打撃投手
打撃投手(だげきとうしゅ)は、打者の打撃練習のための球を投げる投手。バッティングピッチャー(B・P)、略してバッピとも呼ばれる。ただしこれは和製英語であり、英語圏ではbatting-practice pitcherである(野球用語一覧参照)。
概要
役割
打撃練習の際に意図的に打者に打たせる球を投げるのが打撃投手の役割である。ピッチングマシンと異なり、実際の人間が投じる生きた球を打つことはより実戦的な練習となるため、プロ・アマを問わず打撃投手は需要がある。投球はマウンドから行う場合もあれば、より打者に近い位置から投げる場合もある。危険を防止するため、投手の前にはL字型のネットが設置される。また、高校野球においてはヘッドギアの着用が義務付けられている。
プロ野球
現在のプロ野球においては各球団が専門の打撃投手を雇用している。主に現役を退いた投手が務めることが多く、引退後の選手の受け皿ともなっている。しかし、打たれない投球から打たれる投球へ、打球の飛ぶ先を確認しない、短時間でウォームアップを済ませなくてはならないなど、現役とは全く異なる環境に置かれることから、この世界でも生き残れる者は少ない。一方で水谷宏のように還暦を過ぎるまで打撃投手を務める者もいる。
平均的な年俸は500万円から800万円程度とされ、1000万円クラスの打撃投手も存在する。これは投球以外にもスコアラーや用具係など裏方の業務を兼ねる場合が多いためである[1]。背番号は3桁(100番台)であることが多いが、2桁(80番台・90番台が多い)も存在する。また、西武の打撃投手は、01番や02番といった10の位が0番台の2桁の背番号を着用している(00番を除く)。日本ハムでは打撃投手は2006年までは全員2桁の背番号であったが、2007年より打撃投手の背番号を廃止している。
専門職としての打撃投手の元祖は佐藤玖光である。佐藤は1975年から1998年まで広島で打撃投手を務め、1995年にはセ・リーグから特別表彰を受けた。また、南海の西村省一郎は1970年に引退した後も球団に残り、スコアラーやマネージャー等を兼任しながら打撃投手を務めている。かつてはドラフト下位あるいはドラフト外で入団した選手を戦力としてではなく打撃投手として用いるのが一般的であった。そういった選手の中からドラフト制度導入前では稲尾和久や小山正明、導入後は西本聖といった選手がエースとして大成している。ダイエー時代の下柳剛は「毎日中継ぎ登板、毎日打撃投手」という過酷な投げ込みで制球力を改善させた。
少数ではあるが有沢賢持、西清孝、栗山聡のように打撃投手から現役選手に復帰した例もある。また、古賀英彦は打撃投手を経てコーチになった経歴を持つ。
特定の強打者とペアを組む「専属打撃投手」も存在する。オリックス時代のイチローの専属打撃投手だった奥村幸治や、金本知憲と共に広島から阪神へ移籍した多田昌弘がその一例である[2]。
春や秋のキャンプにおいては監督やコーチが打撃投手を務める光景が見られる[3] 。
メジャーリーグ
メジャーリーグではチームに専属の打撃投手は存在せず、主にバッティングマシンを相手に打撃練習を行う。打撃投手が必要な場合はコーチやマイナーリーグの選手が投げたり、アルバイトを雇う[4]。
脚注
- ^ 打撃投手の年俸500~800万円 チーム最大貢献なら1000万円も Newsポストセブン 2012年12月18日
- ^ 阪神多田打撃投手 涙のラスト登板 nikkansports.com 2012年10月10日
- ^ 守道監督が打撃投手で600球 nikkansports.com 2012年11月17日
- ^ 東尾修 引退後に米で投げ打撃投手として雇うべしと言われた Newsポストセブン 2012年12月19日