡放送、中部日本放送、毎日放送、和歌山放送、山陽放送、山陰放送、山口放送、四国放送、南海放送、高知放送、RKB毎日放送、長崎放送、大分放送、宮崎放送、熊本放送、南日本放送、琉球放送
の各局を結んでお送りしました。」 (BGM:「愛しのデシベル」)

EDのナレーション4 〈1998年10月以降〉

天気予報、最後の曲、EDのパーソナリティのメッセージ

「それでは、安全運転で、今日も元気に、(エコーが入る)行ってらっしゃーい!」

EDで流れる歌

(「夜明けの仲間たち」)

が続いたあとに、

「歌うヘッドライト、コックピットのあなたへ。この番組は明るい未来を運ぶ いすゞ自動車の提供でお送りしました。」(元TBSアナ 宮内鎮雄)
※局によっては、提供クレジットを番組内最後のCMの後に流していた

OP・ED以外のCMで特徴的なもの

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2時間枠後期の4時頃には、1か月ごとに街道とそれにまつわる歴史を語っていき、いすゞのトラックの宣伝につなげて行くという 2分間の長いCMを流していた。(例: 豊後街道桜三里街道、島原街道など)

番組テーマ曲

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基本的にはオープニングで流れていたが、1998年9月までの2時間枠の頃は、5時前のエンディングの終わり部分でも流れていた。

各パーソナリティ別・コーナーBGM

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1988年由口貴恵担当「カーアンドドライブ」内:向谷実作曲「Family rand」(アルバム:『ミノルランド』に収録)

1987年4月 - 1990年3月 轟美穂担当時「ウィークエンドフィッシング」のコーナー時:MALTA作曲「Because of Love」

岡村美鈴担当のコーナー「美鈴のギャンブル講座」のテーマ曲・・・藤田まこと 「競馬音頭」(作詞・大橋巨泉

道路情報・全国天気のBGM

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放送時期によって様々使用されているが、

1980年代前半では、
  • 道路情報・・・
    • ビリー・ヴォーン・オーケストラ 「峠の幌馬車」(水曜・岡村美鈴担当時)
    • アルティメイト「Ritmo De Brasil」(木曜・岡雅子担当時、1986年4月 - 1987年3月は除く)
    • 「シャイニー・フラワー」 (アルバム『レインボー・アイランド』に収録、木曜・岡雅子担当時、1986年4月 - 1987年3月のみ)
    • サージェント・クラッカー・バンド 「希望の口笛」(金曜・石渡のり子担当時)
    • ポール・モーリア・グランドオーケストラ「涙のトッカータ」(土曜・江川範子担当時)
    • ダン・フォーゲルバーグ&ティム・ワイズバーグ「ラハイナ・ルナ」(土曜・糸川蛍子担当時)
    • アル・ディ・メオラ 「スパニッシュ・アイズ」(土曜・吉田智江担当時、1985年9月まで)
    • 今田勝「サンシャイン・ブルーバード」 (アルバム『ミント・ブリーズ』に収録、土曜・吉田智江担当時、1985年10月 - 1986年9月)
    • 八木信夫「悲しきダイヤモンド・リング」(土曜・吉田智江担当時の1986年10月 - 1987年3月 )
  • 天気予報・・・
    • 鈴木章治とリズムエース「鈴懸の径」(木曜・岡雅子担当時)
    • ノーマン・キャンドラー・オーケストラ「乙女座の伝説(The Days Of No Return)」(金曜・石渡のり子担当時)
    • フランク・ミルズ「ハッピー・ソング」(土曜・吉田智江担当時、担当初期の頃)
    • ニコラ・デ・アンジェリス「鏡の中のアンナ」(土曜・吉田智江担当時、1986年10月 - 1987年3月)
    • 今田勝 「ミント・ブリーズ」 (アルバム『ミント・ブリーズ』に収録、土曜・吉田智江担当時、上記以外)
    • サージェント・クラッカー・バンド 「希望の口笛」
    • ノーマン・キャンドラー 「Days Of No Return (乙女座の伝説)」(1976年のアルバム『NORMAN CANDLER BEST ALBUM』に収録)
1980年代後半では、
  • 道路情報・・・
    • ベルエア・ストリングス「ゲーム・バード」(火曜・滝里美担当時)
  • 天気予報・・・
    • アール・クルー「いつの日か(Some Other Time)」(番組後期の全曜日共通)
    • フルーツケーキ 「MARIMBA」 (1984年のアルバム『FRUITCAKE 2』に収録)
    • MALTA 「Waiking in the sky」 (1984年のアルバム『SWEET MAGIC』に収録)[10]
    • 松岡直也
      • 『A WHITE OLEANDER』 (1985年のアルバム『SPLASH & FLASH』に収録)[11]
      • 『虹色の風』 (1987年のアルバム『ハートカクテル Vol.2』に収録)

などが使用されていた。

  • 1989年4月以降の道路情報のテーマ曲は、松原正樹 「PACIFIC COAST HIGHWAY」 (1983年11月のアルバム 『Painted Woman』、及び2010年発売の 『決定盤!!ドライブミュージック インスト編』に収録されている[12]。)が使用されていた。
  • 1990年代後半では、全国の天気のBGMは、アール・クルー 「I'll Be Waiting」(1996年のアルバム『Sudden Burst of Energy』に収録)が使用されていた。

他には、Dan Fogelberg & Tim Weisberg の「Lahaina Luna」(アルバム『Twin Sons of Different Mothers』に収録)が使用されていた時期もあった。

エンディング曲

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夜明けの仲間たち

作詞: 山川啓介、作曲: 三木たかし、CD化編曲: 川村栄二、楽曲管理元: 日音

歌手:

  • オリジナル: 糸川蛍子
  • カバーver.: 麻生しおり

カバーは、麻生しおりがパーソナリティを務めた1992年に行われ、8cmシングルCD「泣いて泣いて」のカップリング曲として、ポリスター(PSDC-4002)より発売された。現在も2002年頃にレコード販売各社から発売された「歌うヘッドライト」企画盤CDなどで、聴くことが可能である。

糸川蛍子のオリジナル版は人気があったにもかかわらず、CD化並びにレコード化されておらず諸般の事情[要説明]により一般発売はなかったが、2012年9月20日に『甦る いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜 CD5枚組ボックス』として、5枚目の最後に収録され初のCD化となったがステレオ録音ではない。CD発売時はTBSラジオが運営する954ishopの通販限定商品であったが、現在は一部の通販業者で市販されている。

2014年4月16日に糸川蛍子の全シングル集(旧芸名・野中小百合名義を含む)であるアルバム『火遊び志願 コンプリート・コレクション』の16曲目に収録されたがステレオ録音ではない。CDは発売時から市販品である。

まだ「夜明けの仲間たち」が出来ていなかった頃はスティーヴン・シュラックスイタリア語版の「Blue Dolphin」が使われていた。(この曲は、火曜・綾崎りつか担当時に限って使用された。)

ネット局

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★は『オールナイトニッポン第2部』を打ち切ってネット開始した局。
◆はネット開始まで当該時間帯を放送休止にしていた局。ただし、一部の放送局では当番組終了後に概ね30 - 60分程度放送休止枠を設けていた局もあるため、必ずしも当番組開始により終夜放送を開始したとは限らない。

番組開始当初は、前の時間帯の音楽番組『パックインミュージック』からの流れを変えるために別の番組を流すラジオ局があったり、そもそも午前3時で放送を終了するラジオ局も多かったことから、番組開始時のネット局はわずかなものであった。ネット局が急増したのは24時間終日放送を実施する放送局が増える1970年代後半からで、さらに『オールナイトニッポン第2部』のネット局による番組乗り換えが加わって、1995年には最大30局ネットまで膨らんだ(ほとんどはJRNとNRNのクロスネット局)。
なお、同じクロスネットの北日本放送中国放送では『走れ!歌謡曲』をネットしたため、当番組は開始から終了まで一貫して放送されなかった。ちなみに北日本放送は1989年、中国放送は1976年に、それぞれ『走れ!歌謡曲』のネットを開始している[15]

放送時間を短縮した1998年10月前後、いすゞ自動車のCMは滝口順平(メインナレーション)によるもので、当時のキャッチコピーは「いすゞの視点が、そこにある!」が決め台詞。

エピソード

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  • 番組初期には、ライバル『走れ!歌謡曲』と番組対抗ボウリング大会も催されていた。
  • 1976年に東映のドル箱映画「トラック野郎シリーズ」の第4作『トラック野郎・天下御免』の劇中に当番組(設定)が登場。パーソナリティは岡村美鈴。
  • 毎年正月にはその時期のパーソナリティー総出演による『歌うヘッドライト祭り』が開催され、その様子がOAされた。
  • 青森放送においては、『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』へ参加している関係上、当番組が割愛されたこともある。『チャリティ〜』青森版には麻生詩織がパーソナリティを担当していた。ちょうどTBS発信の当番組のエンディングテーマ「夜明けの仲間たち」が流れるとき、青森放送でも同曲がタイミングよく流されたことがある。
  • 1988年に轟美穂をのぞく当時のパーソナリティーがTBSの『風雲!たけし城』(第112回)に出場したが、それぞれのアトラクションで全員撃沈した。
  • 1995年12月15日、中部日本放送において「CBC創立45周年記念番組」の編成上、翌日早朝分の当番組は割愛された。
  • マルシアは初期の頃、デビュー間もなく日本語でのトークも必ずしも万全ではなかったため、原稿読み上げなどを担当するアシスタント(フリーアナウンサーの国本佳江)が就いていた時期がある。

番組終了後の特記事項

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  • 2001年9月の番組終了を機に、毎日放送はこの枠(深夜3:00 - 5:00)においてTBSラジオ制作の番組ネットをいったんは退いた。理由は後継番組の『あなたへモーニングコール』のスポンサーが創価学会であり、毎日放送では当時創価学会(聖教新聞を含む)のCMを流さない方針を打ち出していたためである[16]。TBSは毎日放送同じ系列に属する朝日放送(当時)に打診をしたが、こちらも自社制作の生放送番組の「もうすぐ夜明け」や「おはようパートナー」を放送しており、簡単に受けられないことから、NRN単独加盟局のラジオ大阪で2013年3月の番組終了までの全期間、『走れ!歌謡曲』に続いて本来の時刻よりも1時間遅れで午前5時から放送されていた。『あなたへモーニングコール』の後番組である『ラジオ・パープル』はPT扱いとなったため、当初大阪地区へのネット自体がなかったが、同番組開始から1年半後の2014年9月30日より毎日放送が『ラジオ・パープル』の同時ネットを開始、13年ぶりにこの枠のJRNネット番組の放送が復活した。しかし、半年後の『ラジオ・パープル』終了とともに再度ネットを降りている。
  • 当番組終了後、エンディングテーマの『夜明けの仲間たち』を聞く機会はほとんどなくなったが、青森放送では麻生しおりがパーソナリティを務める「あおもりTODAY」“月曜ラジオバザール”→「麻生しおりの土曜はキュン」ではリスナーのリクエストなどもあり、年何回か聴くことができるほか、同局のテレビ番組で麻生が出演する「江奈滋家の食卓」のエンディングテーマにも採用されている。また、「2006RABラジオチャリティーミュージックソン」では「詩織ふれあい号」のあおもりTODAY内やスポットCM内での移動予定の告知でも流れていた。
  • 番組終了後の2002年から2003年にかけて、放送期間中にヒットした楽曲を集めて構成したコンピレーション・アルバムが、『歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』の統一タイトルで各社から発売された。CD2枚組の構成であり、それぞれのCDの冒頭とラストに、かつてのパーソナリティによる、番組オープニングとエンディングを模したナレーションが挿入されている。ただし、いずれのアルバムも、放送期間をほぼ縦断する選曲になっていることや、『夜明けの仲間たち』が、いずれにおいても麻生詩織版となっていることなど、往時の番組そのものを完全再現しているわけではない。
  • 2005年からいすゞ自動車のCMで使われているオリジナルソング『いすゞのトラック』は夜明け近い道を走るトラックドライバーを応援する歌詞内容であり、『夜明けの仲間たち』を連想させる曲として認識しているリスナーも存在する。2014年現在はテレビ朝日の『ここがポイント!!池上彰解説塾』で提供・放送中。
  • 2012年9月20日に『甦る いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜 CD5枚組ボックス』が発売された。それに先立ち、このプロモーションを兼ねて9月5日の『大沢悠里のゆうゆうワイド』に歌うヘッドライトの特集が組まれ、岡雅子・麻生詩織の両名が出演して当時の思い出を語った。
  • 2001年9月の放送終了以降、先述の番組関連CDが製作された一方で、広告スポンサーなど経済環境が好転しない状況だったこと等で、『パックインミュージック』とは違って表立ってのイベントは、ほとんど催されていない。

脚注

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  1. ^ ラジオパラダイス』(三才ブックス)1988年6月号 pp.42 - 43
  2. ^ 基点時間は5時に別途設定されていた。そのためエンディングの提供アナウンス後、TBSラジオなどではコールサイン・周波数のアナウンスを入れていた。
  3. ^ 現・CBCラジオ
  4. ^ 現・MBSラジオ
  5. ^ 現・RSK山陽放送
  6. ^ a b ラジオライフ』第2巻第2号、三才ブックス、1981年3月1日、75頁。 
  7. ^ 周波数が変更される1978年(昭和53年)11月23日の午前4時59分までは当時の周波数(950kc)を言っていた。
  8. ^ 周波数が変更される1978年(昭和53年)11月23日の午前4時59分までは、終わり部分に「・・・の各局・・・」は無く、最後も「・・・お送り致しました」となっていた。
  9. ^ 1993年頃は旧来の「954キロヘルツ、TBSラジオをキーステーションに、・・・」となっていた。
  10. ^ フルーツケーキMALTAについて、発売元はビクター音楽産業
  11. ^ 1988年 の再発ベスト盤、Snow Beat/(32L2-0033)にも収録されている。ハートカクテルともに発売元はワーナー・パイオニア
  12. ^ 共にポニーキャニオンより発売。
  13. ^ 『東奥日報』1977年8月1日付け朝刊16面のラジオ欄と「今週の新番組」より(ラジオ欄に「新番組・歌うヘッドライト~コックピットのあなたへ~」と記載あり)。
  14. ^ 1995年3月迄は4:30から大学受験ラジオ講座を放送していた関係で3:00-4:30は放送機器点検の休止枠に充当していた。
  15. ^ 中国放送は『走れ!歌謡曲』ネット開始以前は『オールナイトニッポン・第2部』(ニッポン放送)をネットしていた。
  16. ^ その後、3時台については2008年秋の改編で『JUNK ZERO』をネットすることになり、7年ぶりにJRNネットの深夜番組枠が復活している。なお、毎日放送(テレビ、ラジオともに)においては、創価学会聖教新聞CMを流していない時期であっても、公明党創価学会系列の学校教育機関創価大学など)に関しては、CMの出稿(放送)の受け入れを認めている。特に、国政選挙運動期間中の公明党のCMは法解釈上政見放送選挙公報と同様の扱いを受け、局側の都合だけでは事実上拒否できないこともあって一般企業と同じ有償扱いで受け入れを認めている。

関連項目

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  • 5スイート・キャッツ
    1976年 - 1977年に放送されたコンプレックスワイドで、パーソナリティーは「歌うヘッドライト」との兼務であった。また綾崎・石渡・岡村らが当番組終了後も継続して「歌うヘッドライト」に出演した。
  • 郁恵のフレッシュミュージック
    いすゞ自動車提供。
  • ジェミニ・ミュージックパートナー
    いすゞ自動車提供。CM内容はエルフなどのトラックものではなく、ジェミニをはじめとする普通乗用車ものだった。また「歌うヘッドライト」を未ネットだった北日本放送と中国放送もネットしていた他、大阪では毎日放送ではなく同じJRN加盟局の朝日放送がネットしていた。
  • 生島ヒロシのおはよう一直線
    2013年4月より木曜日のコーナー「いすゞぐっ!トラック」にいすゞ自動車が提供するようになり、のち2014年7月より開始した平日のコーナー「いすゞ自動車プレゼンツ 檀れい 今日の1ページ」に提供している。
  • Fine!!
    2015年3月31日より5年半にわたり放送。「歌うヘッドライト」が1時間に短縮されてから、約16年振りに2時間枠を復活させた。但し、財政面などを理由に、パーソナリティは、火曜日・水曜日(編成上は月曜日・火曜日)は海保知里小森谷徹、木曜日 - 土曜日(編成上は水曜日 - 金曜日)は池田めぐみの2人体制となった。

TBSラジオ以外の番組

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外部リンク

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TBSラジオ 火曜 - 土曜 3:00 - 4:00
前番組 番組名 次番組
いすゞ歌うヘッドライト
〜コックピットのあなたへ〜
(1974 - 1998.9)
TBSラジオ 火曜 - 土曜 4:00 - 5:00
パックインミュージック
※3:00 - 5:00
いすゞ歌うヘッドライト
〜コックピットのあなたへ〜
(1974 - 2001.9)